第4話 ギルドの長と依頼の品


 ギルド長、と呼ばれた女はアキの目の前で仁王立ちしている。

 顔に皺こそ刻まれているものの、鍛え上げられた鋼のように真っ直ぐ伸びた背筋と獣すら怯むであろう鋭い目が、見る者に老いた印象を与えさせない。

 その鋭い眼光をアキへと向け、ギルド長──この街の商業ギルドを纏め上げる女傑、エルザ・ゴーシュは改めて口を開いた。


「ガキ共。随分と偉いご身分じゃあないか」


 声が大きい訳ではない。むしろ静かであるとさえ言える声に、しかしアキとアークはピンと背筋を伸ばす。


「おい坊主。着いたら真っ先にギルドに来いって、あたしはそう伝えたはずだが?」

「いや、色々トラブルがあってですね……」

「黙りな。トラブルだか何だか知らないが、飯食って観光してる時点で約束を守る気なかっただろうが」

「何で知ってんの!?」

「黙れっつっただろうが」


 睨み付けられ顔を青ざめさせるアキ。もしかしたら今日が命日になるかもしれない。だって目の前の鬼が今にも刀に手をかけそうだし。

 短い人生だった……。と早くも今生に別れを告げかけているアキを尻目に、エルザはアークへ目線を投げた。少女はといえばそれだけのことで肩を跳ね上げさせて涙目になり、ガチ泣き三秒前といった様相だった。


「アーク、お前はお前でまた面倒事起こしたそうじゃないか」

「あ、あのねエルザさん。あれには事情があってだね?」

「例の襲撃はともかく大門から飛び降りたってな?」

「バレてる!?」

「あんだけ騒ぎ起こしといてアタシの耳に入らないとでも思ってんのかバカタレ」


 鼻を鳴らしてエルザは言う。

 まあ最終的にはひどい騒ぎになっていたし、この人の耳に入るのも無理はないかと二人は納得する。その後何をしていたのかまで把握されているのは恐いが。

 不機嫌さを隠そうともしないギルド長はもはや物理的な圧力すら発生しそうな眼光を放つ。

 それを前にアキは冷や汗を垂れ流しアークに至っては涙腺がほとんど決壊しかけている。本当に泣き出す一歩手前であった。

 が、その前にギルド長が目を反らす。


「まあいい、とりあえず入れ。こっちも暇じゃないんでね」


 踵を返して歩き出す姿に、二人はほっと息を吐く。


「……やっぱり、君が言ってたのってエルザさんのことだったんだね」

「こっちもやっぱりって感じだよ。マジおっかねえあの婆さん……」

「そ、そんなこと言っちゃいけないよ! すごくいい人なんだから、たまに!」

「たまにって言っちゃってるじゃん。だいたいお前もびびってただろうが」

「びびってなんかないよ!」

「おい、早く来いって言っただろうが」

「はいすいません!」

「じゃ、じゃあ案内も終わったし僕はここで待ってるから!」

「あ、ずっけぇ! 一人だけ逃げやがって!」

「だって僕呼ばれてないもん! ごめんね、後で埋め合わせするからさ!」

「待て、アーク。話があるからお前も来い」

「え゛っ」



 ◆



 商業ギルドというのは文字通り商人達による組合のことで、国から認可を受けた巨大組織ではあるものの、国が直接経営を行っているわけではない個人経営の組織である。

 にも関わらず、この国に属する商人達の多くがその傘下に入っている。

 ギルドに登録すれば定期的な納金や仕事上の義務が発生するものの、国中で使用できる商人としての身分証明書の発行や検問時の負担軽減など、商売をする上でかなりの恩恵を受けることができる。そのため、アキも登録を行っていた。

 ギルドは王都に本部を構えており、いくつかの大きな街に支部がある。そしてこの商業都市にある支部は流石商人の聖地と言われる街のことはあり、王都に次ぐ規模を持っている。

 当然ながらそこを受け持つの人物もまた大物。ギルドの実質的なNo.2、商業都市誕生時から知力と武力で以てこの地を守り続けるクォーターエルフ。

 それこそがエルザ・ゴーシュ。この都市の守護者とも呼ばれる人物である。


 そして今、その女傑の身から放たれるプレッシャーを前に馬鹿二人は青い顔で身を縮こまらせていた。

 場所は変わって応接室。あれから案内に従ってここに通されたはいいものの、その間エルザは無言である。座り心地の良い椅子や良い香りを立てるお茶も意味を為さない。気分はさながら拷問室、今すぐにでも泣き喚いて逃げ出したい気分だ。そうした場合本当に拷問が始まりそうなので逃げられないのだが。


