第5話 商業ギルドと明日の約束

 あらゆる面倒事をぶん投げられた気がする。

 どうにも釈然としない気分のまま、アキはギルドの受付で手続きを行っていた。

先程から上機嫌なことこの上ないアークも、人懐こい犬のようにニコニコと背中に張り付いている。ギルドの受付担当のお姉さんが微笑ましい物を見るような目で見てくるのでやめて欲しかった。


「……よし。終わりました」

「はい。確認させていただきますね」


 記入を終えた書類を受付嬢へ手渡す。その内容はギルドから受けた仕事の報告や品物の納品についての記載だ。

 商業ギルドに入れば多大な恩恵を受けることができるが、無償でそれらを受けることができるわけではない。一定以上の仕事をこなすことや都合してもらった仕事に対する納金は必要だし、そもそも登録する際にはしっかりとした身分証明が必要になる。荒事の多い傭兵ギルドや冒険者ギルドではその辺りの敷居も低いそうだが、多くの商品を取り扱う商人はそうもいかないということだ。

 もちろんメリット──低額での鑑定や仕事の斡旋、人脈を作りやすい環境等──が大きいため、そこに関して不満を感じる者は少ないのだが。


「……はい、問題ありません。お疲れ様でした」

「ありがとうございます。それとすいませんが、今買取要求している商品のリストを見せてもらってもよろしいですか」

「わかりました。少々お待ちください」


 ぱたぱたと駆けてリストを取りに向かう受付嬢を目で見送ってから後ろを振り向き、予想以上に近くにいたアークに後退る。顔が触れそうなほどの至近距離だ。


「おい、やめろ張り付くな。さっきから周りの視線が気になって仕方ないんだよ」

「そう? 僕は全然気にならないけど」

「俺が気になるんだよ……頼むから少し離れてくれ」

「はーい」


 素直に離れるアーク その距離はまだ近いが、先程までに比べれば数倍はマシだ。


「でも意外だったなぁ」

「何がだよ」

「君って本当に商人だったんだね」

「どういう意味だコラ」

「だって会ってからずっと商人に見えなかったからね。走ってこ飲食べて怒ってたところしか見てないよ」

「お前とババ……ギルド長が作った状況のせいだろうが!」


 そうこうしている内に受付嬢が戻って来たので、アキは仏頂面を即座に営業スマイルへと切り替える。変わり身の早さにアークがおもしろそうな顔をしているがそれは無視だ。

 そんな二人の様子に不思議そうな表情を浮かべる受付嬢だが、仕事を優先したのかリストを渡してくれる。


「こちらが現在買取を行っている商品のリストです。特に香辛料の需要が多くなっていますので、可能なら融通していただけるとありがたいですね」

「あ、なら買取をお願いします」


 手持ちに結構な量の香辛料があったので買取をお願いする。何せ背負った人間二人は軽く詰め込める大きさの鞄の内、半分以上は香辛料なのだ。

 個人が持ち運べる物で保存が利き良い値になる物として、香辛料はベターな商品だ。つい先日仕入れたことが幸いした。

 鞄の中から包装された香辛料を取り出しつつリストを眺めていると、言葉の通り香辛料の名前がズラリと並んでいる。他の品も載っているがそれに比べ随分と数が多い上に相場より買取価格も高めだ。

 疑問に思っていると、受付嬢が計量を行いながら事情を説明してくれた。


 何でも、最近の謎の寒波が原因で街の周辺の農家で栽培している作物が不作気味らしい。香辛料程ではないが、他の野菜などに関しても例年より収穫が少ない。急に起きた事態で原因も掴めないそうだ。

 幸い不作という程の減少でもないし、商業都市の特性上遠方から持ち込まれた品も入る。

 しかし一部では備蓄が減り始めていることも確かだし、他の街に出荷を依頼しようにも時間がかかる。そこでギルドの方でも香辛料を求めているのだとか。


「なのでこれだけの量を持ち込んでいただけるのはありがたいですね……今は少しでも量が欲しいという方が多くおられますので」

「そういうことなら、在庫を持っている商人が何人か近場の街を回っているはずです。近場の街のギルドの方に連絡を回せばここまで来てくれると思いますよ」

「本当ですか? 是非お願いしたいので、相手方の名前を教えていただけますか」


 個人で商売をしている身としては、こういった情報が命なのでよく覚えている。ギルドからも紹介した商人からもいい評価を得られるし答えない手はなかった。

 質問に答えて何人か知り合いの商人の名を挙げると、受付嬢は手早くその名を書き留め、アキへと礼を告げる。


「ありがとうございます。非常に助かりました」

「いえ、それなら良かったです」

「……ここだけの話、私個人としても少し困っていたんですよね。少し値上がりしていますから。はい、お待たせしました。査定終了です。これだけの額になりますが問題ないでしょうか」

