第6小節目:愛のしぐさ

「——くん? 小沼おぬまくん?」


 目の前で「もしもーし」と手を振られて、顔をあげると、吉祥寺きちじょうじのマック。2人掛けのテーブル、向かい側では、市川いちかわいぶかしげにおれの顔を覗き込んでいた。


「ああ、すまん……」


「ずっとうわそらだね?」


「ああ、すまん……」


「『ああ、すまん……』」


 市川が、少し低めの若干捻くれた男子高校生みたいな声で言ってくる。


「何それ、誰かの物真似……?」


「『そうなあ……』」


「悪かったよ……」


 おれが謝ると、市川は「あはは」とやっと楽しそうに笑ってくれる。


「何あったの?」


「『何あったの?』じゃなくて?」


「何もないのに上の空になるほど、私の恋人はひどくないから」


「おお、市川……!」


 信頼が嬉しい……!と目を輝かせると、「あれ?」と市川は首をかしげた。


「いや、そうでもないかも……?」


「おい」

 

 ……まあ、上の空だったことはあるよな。


「それで、何があったの?」


「いや、実は……」


 おれは、昼休みの広末ひろすえ平良たいらちゃんとの会話を思い出す。



* * *


「一つ、あるんだけどね。パーソナルな曲わたしのうたを、みんなのうたに出来る方法が」


「それって……?」「なんなのです……?」


 首をかしげるおれと平良ちゃんに、広末は人差し指を立てて教えてくれる。


「あなたたち自身じゃない演奏で聴かせればいいのよ。もっと平たくいうなら……第三者に提供するのね」


「うん。……うん?」


 分かるような、分からないような。


「つまるところ、現状は感情を込めすぎてしまうのが問題なのよ。例えば、めちゃくちゃ怒って、怒鳴どなっている人がいるとするでしょ? その怒っている人からエネルギーは感じるでしょうけど、その人に共感して同じ温度で怒るというのはなかなか難しいことじゃない?」


「それは、そうだな」


「ライブにはエネルギーが必要。でも、音源にエネルギーが乗ることはまれなの」


「それは、この間のレコーディングで日千歌ひちかさんもおっしゃってましたね……!」


 平良ちゃんが、合点がいったように挟み込む。


 日千歌さん——広末日千歌さんは、おれたちの『おまもり』のレコーディングエンジニアをやってくれた人で、広末亜衣里の実の姉だ。


「まあ、エネルギーが乗った音源が悪いってわけじゃないんだけど……ウチは、音源には『共感』が必要だと思う」


「どうしてです?」


「音源は『身にまとう』ものだからよ。今時、スピーカーの前にじっと座って目をつぶって『音楽鑑賞』をするような人なんてほとんどいないでしょう?」


「それは、まあ……沙子のお父さんとかはそういうタイプだったけど、まあ多数派ではないよな」


「は、ハスサコさん……」


 広末の顔がひきつる。広末は沙子に『敬語使えよ、一年』と言われてビビり散らかしたことがあり、沙子を畏怖しているところがある。


「と、とにかく。音源は気分に合わせて着替えるものなの。だから、聴く人を、その景色の主人公にするような、そんな共感性こそが、音源には必要なのよ」


 ライブにはエネルギーが必要で、音源には共感が必要。


「……そっか。おれたちの曲は、おれたちが主人公だから」


「そういうこと。だからこそ、他の人がその曲を『着ている』ところを見せてあげればいいってわけ。当事者じゃなくてもできる解釈で、当事者じゃなくても理解できる良さを伝えてあげるのよ」


「なるほど……」


 感心していると、そこで、


「ちっ……」


 広末は舌打ちをする。


「ミスったわね……」


「ミスった? 何を?」


「この話の流れだと、言えなくなっちゃったじゃない」


「だから、何をです?」


 前のめりになった二人を細目で見て、


「あのね、信じてもらえないと思うんだけど、元々お願いしたいと思ってたことがあるの」


 と告げた。


「お願い?」


「別に手を差し伸べるとかそんなんじゃなくて……あなたたちがよければ、この曲をカバーしたい」


「誰が?」


「う、ウチに決まってるでしょ。……言わせないでよ」


『青春なんて嘘っぱちだ』という曲で一躍時の人になったIRIAは、おれの目を見て言う。


「ウチ、あの曲に『青春』を感じたの。嘘っぱちじゃない、青春を」


* * *


「カバー……」


「らしいよ」


「ほえー……」


 おれの話を聞いた市川さんは、なんかアホの子みたいな反応を返してくる。


「というかさ、カバーって、別に許可取らなくても出来るものじゃないの? 流行ってる曲を流行ってるっていうだけの理由で再生回数稼ぐためにカバーしてる歌い手の人とかよく見かけるよ?」


「え、どっからそんな毒出てきたの?」


「毒っていうか……別にこの曲好きじゃないのに歌ってるんだろうなっていうのは、聴いたら分かるもん」


 市川は拗ねたように唇をとがらせる。なに、本当に何があったの?


「まあ、とにかく……それは、JASRACに登録されてる楽曲だから。『おまもり』は、そうじゃないからおれたちの許可が要る」


「そうなんだ、なるほど」


「まあ、多分広末が気にしてるのは権利的な問題じゃなくて、おれたちの心情のところだと思うんだけど」


「そっかあ……」


 ふむ……と少しだけ考えてから、市川は薄く微笑んで、


「……私は、いいと思う」


 と言った。


「そうなのか?」


「うん。それだけいい曲だと思ってくれたってことでしょ? 素直に喜んでいいことだと思うけどな。アレンジとかもIRIAさんがするんだよね? それって面白そうだし」


「それは、そうなんだよなあ……」


 おれも内心思っていたことではある。


 落選したとか知り合いとかそういうの全然関係なく、シンプルに、カバーされてみたい気持ちはある。めっちゃある。他の高校とかでもカバーしてライブしてくれ。その動画を送ってくれ!……とすら思う。


「落選したこのタイミングなら、審査に影響ないから『売名!』とかも言われないだろうしね」


「まあ、それはたしかに」


 なんか市川のネットリテラシーが急に上がっているような気がしているけど……。


「そっかあ、別の人が歌うamaneの曲かあ……。あれ、なんか興奮してきたね?」


 市川はなんだかテンションが上がってウズウズすらしてきているらしい。


「よし、沙子さんと由莉にも聞いてみよう」


 市川はラインか何かでバンドのラインにメッセージを送りながら、ふと、こう呟いた。


「——ちょうどいい機会だしね」


「ちょうどいい機会?」


 おれが尋ねるのを無視して、打ち込み終わったらしい市川はスマホをテーブルの上に置いて、


「ねえ、」


 不意に、テーブルの向こうから手を差し伸べる。


「手を繋ごう、拓人たくとくん」


「ん……?」


 拒否する理由もなく、おれはズボンで手汗を拭って、それを握る。


 ぎゅうっと、少し強く握り返される。じんわりと、彼女の体温が伝わってくる。


「うん、この感触」


 それは手を繋ぐと言うよりは、まるでお別れの握手みたいだったけれど。

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