第15小節目:ロックンロール

 足を止めるのが怖かった。


 立ち止まってしまったらもう一度余計なことを考えてしまいそうで、電車の来ていないしん小金井こがねい駅を通り過ぎて、ひがし小金井こがねいの駅に向かう。


 12分に1度しか来ない電車を待っているうちに、あいつ・・・がおれに声をかけてきてしまいそうな気がしたから。


 小賢こざかしくて小器用な自分あいつが。


 ひたすらに臆病で怠惰たいだ自分あいつが。


 自分の人生で一番大切なものにすら、自分の人生一つかけられないクソみたいな自分あいつが。


 あいつが、おれの肩を叩いて、正論を言ってきそうで。


 東小金井駅に到着して階段を駆け上がると同時、ちょうどホームに電車がやってきて、おれは飛び乗った。


 走り出せ、中央線!!!!!




 吉祥寺駅近くのスタジオ、オクタ。


 防音室に入ると、店長さんが渡してくれたギターを抱えて、地べたに座る。


 店長さんは「あれ、君はamaneの……。あれ、高校生じゃ……」と言いかけていたが、おれが「個人練、1人で! 今すぐ、入りたいです!」と頼んだら目をつぶって、部屋を案内してくれた。




 青春リベリオンの選考に落ちてからずっと、いや、もしかしたら前回のライブからずっと考えていたこと。


 今のおれには、これ以上は出来ない。


 間違いなく今の自分たちに出来る最も最高の曲が、世間にかすりもしなかった。


 そのことが悔しくて、辛くて、苦しくて。


 ……それでおれは、自分への期待値を下げた。


 おれの全力は世間一般ではその程度なんだと、自分への認識を改めた。


『それでひっくり返せないってことはさ、……あたしじゃ無理なんだ。あたしの全身全霊じゃ、あたしの100点じゃ、あたしの1000点じゃ、世界の、日本の……ううん、多分、この町の足下あしもとにも及ばない』


 ある意味それは事実ではあるんだろう。


 だけど、だけど。




『自分の人生を変えたのは、amaneの音楽なんですよ? 先輩の作った音楽なんですよ?』




 その言葉を聞いた時、何かがはじけた感じがした。爆発する音がした。


 4カウントを待たずして、アップストロークのAメジャーが高らかに鳴り響いた。


 それは、500万回再生の数字を見た時とは比にならないほどの感覚だった。


 なんだよ、確実に世界は変わっていたんじゃんか。


 amaneの音楽で、世界は0.0数ミリでも、変わったんだ。


 たった一人のたった一言が、どんなに膨大な数字よりもおれを突き動かす。


『——小沼くんの夢は、こんなところで逃してもいい夢だったの?』

『『わたしのうた』みたいに、人の人生を変えるような曲を作りたいって、言ってくれたじゃん』


 そりゃ、amaneで叶えられた方がいいに決まってるよ。でも、それが難しいなら、夢を叶えるためには方向転換をしていかないといけないこともあるだろ。


 ——そんな風に思っていた。完全に勘違いしていた。


 おれは、この状況を、80点か100点の2択だと思っていたんだ。


 amaneを解散してでも、自分の曲を届けて広めるのが、80点の未来。うまくいけば、90点とか95点とかを目指せるかもしれない。


 amaneを続けて、いつか日本中に轟く音楽を作るのが、100点の未来。でも、そっちは20点になってしまう可能性もある。


 違った。


 現実はもっと冷徹で残酷だ。


 これは、0か1かの2択だった。無か有かの2択だったんだ。


 叶わなかった夢は20点どころか、0点どころか、ゼロだったんだ。まったくの無駄。人生をドブに捨てるのと全く同義だ。


『それっぽいもの』を叶えたところで、夢が叶ったことにはなるはずもなかった。


「叶わなくても、それを夢見て頑張った努力は残るよ」


 いや、そんなものは、残らない。


 正確に言えば、そんなものは残ったって何の意味もない。


『amaneは、そんな『優しいだけの思い出』になんて、絶対にしちゃいけないバンドなんだよ』


「あの頃は楽しかったね」だなんて、そんなクソみたいな思い出、1ミリグラムも要らなくて。


『おれが、小沼拓人が作った曲に、吾妻由莉が歌詞をあてて、そこに波須沙子がベースを弾いて、市川天音が歌って、それで、初めてこの曲になるんです』


 そう言ったからとか、約束したからとか、仲良しだからとか、好きだからとか、そんなことどうでもよくて。


『夢を叶えるならamaneあなたとがいい』んじゃなくて。


amaneあなたとじゃないと、夢が叶ったことにはならない』んだ。


 なんだよ、くそ。


 続けていけば穏やかな生活が待ってたなんて思ってたやつはどこのどいつだ。


 いろんなことに目をつぶって続けていれば、なんとなく穏やかで、波風立たなくて、ゆるやかな幸せが続くだなんて思ってたやつは、どこのどいつだ!