「問題ありません。全額口座の方に預けてもらってもいいですか」

「承りました。ではギルドカードを─」

「振込の手続きに──」

「──……」

「 ────…………」

「 と、以上でよろしいでしょうか」

「はい。しばらくこの街に滞在する予定なのでまた来ると思います。今日はありがとうございました」

「あ、少しお待ちください」


 いくつかの手続きを済ませ、今日の用事は終わったので礼を告げてギルドを出ようとしたアキだったが受付嬢に呼び止められた。


「えっと、何か?」

「すいません。仕事とは関係ないプライベートな話なんですが……一つよろしいですか?」

「……何でしょう」


 今日街に入ったばかりの男に対してプライベートな話とは何なのかと、アキとしては疑問に思うがとりあえず話を聞いてみることにした。

 受付嬢はしばらく悩む素振りを見せたものの、腹をくくったのか勢い込んでこう告げた。




「ア、アークちゃんとはどういうご関係なんでしょうかっ」




「……はい?」


 完全に予想外の質問に、アキの口から間の抜けた声が漏れた。

 だがそんなことはおかまいなしとばかりに、受付嬢は捲し立てる。


「アークちゃん、普段は一人でいることが多いのにあなたと一緒に……一緒にっていうかくっついてますし!」

「いやあの」

「だってあのアークちゃんですよ!? あのお菓子と散歩が大好きなまるでおばあちゃんみたいって言われる子が男の子にくっついて……!」

「待って」

「ま、まさかとは思いますがお二人ってそういう……キャ~!!」

「話を聞いて!?」


 どうしたことなのだろうかこの変貌ぶりは。先程までの仕事のできる女っぷりはどこに行ったのだ。

 くねくねと身を捩る受付嬢さんは既に別人だ。このままだとどこまでもヒートアップしていきそうなので早めに弁明しておきたい。


「あの、自分とこの子はそういうのじゃなくてですね……」

「うん? この子は僕の大切な人だよ!」

「アークさん!?」

「きゃーっ! きゃーっ! ぎゃーっ!!」

「壊れた!?」


 おもしろそうに二人の会話を眺めていたアークが突如爆弾を投げ込んだ。それを受けて受付嬢の情緒が完全に決壊する。

 慌てたアキはアークに食ってかかった。


「お前もうちょっと言い方を考えろよ!」

「間違ったことは言ってないよ?」

「対応が間違ってるって言ってんだ! 何で誤解を招きまくってんだよ!」

「誤解も何も、本当のことしか言ってないんだけど」

「それも違うわ今日が初対面だぞ!?」

「はっはっはっ。 またまたとぼけちゃって」

「何なんだこいつ!!」

「だって、僕は君が好きだよ。愛してると言ってもいい」

「ばっ……!」


 臆面なく言い切るアークの言葉にアキが赤面する。たとえ彼女がアキを誰かと人違いした上でその言葉を放っているのだとしても、あまりに純粋なその言葉は少年の心を揺さぶるには十分すぎた。


