第9小節目:グッドバイ

「amaneを、……ちゃんと終わらせよう」


 そう告げた市川いちかわ静謐せいひつで重厚な気迫に、部屋から酸素を抜かれていくように息が苦しくなる。


「ねえ、天音あまね……それって、amaneを……このバンドを解散するって意味だよね?」


「……うん、そうだよ」


 しっかり頷く市川。


「そんな……」


「そんなのって、ないじゃん……!」


 沙子さこ吾妻あずまが堪えきれず目を伏せる。


「今日、今、この瞬間にか?」


 代わりに、というか代表して、おれが尋ねると、市川は首を横に振る。


「ううん。ちゃんと終わらせたいんだ。前に進むために、有終の美を飾る。最高のライブをして——未来に鳴らすようなライブをして、それで……ちゃんと、終わらせる」


「12月のロックオンで?」


「うん、そうだね……。ううん、他のバンドを巻き込んじゃうのもなんだから、別の日にワンマンとかでもいいかもしれないけど……」


「分かった。まあ、それはちょっと考えよう」


「小沼はなんでそんなに普通にしてんの!?」


 淡々と事務的に話を進めているのが気に食わなかったのだろう。吾妻が大声をあげて、おれを睨む。


「おれたちは、バンドだ。4人でamaneだ」


「だったら!」「だから!」


 大声で遮るおれに驚いたのか、吾妻がひるんだ。


 すまん、別に怖がらせたかったわけじゃなくて。


「……4人でamaneだからだよ。4人まとめて縛ったバンドなんだ。……1人でも抜けるなら、バラバラになるしかない」


「それは分かるけど、でも……だから、抜けないようにって説得とかしないの……!?」


「自分の気持ちに嘘はつけないだろ」


「……!」


「メンバーがこれを言ってるんだ。誤魔化したら、……本調子じゃないメンバーがいても続けられるってことになったら、それこそ、おれたちはamaneを否定することになる」


「……そうかも、しれないけど……」


 普段は吾妻が言いそうなことなのに、少し意外だ。


 でも、吾妻がそういてくれるから、おれはきっとまだ冷静でいられるのだろう。


「だったらおれは、何がなんでも最高のライブをやる。そしたら——」


 言いかけた淡い願いは飲み込んで。


「——ちゃんと終えられるだろ」


 そんな言葉に代替した。


「……ほら、ゆりすけ、笑って」


「笑うって、今そういうんじゃ——」


 吾妻が顔を上げて息を呑む。


 そこには、口角をしっかりと上げて優しく笑う、沙子の姿。


「前に進もう。きついけど、寂しいけど、悲しいけど。でも、ゆりすけの歌詞も、拓人の曲も、……市川さんだって、ここにとどまってていい人じゃない」


「さこはす……!」


「ゆりすけの言葉で、世界をひっくり返すんでしょ?」


「さこはすは、どうするの……?」


 沙子は、そこで、決意の炎を瞳に灯す。


「うちは——それでも、市川さんの後ろでベースを弾く。選ばれるように死ぬほど練習する」


「プロのスタジオミュージシャンになるってこと?」


「そうだよ。今、宣言した。誰にも選ばれなかったうちが、自分で選んだこと」


「……どうして?」


「音楽を届けたい人がいるから。うちなりの決意と、覚悟だよ」


 吾妻は、「決意と、覚悟……」と口の中で呟く。


 そして。


「……そっか、そうなんだ。さこはすも、天音も。……決めたんだね」


 と、市川の顔をみる。


 市川は、真顔でそっと頷く。


「分かった。それなら」


 吾妻は立ち上がり、そっと前に右手を出す。


「あたしは、世界をひっくり返すために」


「うちは、せめて自分の選択を貫くために」


「私は、……胸を張って歌えるために」


「おれは……夢に手を——」


 多分、そんな覚悟じゃないんだ。


「——夢を叶えるために」


 そう言いながら、右手を市川の右手の上に重ねる。


 ……「おー!」の掛け声はなく。


 お互いがお互いを見合って、静かに頷くだけだった。





 1時間後。


 おれと市川は2人で、新小金井駅の前の公園のベンチに座る。


 吾妻と沙子は用があるとかいって、どこかにいってしまった。


 ここは、いつしか、おれが正座をさせられたベンチ。


 あの時、おれはなんであんなに叱られたんだっけ……?


 ……ああ、市川に何も言わずに帰ったからか。


 今こうしてみると、なんて平和ないさかいだったんだろう、と思う。ていうか、お前ら付き合ってねえんだろうが。


「……本気、なんだよな」


 帰り道、おれは市川に尋ねる。


「うん。冗談でこんなこと言わないよ」


「だよなあ……」


 さすがに冗談だと思っていたわけではないが、一応話題にあげる。


「みんな驚いてたな」


「……そうだね」


「突然だったもんな」


「それでね、小沼くん」


 ……なるべく、遠回りしたかったんだけどな。


「……うん」


 何を言われるか、鈍感と言われるおれでも分かる。





「私たちも、解散しよう。今、ここで」





「……どうして?」


 みっともないと思う。情けないと思う。それでも。


「だって、バンドがそうだったとして……それとこれとは、話が違うだろ?」


「違わないよ」


「どうして……?」


「こうなっちゃったら、このままじゃ……このままじゃいられないんだ」


「どういうことだ……?」


「これ以上は、何を言っても、意味がなくなっちゃうから、言えない」


 そう言われてしまうと、もう何も言えない。


「ねえ、小沼くん。自分勝手だって分かってるし、何言ってんだって思われるかもしれないんだけど」


 声を震わせて、彼女は。


「最後に一つだけ……お願いがあるんだ」


「お願い……?」


 夕暮れ色の空気が、おれたちを包む。


 それはまるで、あの日の教室のようで。






「小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?」






「それは……」


「私は、『市川天音』として、もう一度デビューを目指す。だから、ゴーストライターなんかじゃなくて……小沼おぬま拓人たくとの曲を、市川天音のために、私のためだけに、1曲作ってほしい」


 市川天音の作った曲で再デビューをするべきなんじゃないか、とよぎるが、そんなことはきっと彼女にも分かっている。


 ただ、そんなことじゃなくて、市川は……市川も、おまもりが欲しいんだろう。


 バンドamaneに背中を押されて、その一歩を踏み出したいんだろう。


「……わかった、おれの曲を市川に渡そう」


「……本当に?」


 市川がすがるようにおれを見る。


 おれはもう一度うなずく。


「だけど、1つ条件がある」


「条件……わかった。今度は・・・1つなんだね」


 未練がましいだろうか。


 それでも、おれはそっと伝える。


「いつか、遠い未来でもいい。いくらでも待つ。だから——」


「……!」


 その先を予想したらしい天音は何かをこらえるように目を見開いた。






「——amaneの曲を、天音の声で聞かせてほしい」





 すると、市川の瞳が赤くなっていく。






「amaneは、おれの誇りなんだ。」

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