 隣に座るアークは微振動を続け姿がブレそうになっている。流石に可哀そう……いややっぱり人を見捨てて逃げようとした罰だザマア。


「おい坊主」

「わひゃい!?」


 現実逃避を始めたところで声を掛けられ気が動転した。裏返った声にアークが別の意味で震え始める。このヤロウ。

 そんなことはお構いなしに話を続けるギルド長。


「街に着いたらまずギルドに来いって言ったよな、おい」

「いやそうなんですけどさっきも言った通りトラブルが

「言い訳は聞かん」

「はい……」

「すぐ来れなかったにしても連絡くらい入れるのが筋ってもんだろう」

「まったくもってそのとお待ってなぜカップを高々と掲げておられるのですか」

「それを何だ? テメエは女連れでランチと洒落込んでたってか?」

「待ってカップが近い熱が、熱が来てるし圧が強いんですが」

「随分とまあいいご身分だな。茶でも飲めや」

「本当に待って熱い熱い熱熱熱圧圧熱圧熱圧熱圧っ!?」


 お茶が入ったカップテーブル越しに額へ押し付けられ悲鳴を上げる。『ユノミ』と呼ばれる厚めのカップなためそこまで熱くはないが、目の前に迫った鬼のごとき形相の女の圧で、ぬるめなはずの陶器がまるで焼きゴテの様に感じられる。


「ま、待ってエルザさん!」


 大袈裟──本人からしてみれば恐怖でそれどころではないのだが──に悲鳴を上げるアキの様子に、思わずアークが仲裁に入った。


「この子は悪くないんだよ! 僕が厄介事に巻き込んじゃっただけで!」

「やかましいぞ」

「あいたっ!?」


 身を乗り出す少女の額へと老婆の鋭いデコピンが炸裂した。

 爪と額の鱗がぶつかり、キィンと金属の様な澄んだ音が響き渡る。

 アキから視線を離したエルザは、次に涙目で額を押さえるアークを睨みつけた。


「アーク。一番の問題はお前だ」

「は、はい」

「最近妙な連中が増えてんのはお前が一番わかってんだろう。そんな中で目立つ行動取りゃあ一発で見つかる。わかりきったことだろうが」

「はい……」


 しょんぼりと肩を落とすアークに嘆息を溢し、髪を掻きむしりながらエルザは言葉を続ける。


「そりゃ向こうが悪いに決まってるが、危ないとわかってる上でその中に飛び込むのはただの馬鹿だ」

「うん……本当にそうだね、ごめんなさい。 自分で思ってたより浮かれてたみたいだ」

「……まあいい。こっちも連中に騒ぎを起こされっぱなしで迷惑してる。衛兵がぶん捕ったヤツらから情報取れりゃすぐに治まるだろ。 それまではなるべくおとなしくしてろ、いいな?」

「うん! ありがとう、エルザさん!」

「フン、わかりゃあいいんだ。わかりゃあ」


 そのやりとりを見て、アキは少々意外だなと思っていた。

 直前までの態度からアークはエルザに苦手意識を持っているだろうと思っていたし、実際多少物怖じしている様に見える。

 だが、それ以上に信頼して懐いている様にも見えるのだ。笑いながら礼を言う姿とそれを受け入れる姿は、知人同士の感情というよりは──


「で、坊主。肝心の依頼の方はどうした」

「あ、はい。例の物は持って来てますが……今出していいんですか?」

「構わん」


 突然こちらに振られた話題に思考を止めて返答した。

 アークの方を確認すると、きょとんとした様子で首を傾げている。


 というのもこの依頼、しばらく前に他の街に立ち寄った際、 その街の商業ギルド支部長から直々に渡された手紙が元だったのだが、厳重に封をされた手紙には他言無用の旨が書かれた依頼書が入っていたのだ。