「ひゅーっ……、こひゅーっ……」


 そして受付嬢の方からすごい気配がする、すごい邪念を感じる。視線をそちらに向けることさえためらわれる、邪悪に満ちた桃色の気配だ。

 前方の純真と後方の邪念、相反する情念を前に少年はただただ無力でしかない。


「ひゅ〜……くべっ!?」


 と、 唐突に妙な声が上がり邪気が霧散した。

 恐る恐るそちらに目をやると、ぐったりと脱力した受付嬢さんとその襟首を掴むギルド職員らしき女性がいる。

 彼女はこちらに一礼すると、受付嬢を荷物のように引きずりギルドの奥へと去って行く。


「……この街にまともなやつはいないのか」


 嵐の様に過ぎ去ったその光景に、アキはそう呟くしかなかった。



 ※



 ギルドから外に出るともう日は落ちていた。所々に置かれた魔力灯が街を薄く照らしている。

 暗くなっても通りの活気は変わらない。 商業都市の名の通り、あちこちで商売の声が響き、仕事を終えた者達が酒を酌み交わす喧噪が聞こえる。

 そんな通りを二人は歩いていた。アキとしては不本意な状況あるのだが、ギルド長から念押しされたとあってはアークに案内してもらわないとまずい。


 目の前を歩く彼女はフードを目深に被り顔を隠しているが、布越しでも笑顔なんだろうと察せる程に機嫌がいい。

原因は恐らく自分なんだろうなと思いはすれど、それが勘違いから来ている感情だと知っている身としては複雑な気分だ。

 一応繰り返し話して誤解を解こうとはしているのだが、何を言っても間違いないの一点張りで言うことを聞きはしない。終いにはアキの方が根負けする始末だった。


 ギルド長と話していた時にその話を出せば良かったと気付いたのはその後のことだった。

 人に比べて長命なクォーターエルフでありこの街ができた時からここにいた彼女であれば、アークがアキと誰を人違いしているのか知っていたかもしれない。流石に二人がかりでアークを説得すれば誤解も晴れるだろうし、今よりはくっついてこなくなるだろう。少し寂しいが、興味を失ってどこかに行くかもしれない。


 ……寂しい?


 アキは慌てて首を振り頭に浮かんだ思いを振り払った。思っていた以上にアークに絆されていたことを自覚する。

 半日程度の付き合いではあるが、アークは良い奴だと思う。魔族ではあるがそこは気にすることではないし、普段のアキであればもう少し積極的に関わろうとしていたことだろう。


 だが、彼女に厄ネタが付いて回っていることは初対面の時点で思い知らされている。明らかにトラブルに巻き込まれるとわかる状況で尚関わりを持ちたいと思える程、アキは酔狂ではない。


 ……あまり近付きすぎたくないと思っている最も大きな理由は、アークが人違いをしているということなのだが。

 彼女が親しげに語りかけてくるたび、僅かばかりの罪悪感を感じざるを得ないし、人違いだと気付いた時彼女がどんな顔をするのかと思うと流石に憂鬱になる。そんなことは望んでいないのだから、とっとと誤解を解いておきたかったのだ。


 アークと接しているとどうにも落ち着かない。不快というわけではなくむしろ心地良いとも思える感覚なのだが、どうにも心が波立つ。

 今までの人生でアークと出会った記憶はない。それは確かなことだ。だが、どこか懐かしいこの感覚は一体何なのだろうか。


「それで、これからどうするんだい?」


 アークの声に、アキは現実へと引き戻される。いつの間にか思考の海へと沈んでいたらしい。


「あ、ああ。暗くなって来たし、今日はもう休んでおきたいから宿に向かいたいんだが」

「あー、そっか。長旅だって言ってたし移動で疲れてるよね」

「どっちかと言うと街に着いてからの方が疲れたんだが」

「ご、ごめんね……あ、エルザさんからメモをもらってたよね。案内するから見せてくれるかい?」

「そこまでしてもらわなくても、今なら道もわかるぞ」

「いいからいいから。僕に任せておくれよ」

「まあ、そういうならいいけどさ。ほら、ここに書いてある宿だ」

「ふむふむ、ここならこっちの道だね。ほら、ついて来て」


 流石ギルド長から紹介されただけのことはあるということか、少し宿の名前を見ただけで案内を始めたアークの背にアキは着いていく。

 前を行く少女の後ろ姿を見ていると先程までの思考が頭の中を巡りそうになる。それをごまかそうと少年は会話を始めた。


「あー。アークはさ、ギルド長とどういう関係なんだ? 結構親しそうだったけど」

「えっと、お世話になった人……恩人っていうのが一番近いかな。昔、色々と大変だった時に助けてもらってね。それから頭が上がらないんだ」

「じゃあ結構古くからの知り合いなんだな」

「そうだね、八〇年くらいの付き合いになるかな」

「はちじゅっ……」


 返答として帰ってきたのは予想していたよりずっと長い時間だった。魔族であるなら見た目通りの年齢ではないかもしれないと思っていたが、一〇代半ばにしか見えない容姿と比べるとやはり違和感がある。人間に近い見た目の長命種と言えばエルフも似た様なものだと聞くが、アキにとって比較対象がエルザしかいないので何とも言えない。あのババアは会った時からババアだったので尚更だ。


