第19小節目:Y氏の夕方

「ごちそうさま」


「ごちそうさまー!」


 夕飯を食べ終え、妹と共に手を合わせると、ちょうど、スマホが震える。


波須沙子『拓人ごめん。うちら、もうすぐ出かけるかも。アンプ、持ってこられそう?』

小沼拓人『ちょうど飯食い終わったからすぐ行く』


 出かけるってどこにだろう。ファミレスとかだろうか。


「……よし、行くか」


「あれ? たっくんどこ行くの? 外寒いよ? アイス買いに行くの? ハーゲンダッツ? ゆずのため?」


 ご飯を食べ終えてからおれが上着を着始めると、飼い主が出かける時の犬みたいにそわそわしながらおれの周りを回りながら質問してくる。……いや、後半、私利私欲が過ぎて可愛くないよ。


「ちげえよ、沙子さこの家。これ届けに」


 おれは足元に置いていた小型アンプを持ち上げる。


「アンプ? なんで? 沙子ちゃん持ってないの?」


 けろっと発された質問におれは驚き、あんぐりと口を開けた。


「え、どうしたのたっくん? カバの真似?」


「お前、いつの間に、アンプなんて言葉を覚えたんだ……?」


「……べ、別にいいでしょ!」


 おれが指摘すると、ゆずは頬を赤らめてそっぽを向いてしまう。


「いや、なんでそこでツンデレだよ? なあ、もしかして楽器に興味あるのか? 教えてやろうか? ギター? ベース?」


「うるさい! まじでやだ!」


「んなっ……!」


 ちょっと、奥さん聞きました? 手塩にかけて育てた妹にマジトーンで『まじでやだ』って言われましたわよ……!


「そうじゃなくて、なんで沙子ちゃんにそれ届けるの?」


「反抗期なのか? ゆず……。あんなにお兄ちゃんっ子だったのに……」


「お兄ちゃんっ子だったことないから! いいから答えて!」


 おれは「はあ……」と、ため息で悲しみを逃がしてから答える。


「今日泊まりで沙子の家に一緒に楽器の練習をしにきてるやつがいるんだよ。それでアンプが2ついるんだってさ」


「ふーん? ……え、それってもしかして、天音あまねちゃん!?」


「天音ちゃんじゃねーよ」


 ツッコミの勢いで『天音ちゃん』とか呼んでしまったことに一瞬遅れてから気づいて、咳払いをする。


「……別の人。吾妻あずまっていう人」


 そして、なんとなく誤魔化すためにいらん情報を伝えてしまった。


 すると、案の定。


「アズマユリさん!? ゆず、会ってみたい!」


「会ってどうするんだよ……」


「ご挨拶! ゆず、お兄ちゃんっ子だから、お兄ちゃんの友達には会いたい!」


「いや、そんな都合良い時ばっかり……」


 そこまで言いながら、妹の輝いた目を見て、諦めた。


 どうせ沙子の家は知ってるわけだから、置いていこうが関係ないだろう。


 ふう、と呆れ笑いを浮かべてから、肩をすくめて、たった一つの条件を伝える。


「しょうがねえな……。じゃ、お前がアンプ運べよ?」


「それはやだ!」


 ……うん、良い笑顔だね、ゆずちゃん。




 兄妹でたらたら歩いていくと、沙子の家に到着する。


 と、同時、玄関からさこはすママと沙子と吾妻が出てきた。


「あ、小沼だー」


 吾妻がこちらに気づいて手を振ってから、視線を横にずらす。


「……え、浮気?」


「いや、こいつは……」「や、やめてくださいよ! なんでこんな男と!」


 おれが弁解(?)しようとすると、ゆずが無駄なムーブで遮る。


「え、第2のツンデレ系幼馴染……!?」


「相変わらず仲良しだねえ、たくちゃんとゆずちゃんは」


 戸惑う吾妻の脇で、さこはすママがおっとり笑う。


「ゆりすけ、これ、拓人の妹」


「こんにちは! 兄の妹の小沼ゆずです!」


「ああ、なんだ、びっくりした……。ちょっと燃えるシチュとか思った……」


 なんか、今の「もえる」、炎上的なニュアンスじゃなかった?


「えっと、はじめまして、吾妻あずま由莉ゆりです。小沼とは……いや、妹ちゃんも小沼か……。えっと、た、たた、タクト君の……え、あたし、タクト君の何だ?」


「テンパんなっつーの……。ゆず、ゆりすけは、うちのバンドの作詞担当ね」


 謎に目を回し始めた吾妻の脇で、沙子が他己紹介した。


「なるほど、由莉ねえさんですね! よろしくお願いします!」


「はぅっ……! あたし、初めてねえさんって呼ばれて嬉しい……!」


 なんでゆずはこんなに吾妻ねえさんに刺さってんの? ていうか、ゆずも一発で吾妻をねえさんだと見破るあたり、吾妻からはやっぱり姉性(母性の姉版)が溢れ出てるんだな……。


「ていうかどこに出かけんの?」


「スーパー銭湯。うちのお風呂はパパも入るから、ゆりすけを入れるわけにいかないかなって」


「そ、そうすか……」


 いや、なんかいろんな意味で生々しい。主に、男親の扱いの部分で。しかもなんか、まあそうだよなあっていう感じがする。納得感がやばい。


「一応言っとくけど、別にあたしがいやって言ったわけじゃないからね? あたしが入ったお湯なんて別に何の価値もないし……」


 吾妻が恥ずかしそうにぶつぶつ言ってるけど、それはそれでなんとも言えな過ぎるんだけど……。『そうなあ……』とも、『そんなことないよ、価値あるよ!』とも言えない。罠だ。


「たくちゃんとゆずちゃんも行かない? タオル貸すよー?」


 社会的に死なないための回答を考えていたら、さこはすママが助け舟を出してくれた。


「いえ、おれたちは」「はい、行きたいです!」


 おれが断ろうとしたところを、わざわざゆずが遮ってくる。


「おい、ゆず……あんまり面倒をかけちゃダメだろ……」


「面倒だって! たくちゃん、もー今さら遠慮なんてしなくていいのに!」


「たくちゃん呼びもいいな……」


 吾妻がぼそりとつぶやく。


「ほら、沙子ちゃんママもこう言ってくれてるよ?」


「そりゃ沙子ちゃんママはそう言うよ。でも、うちにも風呂あるだろ? おれが沸かしてやるから……」


 おれが退散しようとしていると、


「ねえ、たっくん?」


 ゆずは上目遣いで、おれの右手を両手で包んで、瞳をうるませる。


「……ダメ、かな?」


「っ……!」


 ……おれは、ゆずのこれに弱い。


「め、迷惑かけないなら……!」


「やった! ありがとうね、たっくん!」


 飛び跳ねて喜ぶ妹と、あっさり敗北して肩を落とす兄。


 その横で、吾妻が沙子の袖をくいくいっと引く。


「ねえ、さこはす。なんか小沼の妹ちゃんのやりくちって、」


「……それ以上言わないで、ゆりすけ」


「天音に似てない?」


「言わないでっつってんじゃん……」

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