第8小節目:ソラニン
「あ、ウチ、もう行かなきゃ。今日もラジオの収録あるのよ。ていうか、ウチもあなたたちの連絡先知らないから、ツバメに聞いておくわね。ベクトルの人からいきなり連絡来てもびっくりしないでちょうだい。それじゃ」
特大の爆弾を投下した当の本人——
暴風雨が過ぎ去ったあとのように、静まり返る防音室。
ややあって、
「すごいね」
と
その笑顔は、怒りの裏返しにも見えないし、
——ただ、友達の門出を送り出すような気配がして。
「えーっと……」
吾妻が苦笑気味に口を開く。
「すごいっていうか、びっくりではあるけど……あたしたち、別にそんな話、受けようと思ってないからね? ねえ、
「あ、ああ……」
急に水を向けられて、やや
「……どうして断るの?」
市川が少し顔を伏せて、彼女の目が見えなくなる。
その口はまだ微笑んでいるようにも見えるし、唇を噛んでいるようにも見える。
「いや、どうしてって……。
「そうだよ。その夢を叶えるために色んなチャンスを見送って来たんじゃん」
吾妻が加勢するが、
「『見送ってる』と思ってたんだよ、私も、これまでは」
市川は折れない。
「でも、そうじゃないんじゃないかな?」
「市川さん、どうしたの」
さすがに様子がおかしいとそう感じたのか、沙子が0.数ミリ
「どうもこうもないよ」
キッと顔をあげて、こちらを見据える市川の、わずかに潤んだ瞳。
「——私たちは、4人でいようとする時だけ、夢が叶わないようになってる」
「……!」
その言葉に息を呑む。
「だってそうでしょ? 私たち、
「天音、でも——」
「今回のことで分かったはずだよ? 死ぬほど悔しかったよ、私。みんなだって一生懸命こらえてたけど、死ぬほど悔しかったはずだよ? それくらい、私にだって、分かるよ。大切なバンドメンバーの気持ちくらい、隠したって分かるよ」
引き結んだ唇は決壊したらしい。
「巡って来たチャンスを自分たちの意思で見送ってるうちは、ポリシーだとか本当の夢とか、色々言えたけどさ」
市川は溢れてくる言葉を、
「でも、チャンスが来なくなった時、私、全身に
きっと、これまでなんとか押し
「それで、やっと気がついたんだ。いつまでもチャンスが来ると思って、こだわりを優先するのって、失礼だよ。みくびってるよ、音楽を。夢を」
濁流のように吐き出す。
沙子がとりなすように、「こういうことだよね」と、始めた。
「まずは拓人とゆりすけに有名になってもらって、amaneも引き上げてもらおうってことなら、それも一つの——」
「そうじゃないよ」
そのフォローをも、市川は首を横に振って遮る。
「私はこれ以上みんなといたら、また歌えなくなっちゃう。自分の歌に、もう、価値を感じられなくなっちゃう。
「なあ、市川」
おれは、怒りなのか、悔しさなのか、慰めなのか、諦観なのか、とにかく赤紫色の感情が刃物にならないよう、気をつけて、どうにか、口に出す。
「市川にとって、バンドamaneのデビューはそんなに簡単に諦められる夢だったのか?」
「簡単……? ……そっくりそのまま返すよ」
しかし、彼女はひるむ様子もなく、おれを見据えたまま言う。
「——小沼くんの夢は、こんなところで逃してもいい夢だったの?」
「……!」
彼女の言葉は
「『わたしのうた』みたいに、人の人生を変えるような曲を作りたいって、言ってくれたじゃん。私、本当に嬉しかった。私が、私なんかが教室のすみっこで歌ってただけの歌が、本当に、遠い町に住んでいる運命の人の人生を変えて、その人の人生の一部になれたんだって、心からそう思えた。勲章が、誇りが、やっと私にも……って」
『amaneは、おれの憧れなんだ。』
『あたし、
『この曲は、うちが、世界で一番好きな曲だよ』
「ねえ、こんなこと、言いたくて言うはずないよ。簡単なはずないよ。でも……でもさ?」
市川の声が震える。
「きっとね、このまま、目をそらして、仲良く楽しく音楽を続けることは出来ると思う。むしろ、高校生バンドってそんなものなのかもしれない」
困ったみたいに笑う市川は、
「卒業して、なんとなく集まりづらくなって週一回になって、月一回になって、年一回になって……、そのうち、人混みに流されて大人になって。何年かに一回くらい集まって、昔作った曲だけを演奏して、『コード忘れちゃった』とかって笑って……そのあとみんなでもしかしたら飲み会とかにいって、昔話とかして、『あの頃は楽しかったよな』とか言って……」
そんな未来の話をしてから、
「……絶対にだめだよ、そんなの」
と、唇を引き結ぶ。
「amaneは、そんな『優しいだけの思い出』になんて、絶対にしちゃいけないバンドなんだよ」
「市川……」
彼女が言っていることに、痛いほど共感してしまう。
おれたちが目指したのは、そんなバンドじゃない。
「ねえ、自分にしか出来ないこと、たった一つだけ見つけたんだ」
市川は胸の前で右手をぎゅっと握って、
「——それは、この手を離すことだよ」
そっと、それをほどいた。
「私の声じゃなかったんだよ。
「いや、——」
否定しようとした口を、彼女がかざしたスマホの画面が
「でも、ううん、……だから、さ。せめて、それでも
「おい、
「
「市川さん……」
おれたちの制止を無視した市川天音は、そっとハの字の眉で微笑んだあと、
「……
真顔になって、はっきりと告げた。
「amaneを、……ちゃんと終わらせよう」
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