第16小節目:こぼれてしまうよ

* * *


 失恋した日の翌日ってこんな感じなんだろうか。


 教室の大きな窓からは、透明な朝日がキリリと差していて、あたしと世界は何にも関係ないんだなあ、なんてことを思い知ることになる。


 ……って、割と最近本当の失恋をしたばっかりのくせに、初めてみたいなフリして何を言ってんだ、あたしは。


 学校に来なかったら、なんだか気にしているみたいだし、遅刻ギリギリでもそれはそれで「ゆりすけは眠れなかったんだ……」とかさこはすに思われそうだし、色々考えた結果、いつもよりもだいぶ早く来てしまった。


 かといって、あたしに何かやることがあるわけでも、出来ることがあるわけでもなく、教室でただぼんやりして、だんだんと増えていくクラスメイトに挨拶とかしていると。


「あ、あのあの、ししょ……あ、吾妻あずま先輩! 吾妻あずま由莉ゆり先輩はいらっしゃいますか!」


 教室の入り口、顔を真っ赤にして大声で呼ぶ小動物じみた人影。


「つばめ……?」


「あ、師匠ぉー……!」


 あたしが入り口に行くと、ほっとしたように息をつく平良たいらつばめ。かわいいかよ。


 しかし、何か焦っているらしく、漫画でいうと汗マークを顔の周りに飛ばしながら「あのあの、師匠、どうしましょう……!!」と話しかけてくる。


「なに、どうしたの?」


小沼おぬま先輩が、いかれちゃいました……!」


「イカれたの? 小沼が?」


「いえいえ、イカれてしまわれたのではないのです! ……いやいや、そういう側面もあるんでしょうか……?」


 自問自答。やっぱりイカれたのか、あいつ。


「と、とにかくとにかく! 行ってしまわれたのです!」


「どこに?」


「ご自身を……迎えに……?」


「……まじか」


「え、これで分かるのですか?」

 

 要するに、小沼が覚醒回を迎えたっていう話だろう。


「……詳しく聞かせてくれる?」


「えっとえっと、どこからお話ししましょう……!」


 つばめはあわあわしながらも、今さっきあったらしい、かくかくしかじかを教えてくれる。


「——それでそれで、自分が『自分ひとりの人生を変えて、それで満足ですか』って聞いたら……『自分を迎えに行く』としん小金井こがねいの方に戻ってしまわれて……」


「あいつ、主人公じゃん……」


 誇らしさと、悔しさと、嬉しさと、息苦しさと、そんな感情が一挙にあたしの胸の中になだれこんでくる。


「あ、でもでも、小沼先輩は天音あまね部長と同じクラスなのですから、天音部長に申し上げた方がいいんでしょうか……?」


「……ううん、大丈夫。あたしから伝えておくよ」


「そうですか……分かりました」


「ほら、予鈴鳴るよ、教室に行きな?」


「はい……!」


 つばめが1年生の教室に向かうと同時、あたしは自分の教室に戻り、学生鞄を取って、教室から出て、廊下をずんずん進む。


 廊下を走らない、という最大級の学校あるあるを無視して、だんだんと靴音のテンポが上がっていく。


 やがて校舎を出たあたりで、眠い目をこするさこはすと鉢合わせた。


「え、ゆりすけ、どこ行くの」


「早退する!」


「早退ってか登校してないんだけど……学校大好きなゆりすけが学校サボるわけ」


「超不服に決まってんじゃん。あたしの貴重な登校日を1日減らすなんて、最悪。皆勤賞逃すし……。そのために風邪もひかないようにしてんのに。でも、」


 ああ、もう本当に。


 あたしの平日は、


「あたしが、学校をサボらないために、青春をサボるわけにいかないから」


 平坦で、平凡なくせに、全然、平和じゃない。


「はは、やばすぎる。何言ってんのか全然分かんないんだけど」


 さこはすは、しっかり口角を上げて笑ってくれた。


「担任にかれたらあたしは——風邪とインフルエンザと急性胃腸炎を併発したって言っておいて!」


「それから、さこはす」


 ありがとよ、とでも言おうかと思ったけど、あたしの口をついて出たのは。


「……お株を奪ってごめんね!」


 あたしはそれをスタートの合図ピストルみたいにして、かけ出す。


 ああ、あと、天音もごめん!!(でもそもそも割と天音のせいだよ!)




