第7小節目:すべりだい

「500万……!?」


 リスナー投票の落選から2週間と少しが経ったある日。


 放課後になってこっそり覗いたYouTubeの画面に、つい声が漏れる。


 つい昨夜、IRIAイリアのアップした『おまもり』のカバー動画(リリックビデオ)が、24時間足らずで500万回再生を超えていた。


 下にスクロールすると、追いきれないほどのコメント。




『激しい曲だけだと思ってたけど、バラードも完璧とかIRIAえぐすぎ』

『またIRIAが神曲作ってる』

『これカバーって書いてあるよ。無名の新人の。もしかして、IRIAの別名義?』

『ほんとだ、作詞・作曲の人、調べてもSNSすら出てこない』

『無名な人の曲だって、IRIAにかかれば神曲になることが証明された』





「無名な人が良い曲を作る可能性があるって、どうして思えないかなあ……」


「うお、市川」


 右耳から声がして振り返ると、至近距離、市川いちかわが珍しくイライラした様子で顔をしかめていた。


 ふわりと香る爽やかな匂いと、何度見ても見慣れないきめ細かい肌と整った顔にのけぞるおれを一瞥いちべつして、


「すごい勢いだね、IRIAさんの『おまもり』」


 と話しかけてくる。


「だ、だな……」


 なんだかまずいところを見られたようなバツの悪さを感じながら、スマホの画面をさっとロックした。


 目があって、市川は鼻から軽くため息をついたかと思うと、


「……スタジオ、行こっか」


 と、教室を出ていった。


「おう……」


 今日は、amaneの練習の日だった。






「あの一年がここまで注目されてるとは思わなかったね」


「いや、IRIAの動画でも、ここまで速く再生が回ることはあんまりないっぽい……」


 沙子さこが0.数ミリ眉を上げて驚いたように言うと、なかば呆然とした感じで吾妻あずまが返した。


 当然であるが、市川とマックに行ったあと、沙子と吾妻にも相談した上での、IRIAへのカバーの許諾だった。


 「市川さんがいいならいいんじゃない」「ちょっと聞いてみたさはあるよね」という感じで、ほぼ二つ返事だった2人だが、きっとここまでのことになるとは思っていなかったのだろう。


 ……そして、2年4組ベーシストコンビは、さっきからイライラした様子の市川天音をそっと見やる。


「……で、市川さんが言い出しっぺなのに、どうしてそんなに不機嫌そうなわけ」


 市川の表情をうかがってビビっている吾妻に代わり、沙子が単刀直入に尋ねる。


「不機嫌って……。だって、コメント欄見た?」


「……見たけど」


 静かに答える沙子に、「だったら分かるはずだよ!」と市川が大きな声をあげる。


「作ってる人が無名だとかなんとか、そんなのばっかり! 作ってる人のこと——小沼くんと由莉のこと、なんだと思ってるのかなって思って!」


「ふああ……」


 それで、吾妻が安心したようにため息をつく。すんでのところで耐えたが、おれも同じ心地だ。


 市川がなんかもっと別のところに怒ってるのかもしれない、と思っていたから。


 沙子のいう通り『市川さんが言い出しっぺ』に近い状況なので、この動画がバズろうが何しようが、後ろめたく感じる必要はないはずなのに。






 ——いや、後ろめたく感じている本当の理由は、おれの胸中にこそあるんだろうけど。




「天音、そんなもんだよ。無名な人は価値がないって思ってる人は結構いるよ。有名ってそれだけで推す価値があるから」


「それってどうしてなのかな? 無名だってなんだって、目の前に出されたものが良いものなら価値があるんじゃないの?」


「推しが成功すると、その人を推していた自分自身に審美眼センスがあるって思えるんだよ。逆に、失敗する人を推していたら、自分にはセンスがないって思われちゃうでしょ? だから、無名な人には賭けベットしない。成功確率が高い人のことしか、推さない」


「うーん、納得いかないなあ……」


「まあまあ、そんなもんだよ。競馬だってなんだって、別に自分の好きな馬を応援するわけじゃなくて、勝ちそうな馬に賭けるわけだからさ」


「別に好きなものが成功したってお金が儲かるわけじゃないのに?」


「お金よりももっと大切なものを賭けてるからね。信用とか、承認欲求とか、そういうもの。だから、逆に言えば、それが人気なものなら、自分が理解できなくても必死についていこうとする。分かっているフリをする」


 吾妻は自嘲するみたいに、ふっと笑う。


「……好きなものを好きだって胸を張るには、現代いまはリスクが大きすぎるよ」


「ふうん……」


 むくれたままの市川はどうにも可愛らしいというか、なんというか。


「裏を返せば、無名だって、『絶対に成功する』と信じさせる強さがあれば、推してもらえるんだろうから。結局は力量の問題だよ。……でも、怒ってくれてありがとうね、天音」


「ううん。私は2人の曲と詞が大好きだよ。この先、何があっても」


「amane様……!」


「おい信者……」


「ていうか『何があっても』は重いと思うけど……」


 沙子が0.数ミリの苦笑を浮かべて、ツッコミを入れる。


 と、そこに。


 窓の外、金髪一年生・広末ひろすえ亜衣里あいりが顔を出した。




「どうしたの、一年」


「こんにちは……なのです、ハスサコ先輩。タクトさんと、アズマユリさんに用があるの……ですよ」


 沙子が防音扉を開けると、変な敬語になった広末が応じる。ていうか、敬語のサンプルが平良ちゃんになってる?


「ん? あたしたち?」


 吾妻が首を傾げた。


「ええ。あなたたちの連絡先を知りたいって、ウチ宛に連絡があったの」


「誰から……?」


「株式会社ベクトル。ウチに声をかけてきている音楽プロダクションよ」


「それって……」


 ベクトルは、バディ・ミュージックと双璧をなす大きな音楽プロダクションだ。


「ええ、」


 もしかして、と目を見開く吾妻とおれの顔を真顔で見て、広末は告げる。




「あなたたちを事務所所属の作曲家・作詞家としてスカウトしたいそうよ」




「まじ……?」「嘘だろ……!」「……!」


 そのしらせに驚嘆する3人の脇で、


「……うん、思った通りだ」


 市川天音だけが薄い微笑みを浮かべていた。

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