クリスマスローズ

おととゆう

第1話

小さな町の、小さな集落。

生まれ育ったのはそんな場所だった。


夏に生まれたから。

そんな簡単な理由で、名は「美夏」となったらしい。


幼稚園は1つ。

小学校も1つ。

少し離れたところに中学校があって、

さらにもう少しだけ離れたところに高校があった。


ほとんど変わらないメンバーで高校までを過ごし、友達の、その親の顔まで知っている。

もっと言えば、その親の親まで互いに知ってる。


そんな場所で、秘密などまかり通ることもなく、道を外れようにも外す先もなく、私はただただ真っ直ぐに育ってきた。




田舎も田舎のこの辺りに、それほど仕事を選ぶ自由は無い。


農業を継ぐか、この辺りで1番大きな工場へ就職するか。いくつかある商店か、もしくは役場に。


母がそこで働いた事がある。

それだけの理由で高校を出た後、工場へ就職した。


3代目が継いだのを機に更に拡大されたそこは、町工場から株式会社として立ち上げたようで更に大きくなった。それを機に若社長と年の近い人たちを何人か、と考えていたのを母が聞きつけたからだ。


工場といっても、職人さんたちが作業する場には入り込めない。縁故で入って与えられた仕事は事務だった。


仕事が好きか。

とか、考えたこともない。


ただ、所属先が次から次へと変わるだけの事。


それを繰り返すだけのこと。













「‥あの、伊東一文さんは‥今日いらっしゃいますか?」


事務所の戸を開け、汗でワイシャツにシミを作った人が声をかけてきた。

真夏の風のない日だった。


各メーカーの営業マンは、よく出入りする。家電が多く出回るようになった昨今、様々な部品を正確に作り上げる“伊東精密産業”は、右肩上がりの業績を上げていた。


春からここに就職し、来客の対応もなんとか慣れたあたり。その人は満面の笑みでそこにいた。


「恐れ入りますが、お約束は頂いてましたか。」

「いえ。たまたま近くまで久々に来たもので、カズがいるかなと。」


カズ。

若社長をそんな風に呼ぶ人は、せいぜい古くからの職人さん達くらいだ。事務の先輩に、坊ちゃんと呼ぶ人はいても、カズと気軽に呼ぶことはない。

初めてよことに戸惑ってしまっていると、


「はぁ?朗(あきら)!?何してんの。」


奥からスーツ姿の若社長が、気だるそうに歩いてきた。


「うはっ!カズ!ほんとに社長なんだね!かっこいいじゃん!」

「うるせぇな。跡取り息子なんだから、しょうがねえだろ。」


その人ははしゃいだ声をあげて、珍しいものを見た、というように若社長の周りをぐるぐると回ると、また笑みをこぼした。

若社長はそれをめんどくさそうに、睨みながら頬が緩く上がってる。

いつも眉間にしわを寄せている若社長の、子供のような表情を見て、素直に驚いてしまった。


目をまん丸にしていたからだろうか、ちらっと私を見たかと思うと、若社長は軽く咳払いをした。

それに気がついたのだろう。汗だくの彼は、ふっと声色を変えた。


「俺、いま営業やってんの。重機器のね。」

「‥へぇ。」

「で、支店ができたからこの辺。回ってんだよね。そしたらカズんとこが見えたから。話できるかなって。」


急に大きくなったからか、若社長を訪ねてくるメーカーの営業マンは多い。

同じ学校だった、親が勤めてた、と縁を振りかざしてくる人も多く、無碍にもできないしかと言って、全てを受ける事もできない。


その度に、めんどくせえ、と呟く若社長が気の毒で、お約束を取り付けた方のみ、と対応する事にしていた。

当然、飛び入りのこの人だって例外では無いだろう。


残念だけど、門前払いというやつだ。


そう思っていたら、以外にも若社長は応接室にその人を通した。


慌てて、冷たいお茶を出した。


「ありがとう!」

と、一気に飲み干し、申し訳なさそうに、

「‥もういっぱい、いいですか?」

と言う。

「あ、俺。花笠朗っていいます。カズとは同級生なんですよ、高校までの。急にすみません。」


お代わりしたお茶をまた、一気に飲み干した彼を、呆れたように見ながらも若社長は、どこと無く笑顔だ。


「かわらねぇのな。花笠。」

「そう?そうかな?」


縁故をつないで、なんとかと鼻息荒く詰め寄る営業マンを見てきたからだろうか。

花笠さんの笑顔は、とても若社長に取り入ろうとする人には思えなかった。

同じように、名刺を出しどんな注文なのかと話しているのに、2人の会話は友達のそれだった。



ああ、いいな。


とおもったのは、花笠さんが出入りするのにすっかり馴染んだ頃だ。


「美夏ちゃん、こんちは!」


花笠さんは、事務所を覗くと私に手を振った。


「こんにちは。暑いですね、お茶いかがですか?」

「ううん?今日はいい、ちょっと寄っただけなの。」

「若社長、もう直ぐお戻りになりますよ?」

「いーのいーの!美夏ちゃんの顔見れたし。じゃぁ、カズによろしくね。」



好きになるな、と言う方が無理だ。



あなたが呼ぶから、私は自分の名前が愛おしくなった。夏が好きになった。

にこやかに手を振る、こぼれ落ちそうなほどの光を持った笑顔。


好きで好きで、なんとかこの想いを伝える術は、と考えては、尻込みをした。


花笠さんがくる日には、お茶をたくさん冷やした。

汗っかきの彼に、これどうぞ、と渡せるかもしれないとハンカチをバックに忍ばせていた。いかにも女物だと恥ずかしいかも知れない。だから、淡い緑のものを。



夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来てまた春になる。

花笠さんが来たらお茶を出す。

同じことを何度も何度も、繰り返しながら、また夏が来た。

渡すことのないハンカチだけは、まるで新品のままバックの中で居座り続けてる。



散りそびれた蝉が、まだ鳴いていた頃。



若社長が、事務所で不意に言った。


「美夏ちゃん。悪いけど、都合つけてくれないかな?できれば、12月に。」

「都合、とは。」

「いや、身内のことで申し訳ないのだけどね。妹が嫁に行くんだよ。で、少し式を急ぎたいから。急だけど事務所のみなさんの都合聞いてもらえない?」

「沙緒さんがですか!?おめでとうございます!!」


驚いて飛び上がってそう言った私に、若社長は一瞬目を伏せ、申し訳なさそうに眉を下げた。


「式の日時、そこに書いてあるから。身内だけでとも思ったんだけどね?この会社の人達は家族も同然だから。沙緒の赤ちゃんの頃から知ってる人もいるわけだし。できれば式に出てほしいんだよ。‥美夏ちゃんも。」



はい、と元気よく返事をして渡された用紙を見た。


12月24日。

クリスマスイブのその日に、大きなホテルの名があった。


そして、


新郎 花笠朗

新婦 伊東沙緒


と、信じられない文字が並んでいた。





そんなわけない。


そんなはずはない。







だって。

あれは花笠さんじゃなかった。

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