「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……!」


 息を切らしながらあたしは走り続けた。


 ねえ、小沼。


 今回、ずいぶん時間がかかったんじゃない?


 曲を作る素振りすら見せないで、既に作った曲にこだわって、かかずらって。


 分かってる。


 ——きっと、そうせざるを得なくさせたのは、あたしだ。


 あたしの気持ちを大事にしようとしてくれたから、小沼は前に進めなかった。


 あたしは作詞家失格だし、小沼は作曲家失格だね。


 こうまでしてやっと、解散なんてことになってやっと、前に進み始める。


 これが最後だって言われて、そんな本当の本当に最後の切り札を出されて、やっと。


 でも、それでもいい。それがいい。


 これが、最後の曲なら、全部出し切っていいんだから。


 そのままぶっ倒れたっていい。それが最後の曲の強さだ。


 だったらあたしは、その曲が生まれる瞬間に立ち会って、その産声うぶごえを聴いて、それを言葉にする。





 吉祥寺、スタジオオクタに飛び込む。


 ってあれ、他のスタジオに行ってるかもだなんて一瞬も考えなかったけど、ここであってるのか?……と思ったけど、それは杞憂だったみたいで、


「5番スタジオに入ってるよ」


 と店長が呆れたように言ってくれた。


「まあ、黙認するなら、一人も二人も一緒か……」




 防音室スタジオに入ると、


「うそ……!」


 むせかえるほどの圧倒的な熱量に一瞬で身も心もかれそうになった。


 ——小沼が、歌っていた。


 口下手な彼が、轟音でギターをかき鳴らし、何語にもなっていない言葉で叫んでいた。


 あたしは、たまらなくなる。


 この真剣な眼差しが捉えているのは、たった一つの未来しかなくて。


 だからこそ、こんなにも力強くて、痛くて、苦しい。


 慌ててあたしはスマホを取り出し、録音ボタンを押そうとする。


 ——ぼやけた画面に、自分が泣いているのだと言うことを知る。


 だって、小沼が、全部ひっくり返そうとしてるから。


 今も未来も、自分の全てをかけて、ひっくり返そうとしてるから。


 あたしの覚悟だって食い潰す勢いで、あたしにとっても一番大切な音を、鳴らしてくれているから。


「ありがとう、小沼……!」


 もう、たまらない。こんなの、こぼれてしまう。


 ぼやけたその背中に見惚みとれていると、爆音のAコードを弾き終わった後。


 フッ……と糸が切れたみたいに後ろに倒れ込む。


「え、大丈夫……?」


 あたしの声は聞こえていないみたいで、小沼は薄目を開けて天井を眺めていた。


「ああ……」


 声を出しているから大丈夫そうか……?


 おずおずと、その表情をみていると……。


 ……ああ、そういうことか。そりゃ、「よし、録るぞ」なんて準備して録れるデモじゃないよね。


「ああーーーーーー……!!!」


 いや、後悔しすぎだっての……。さすがに可哀想になって、あたしは声をかける。


「大丈夫、録ってるよ」


 そして、小声で追加した。


「……こんなの、録らずにはいらんないっての」


 はあ。


 もう、どうしようもないな。


 この人は、付き合ってるとか付き合ってないとか、そんなこと関係なしに、まっすぐに彼女にむかって音を鳴らしている。


 やっぱり敵わないなあ、と思う。


 でも、それでいいんだ。


 それでいいんだって、もっと早く気づいてもよかった。






 かなうとかかなわないとか、そんなの、恋をする判断材料にはこれっぽっちも関係なかった。





 これは最後の敗北宣言で、最後のつよがりで、最後の告白。



「やっぱり、小沼はさ、アマネのために駆けずり回ってる時が一番かっこいいね」



 だから好きになっちゃったんだよ、ばーか。


* * *

 

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