第2話

集落の東の端に、割と大きな川がある。

糸川、という名の由来は知らない。


ただ、その川があるから向こうとこっち、徒歩で行き来できるはずの地域が、すごく遠い場所の様に感じていた。


夏の終わり、納涼祭がこの糸川である。


花火も上がり、露店もならぶ。


この日だけは、川の向こうとこっち、その境なく入り混じることが許されるよう。向こうの誰かに会いたいと焦がれてる訳でもないのに、夏も終わりかけの花火が上がるたび、七夕よのうな気持ちになった。



入社してから2度目の花火の日。



夏の終わりの最後のイベントに、何処と無く街中も浮かれていて、事務所のみんなで見に行くことになっていた。


下っ端の私は買出し係を請け負ったので、若社長の口添えで早めに事務所を出た。


近くの店で揃えれば早かったのだけど、敢えてバスで駅に向かう。花笠さんもきっと来るだろうと思ったからだ。

駅前の総菜店で焼き鳥を注文し、コロッケを追加した。

若社長が、花笠さんに美味いんだよと懐かしそうに話していたからだ。



両手にたくさんの袋をぶら下げ、またバスに乗って糸川についた頃には、もうすっかり宴会の用意は始まっていた。

同じ様に職人の若い人たちが、せっせと準備を進めている。


「ごめんなさい、遅くなって!」

「いやいや、ごめんね。少し会場からは遠くに場所を取っちゃったから。」


手際よくシートを広げ、買い出した料理の他に寿司やらお酒も並んだ。


「会場からの少し離れるけどさ。この辺なら風も通るし‥ほら、じいちゃん達も音がでかいと驚くから。」


そう少しぶっきらぼうに言う若い職人さんと、準備をしていく。

そろそろ日暮れだ。


花笠さんは、来るのかなぁ。


落ちてく夕日を見ながら、ぼんやりと思っていた。会えるだろうか。会えたら、少し話せるかな。

今日こそ、今度お茶でも‥いや、飲みに行きませんか?なんて言えたなら。

と、出来もしない事をくるくると考えては、花笠さんの笑顔を想う。

「いいね、行こう行こう!」と、彼ならきっとニコニコと乗ってくれるだろう。

そうしたら、少し酔った振りで「ずっと好きなんです。」と言えるのではないか。


全くの妄想の癖に、勝手に照れてまだ1つもお酒など飲んでいないのに、顔が火照る気がした。

シートを離れ、パタパタと手で顔を仰ぐ。ふう、と深呼吸をして‥ふ、と土手の奥を見た。


この辺には珍しい洋館がポツンと建っている。確か、と母が言っていたのを思い出した。


「この辺で伊東さんの世話になってない人はいないのに、よくもまあ勝手に傘下になんて。都会の会社って言うのは無慈悲なもんだよ。大きな洋館建てて、我が物顔してさ。」


何が無慈悲なのか、

どこがいけなかったのか、


子供の私にはまるでわからなかったから、ふぅん、と聞き流していたけれど。


確か、ここのお家がそうじゃなかったか。


人の住む気配はない。

手入れもされてないのだろう。きっと綺麗な花壇だったところは草が生い茂っていた。

窓にも蜘蛛の巣が張って、どこが不気味だ。


落ちてく夕日のオレンジが、洋館に射す。

曇った窓に反射したそれは、お化け屋敷のようでぶるっと身震いをした、ときだ。



人通りの少ない、洋館前の路地に人影が見えた。

まさか、本当にお化けが?!と恐怖の反面目が離せなくなってしまった。


‥沙緒さんだ。


若社長の妹で、工場の経理をやっている人だ。

花火に行くなら逆だし、それに会社の宴会会場はこの土手の上だ。


迷っているのかもしれない。

いつもより会場から遠くに準備したから。


沙緒さん!こっちです!、と出し掛けた声は喉で詰まった。


沙緒さんの前に、もう1つ人影を見つけたからだ。


壊れ物を扱うかのように、沙緒さんの腰に柔らかく回されていた腕は、まるで病を抱え込んだように沙緒さんを抱きしめた。


かすかに見える男性の表情はなぜだか痛々しい。

その頬を沙緒さんの両手が包み、背伸びしてキスをした。

唇を合わせる、そんなのではなかった。

溶けてしまえ、と言わんばかりのキスを。



私は初めて見た他人のキスシーンに、ドキドキしてしまっていた。沙緒さん、あんなにおっとりした人なのに、恋人とあんなキスをするんだ。



「あ、美夏ちゃん。」


ハッと振り返ると、花笠さんがニコニコとして立っていた。来てくれたんだ!と途端に心臓が跳ねる。慌てて駆け寄って、ドキドキする鼓動を誤魔化す様に笑った。


「花笠さん!」

「カズに誘われちゃった!これ、コロッケ。美味いんだよ。」

「駅前のですか?」

「うん!」

「私も、買ってきて‥て。」

「うわ、ほんと!?まいっか、美味しいもんね。」


私の隣にストン、と座った花笠さんはやっぱりシャツを汗で濡らしていて、私はバックの中のハンカチを思った。


渡せもしないのに。



ちらり、と振り返るともう、2人の影はなかった。



若社長から、沙緒さんと花笠さんの結婚を知らされたのは、そのほんの半月後の事だった。





沙緒さんを、それほど知っているわけではない。


童顔で色白で頬が桃色で、舌ったらずの話し方が可愛らしい人。でも、それが物凄く妙な色気を持っている事くらい、何にもわからない私にでもわかった。


こんな風に、もう少し歳を重ねたらなれるものなんだろうか。


自分の容姿を隅々まで見ても、沙緒さんと似たところなんて1つもなくて、いつしか憧れていた。


そのうち、沙緒さんはあまり事務所に顔を出すこともなくなっていった。


夏が過ぎ、秋になったころにはもう、ほとんどその姿を見ることはなかった。





2人の結婚に、工場は沸いた。

誰もがお似合いだと喜び、祝福していた。


「沙緒ちゃんは、小さい頃はお転婆で。元気でハキハキした子だったけれど。大きくなったら大人しくなっていってねぇ。花笠さんくらい元気な人がいいわよ。」


そんな古くからの事務員さんの言葉を、そうなんですね、なんて言うばかり。


けれど、どうしても離れない。

あれは絶対に花笠さんじゃなかった。


だって、私の横でコロッケもって座ったじゃないか。


疑問は段々と色濃く、疑いに変わってく。

これを知ったら彼は苦しむんじゃないだろうか。

結婚を控えた花嫁が、裏切っていたと知ったなら。


沸々と、湧き上がるのは花笠さんへの同情心と、沙緒さんへの怒りだ。


あの人は騙してるんだ。

このまま結婚したら、花笠さんは‥朗さんは。


ふつふつと、こみ上げたものは彼への想いだ。絶対、そうだ。それほど私は、彼が好きなんだ。




皆さんに結婚式の話が回った頃、一度花笠さんは挨拶にやってきた。


「年末に申し訳ない。ただ、その日が誕生日なんです。僕の。それで、沙緒がプレゼントならこんな幸せはないと思いまして。ワガママをいいました。」


営業のおじさんにも、パートのおばちゃんにも、職人さんたちにも揉みくちゃに祝われながら、花笠さんは笑った。


幸せそうに、笑った。


みんなと同じ様に拍手しながら、唇を噛んだ。

騙されてるのに。


騙されてるのに。


奥歯で吐き出せない言葉を噛みながら、


私は、花笠さんの誕生日を

このとき初めて知って、


泣いた。

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