 エルザ・ゴーシュの名が刻まれた依頼書曰く、支部長が持っている荷を回収し指定の日時までに自分に直接届けに来い、とのことだった。

 何故自分がこの街に着くタイミングがわかっていたのかとか他言無用とはどういうことかとか色々気になる点があったが、あの老婆直々の依頼となると断るわけにもいかない。

 もし断っても運ぶ物が重要な物だった場合、彼女の立場を考えると大変な事態になりかねない。

 自分のような、ただ知己であるというだけの駆け出し商人にそんな物を預けるとは思えないのだが、万が一ということもある。

 そんな事情と、一度は行ってみたかった商業都市が目的地だったということもあり遥々ここまでやって来たのだ。


 鞄の中から頑丈な木箱を取り出し手渡すと、エルザはそれをじっくりと眺めてから封を開け始めた。


「トラブルに巻き込まれたってのは知ってる。それでガタガタ文句言うこともねぇけどよ。ただオメエ、無事なら無事で連絡くらいしとけ。心配すんだろうが」

「それは……そうですね。すいませんでした」

「届かなかったらどうしようかと思ったぜ」

「荷物の心配かよクソ!」


 罵倒を無視して箱を開けるエルザ。悪態を吐きながらも自分が何を運んで来たかを知りたいアキと、単純に興味があるアークはそれを覗き込む。

 果たして、わざわざこの街まで運んで来た荷物の正体、金色の包みに納まったそれは──


「……は?」




 茶菓子だった。




「おう、これだこれ。やっぱり茶にはこれがないとな」


 先程まで渋い顔をしていたエルザが笑みを浮かべ、ナイフで切り分け始めたそれは紛うことなき茶菓子だった。これまた極東名物のゼリーのような黒い菓子が皿の上へと並ぶ。

 ……ちょっと待とう。


「あの、ギルド長 それ何ですか?」

「あ? 見てわかんねぇのか菓子だよ菓子。『ヨーカン』っつってな。これが茶に合うんだ」

「いやまあ菓子なのはわかるんですが……あっれおかしいな。他言無用の重要書類は?」

「何言ってんだ。んなもんお前みたいな下っ端に任せるわけねえだろ」

「まさかとは思うんですが……自分、その茶菓子を運ぶ為だけに呼ばれました?」

「はあ? 寝惚けたこと言ってんなよ」


 やれやれ、とエルザは肩を竦めこう続けた。


「その通りに決まってんだろ」

「ふざっっっっっけんなよババア!?」


 対するアキは怒髪天、これまでギリギリ体裁を保っていた敬語もかなぐり捨てエルザに詰め寄る。


「何!? 俺わざわざババアの茶菓子の為に何日もかけてここに来たの!? どういうこと!?」

「どういうことも何もそのままの意味だろうが。っつーかババアババア言うなやアタシはまだ二百歳そこらだっての」

「十分だわ! 十分すぎるわ!! いや待ってどういうことなの徒労がすぎる、何でわざわざ俺に頼んだわけ!?」

「しゃーねぇだろ、これあの街でしか売ってねえ上にいい具合のキャラバンもねえしパシリにできそうなヤツがお前くらいしかいなかったんだから」

「つまりパシリじゃねえか! 他言無用って何だったんだよ!」

「いや、わざわざ甘い物頼んでるとか知られたら恥ずかしいし」

「乙女かクソァ!!」

「女はいつまで経っても乙女だし男はいつまで経っても少年だろうが」

「今そういう話してないから! ちょっと黙っててくれる!?」

「……」

「…………」

「………………」

「……いや黙って菓子楽しんでんじゃねえよ!」

「何だこいつうるせえな」

「誰のせいだああああああああああ!!」


 息を荒げるアキと涼しげなエルザ。二人を見てオロオロとするアーク。場は混沌とした様相を醸し出し始める。


「まあ冗談はここまでにして、だ」

「え、何、冗談なの? なら良かった……」

「菓子もれっきとした依頼だが」

「ちっとも良くねえ」

「……ちと、お前に頼みたいことがある」


 ピリ、と再び空気が張り詰める。

 先程までの緩んだ雰囲気から一転、歴戦の戦士としての顔を取り戻したエルザに、自然と二人は背筋を正した。


「……用件の内容は?」

「まだ言えない、が依頼前にはきっちり話す。ただしばらく準備がかかる。二十日から三十日は見といてくれ。長く拘束しちまう分、金は払うし街中での便宜も図る」

「そりゃまた、随分と大掛かりな仕事みたいですが何で自分に? 理由があるんですか?」

「理由もあるがこれもまだ言えない」

「そうですか」

「言っておくが、これは強制的な仕事じゃない。無理だってんなら今すぐ断ってもいいし、何なら依頼の内容を聞いてから断るのも構わない。後から断ったって滞在中の援助を払い戻せとも言わん」

「それは……」


 明らかに至れり尽くせりだ。だが だからこそその後の仕事内容が気にかかる。これだけの準備を必要として、簡単な仕事などありえるものか。

 うまい話には裏がある。それは商人にとっての常識だ。

 だが──


「わかりました、その話。受けさせてもらいます」


 ギルド支部長からの直々の依頼、断る選択肢はなかった。リスクとリターンを秤にかけ、それでも得になると考えた上での結論。

 まあ違う理由もあるにははあるが、概ねこれが理由であることに間違いはない。


「よし、ならとりあえずは滞在することになるな。これ持ってメモしてある宿に行け、アタシの名前とメモを出せばすぐ泊まれる」

「依頼の方は?」

「準備でき次第連絡する。それまでは自由だ。羽目外しすぎなきゃ観光しようが商売しようが文句言わねえよ」

「了解しました」

「それと最後にだな」


 エルザは唐突に少女の、アークの肩を叩くとこう言った。




「この街にいる間はこいつを案内に付ける」




「……はい?」


 目を点にするアキと、同じく驚きを見せた後に目を輝かせ始めたアーク。


「いや、何で?」

「こいつもアタシほどじゃねえがここでの生活が長い。案内人としちゃ打ってつけだぞ」

「いや別に案内なんかいなくたって」

「お互いの監視だ。力はあるがすぐ羽目外すこいつと、理性はあるがすぐ面倒事に巻き込まれるお前。どっちか片方だけにしたら今の状況だと絶対面倒なことになる。ならまとめといた方が効率がいい」

「そんな無茶苦茶な」

「いいから従え。これは命令だ」


 連絡は追って寄越す、と言い残してエルザは早々に部屋を出て行く。お茶と菓子はいつの間にか平らげられていた。

 残された少年は、少女へと目をやる。

 青の瞳をキラキラと宝石のように輝かせる彼女は心底嬉しそうだった。


「そういうわけで、これからしばらくよろしくね! 僕をどーんと頼っておくれよ!!」


 あまりにも純粋に状況を喜んでいる少女を見て、アキが思ったことは一つだった。







 ──依頼受けたの、 失敗だったかなぁ。






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