 しかし、そんなに昔からの付き合いというのなら人違いの心当たりがあるかもしれない。次に会った時に聞いておこうと心に留めておく。


「そういう君もエルザさんとは知り合いだったんだよね。エルザさんって結構偉い人なはすなんだけど、随分親しげだったしどうやって知り合ったんだい?」

「別に親しくはない。というか、それは俺にもわからない」

「わからないって?」

「本当にわからないんだよ。知り合いになったのは偶然会ったことがきっかけだったけど、そこで何かをしたわけでもないし自分でも疑問だ」


 アキが故郷を出て行商を始めたばかりの頃、立ち寄った街の商業ギルドを訪れていたギルド長に出会ったのだ。

 初対面の際、緊張するアキに話しかけて来たことが始まりだったのだが、そこから何が起きたのかその後も行く先々で鉢合わせ、そのたび傍若無人に振舞うエルザに対し、アキが現在の様なぞんざいな態度を取る様になるまでそこまで時間はかからなかった。そんなよくわからない関係だ。

 それを聞いたアークはおかしそうに笑う。


「エルザさんらしいね。気に入った相手にはすぐイジワルするんだから」

「俺はやめて欲しいんだけどな……気に入られることをした覚えもないし」

「うーん。商人としての可能性を感じたとか」

「まだ駆け出しどころか何もしてなかった時の話だぞ」

「……いじめ甲斐がありそうだったとか?」

「ありそうで笑えない……」

「まあまあ。エルザさん、本当は優しい人だから」

「その言葉を言われる奴は普段は優しくないんだよ。そもそもお前もびびってなかったか?」

「……この間盛大に怒られてね。 あの時のことは思い出したくないなぁ……」

「お、おう。そうか」


 楽しそうな様子から一転、ひどく落ち込むアークを励ましながら歩いている内に目的地に着いた。


 商業ギルドからそう遠く離れていない場所にある宿だった。あまり大きくはないが清潔感がありしっかりとした造りの建物で、夕食を作っているのか中から良い香りが漂ってくる。

 アークの案内もここで終わりかと思ったが、彼女はそのまま宿の中へと入って行く。扉に吸い込まれたその背を慌てて追いかけた。


「女将さーん。いるかーい?」


 よく通る声でアークが人を呼ぶと、すぐに奥から人が現れた。


「はーい。って、アークちゃんじゃない! 久しぶりね、ご飯食べに来たの?」

「久しぶり、女将さん。今日は遊びに来たんじゃなくてお客さんを連れて来たんだ」

「あら、そうだったの。後ろの子がそうかしら」

「あ、どうも」


 そのまま挨拶してエルザから渡された紙を見せると、トントン拍子に話が進んだ。

 宿泊だけでなく希望があれば食事も出る上、三十日分の振込がギルドからされるとのこと。あまりに至れり尽くせりな状況に、受ける予定の仕事がますます気がかりになるがもはやどうしようもない。精々今の待遇を楽しませてもらうことにする。


「それじゃあ、僕はそろそろ行くね」


 部屋の準備をするので少し待っていて欲しいと言って女将さんが消えたところで、アークがそう切り出した。


「帰るのか?」

「うん。君ももう休みたいだろう? エルザさんにもお願いされてるし、僕も君に会いたいから朝になったらここに迎えに来るよ」

「そこに関しちゃまだ納得できてないけどな……そっか、今日はなんだかんだで世話になったよ、ありがとう」

「……! ふふっ。お安い御用さ! 明日も色んな所を案内するつもりだから楽しみにしておいておくれよ!」


 また明日、と大きく手を振りながらアークは夜の街へと駆けて行く。

 その姿は明日の約束を何よりも楽しみにする子供のようで、アキはその後ろ姿が闇に溶けて見えなくなるまで見送っていた。





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