 こんなの、……こんなの、続けていく方が全然地獄じゃんか。


 誰のせいにもできない、自分の全身全霊で全力でぶつかって、それでもちっとも上手くなんかいかなくて。苦しいことばかりで、届かないことばかりで。


 それなら、『こういうのが好きかと思って』って市場やら流行に合わせた物を作っている方がよっぽど穏やかだ。否定されたって、きっとおれはビクともしない。何も感じずにいられる。「じゃあ、こういうのはどうだろう」だなんて、次の曲をのうのうと作って、それなりに楽しく生きていける。


 叶わない夢を追いかけるよりも、わきまえて、諦めて、ハードルを下げて、期待をしないで生きていく方が、よっぽど穏やかだ。



『この曲は、他でもないあたし自身だったんだよ……!』



 でも、amaneはそうじゃない。


 そうじゃなくて、おれたち自身だから、こんなにきついんだ。こんなに苦しいんだ。


 当たり前だ。


 一番大切な物を、むき出しにし続けるのは、どう考えたって痛すぎる。


 でも、それでも。


 傷付いたっていいから、ズダボロになったっていいから。


 どんなにいたくても、ここにいたい、amaneでいたい。



 だから、迎えにいく。


 市川が何を考えてるかは知らないが、今の市川に「やっぱり続けるぞ」って言ったところで撤回するとは思えない。


 あいつはそれなりに面倒なミュージシャンだ。


 でも、市川とじゃないと、沙子とじゃないと、吾妻とじゃないと。


 そして、おれじゃないと、意味がないんだ。


 おれの夢は、おれじゃないと叶えられないし、おれたちの夢は、おれたちじゃないと叶えられない。


 他の誰かが叶えたそれっぽい夢は、おれの夢じゃない。


 だから、おれに出来ることは、amaneのための曲を作り続けることだけだ。


 もしそれを市川が歌わなくても、沙子が弾かなくても、吾妻が書かなくても、4人で演奏出来なくても、誰の耳にも届かなくても。


 1ミリでもそこにチャンスがあるなら、——いや、チャンスなんかなくったって、作り続ける。


 なんだよ、もっと早く気づいていればよかった。





 叶うとか叶わないとか、そんなの、夢を見る判断材料にはこれっぽっちも関係なかった。





 元々、たった一人だっただろ。


 狭い部屋で独りぼっちで宅録していただけのものが、いつの間にかここまできたんだ。


 出来すぎた奇跡だ。


 だからこそ、もう奇跡なんて起こらなくてもいい。


 何もかも上手くいかなくたって。


 おれは、このバンドのために生きて、このバンドのために死ぬ。


「!!!!!!!!!!!!!!!」


 かき鳴らしたギターと、気づけばおれは声をあげて叫ぶように歌っていた。


 いつもはキーボードで後から主旋律メロディを足すのに、耐えられなくて、たまらなくて、声をあげる。


 声は震えるし、しわがれるし、ひっくり返るし、途切れるし、本当に全然様にならなくて。


 それでも言葉にならない気持ちを、言葉になっていないコトバで、音にしていく。


 喉からは血の味がする。


 でもそれでいい。


 いつだって、これが最後の曲になったっていいくらいの覚悟でやってきたはずだ。


 だから、おれの指が、声が、耳が、ちぎれるほどに、強く、強く、強く。


 未来に向かって、音を鳴らす。







 


 ……一心不乱にかき鳴らしたあとに、脳が酸素を失い、おれは気を失うように後ろに倒れ込む。


「ああ……」


 うつろな目で天井を眺めながら、ふと気づく。


 ……やばい、今の録り損ねた。


 うわ、まじか。今のを超える曲なんか絶対にできないのに……!


「ああーーーーーー……!!!」


 と両手で目をおおったその時、


「大丈夫、録ってるよ。……こんなの、録らずにはいらんないっての」


 聞き慣れた声が聞こえる。


 目を開けてそちらを見ると、


「やっぱり、小沼はさ、」


 涙を流しながら微笑む吾妻がそこにいた。





「アマネのために駆けずり回ってる時が一番かっこいいね」

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