第18小節目:ふがいないや

 学校のスタジオでの練習が終わり、吾妻あずまと、部活上がりの沙子さことの三人で、電車に揺られる。


 もちろん学校を出た時は市川いちかわも一緒だったけど、名残惜しそうに、恨めしそうに吉祥寺きちじょうじで降りていった。恨めしそうにされてもな……。


「へえー……これがさこはすと小沼おぬまが毎日見てる車窓の景色……!」


 青春部部長は窓に両手をついて、外を眺めて目を輝かせている。


「そうなあ……」「いや、普通の景色でしょ……」


「そういう当たり前の景色っていうのが、すごく大切なんだよ……! ほらほら、二人もちゃんと目に焼き付けといた方がいいよ?」


「「ああ、うん……」」


 おれと沙子のつれない態度にえるどころか、なんか知らんけど逆に車窓からの景色をおすすめしてくる吾妻ねえさん。


 それにしても、吾妻が一夏町につながる電車に乗っているのがすごく新鮮な感じがする。


「拓人は、結局あの人に教えてもらえることになってよかったね」


「ああ、そうなんだよ」


 沙子は、車窓に夢中になっている吾妻を微笑ましそうにみてから、おれに話を振ってくる。ここまでの道中で神野じんのさんにドラムを教われることは伝えていた。


「市川さんはどうするんだろう」


「それ、悩んでたよ。とりあえず基礎練習頑張るって言ってたけど」


「まあ、あの女の場合は、変に教わるよりも、自己流をちゃんと伸ばしていくのがいいかもね。耳良いし」


「そうなあ……」


 たしかに、教われば良いってものでもないだろう。……が、どこかでこっそり本当にそれでいいのか、他にツテはないのか、有賀ありがさんに聞いてみた方がいいかもしれない。頼っていいのか分からないが、頼って怒られたら、その時はその時だ。


「そんで、あの子も今頃頑張ってるのかな」


 沙子さこがぽしょりと口にする。


「あの子?」


「ゆりすけの弟子」


「ああ、平良たいらちゃん」


 師匠の方を見ていたら、思い出したのか、ふとそんなことを言い始める。


「夏までは人を呪うようなことばっかり言ってて向上心のかけらもなかったのに」


「いや、そこまででは……」


 否定しかけた言葉を飲み込んで苦笑いする。


「……まあ、たしかにそうだったかもな」


 平良ちゃんは吾妻あずまに出会って、大きく変わったのだと思う。


 すべてを投げ打ってでも青春をまっとうしようとする彼女の生き方に心を打たれて、自分もそんな風に生きると覚悟を決めた。


『自分はこのままじゃ、半年後、ロック部を背負って立つ人間になれません』


 正直、ロック部の部長には、立候補さえすれば余裕でなれると思う。


 市川だって、ロック部専属の部員が市川しかいないから部長になっただけらしいし、そもそも他に希望者がいるわけでもないだろう。


 だけど、ロック部の部長になるというのは、彼女にとっておれが思っているよりも大きな意味を持つのかもしれない。


「ミキシングって手があったこと、うちは気づかなかった」


「ん?」


 横で発されたやや唐突とうとつなその言葉に首をかしげると、沙子は続ける。


「うち、決めたんだよね。このバンドで、amaneで1番になるって。それがうちにとっての競争キョウソウだって」


「……そうか」


 曖昧あいまいにうなずくおれを横目に、


「……なのに、やり方が全然分かんない」


 と、つぶやく。


「何回それ言うんだよって拓人たくとは思うだろうけど、うちは、何も持ってない。作詞も、作曲も、歌も、何も」


 たしかに、沙子はそれを、ことあるごとに言っている。


 そして、おれはいつもそれを上手に否定する言葉を返せずにいた。


「『自分にしか出来ないことがあるのかなんて、どうでもいい』ってamaneも歌ってるけど、うちからしたらもう、市川さんも拓人もゆりすけも、みんなそれを見つけてる」


 沙子は淡々たんたんと、事実だけを述べるように。


「でも、うちだけは代わりがくって、どうしても思っちゃう」


 そう、口にする。


「それは……」


「そう、思っちゃうこと自体が問題だから」


 なんとか否定しようとしたおれの言葉はさえぎられてしまう。


 おれがどんな言葉を伝えても、沙子がそう思うなら仕方ないのかもしれない。


 ……いや。


『だから、何も言わなくていいよ』っていう沙子の優しさにおれはまた甘えてるだけなのだろうか。


 実際、答えが出ていないんだ。


 もちろんおれは、沙子が抜けたらバンドamaneではなくなってしまうと思っている。それは嘘偽りなく思っている。この指先を全部賭けてもいい。


 だけど。


 それは何度も伝えている上で沙子はその思考にハマっているし、それに、何度も伝えたところで、それはただの「友達ごっこ」や「仲間ごっこ」みたいに聞こえてしまうだろう。


『理由はないけど、沙子のベースがいいんだ』


 ……そんなのでよければいくらでも言ってやれるけど。


「よく、悔しさをバネにとかって言うじゃん」


「……言うなあ」


 そして結局、反復するだけのあいづちを打つことしか出来ない自分のももをそっとつねる。


「でも、うち思うんだけど、嫉妬しっとって、そんなに爽やかな感情じゃないよね」


「どういうこと?」


「うち、嫉妬って、もっと、『ぬかるみ』みたいな感情だと思う」


 嫉妬の専門家を自称したことのある沙子は、ベースケースのジッパーを指先でいじりながら続ける。


「嫉妬って、もっと、ドロっとしててヌメヌメしてる。それに足を掴まれて、抜け出すことなんか全然出来ないし、立ち上がるだけだって難しい。出来ない」


「……そうかもな」


 おれはその言葉を聞きながら、昨日市川のエレキギターとか歌を録っていた時の感情を思い出していた。


 ……あれはたしかに、そんなに爽やかな感情ではなかったな。


「それをバネにして上を目指せる人なんか、うちからしたら異常。……本当にすごいと思う。皮肉でも、嫌味でもなく」


「でも、」


 おれはそこで沙子の話を遮る。


「それを認められる沙子は、本当にすごいと思うけどな」


「……情けないよ、うちは」


 だけど、おれの励ましじみた本音ほんねはやんわりとおれの胸元に押し戻されてしまった。


「でもね、さこはす」


 ずっと窓の外を眺めていたはずの吾妻がいつの間にか真剣な顔でこちらを見ていた。


「『さこはすは代わりが利かない』って言うのを説得する方法は正直あたしには思いつかない。というか、残念ながら、代わりが利くのは、あたしたちの場合、別にみんな一緒なんだよ」


「一緒って、何」


 沙子はわずかに首をかしげる。


「全員、代わりが利くって意味。あたしが歌詞を書かなくたって、天音が書くし、小沼が曲を書かなくたって、天音が書ける」


「……でも、じゃあ、市川さんはやっぱり特別じゃん」


「いやいや、そんなことないんだな、それが」


 ちっちっち、と持って回ったような言い方をして、得意げな笑みを浮かべた。




「天音が曲を作れなくたって、小沼が曲を作れるし、天音が歌詞を書けなくたって、あたしが歌詞を書けるから」




「吾妻……」


 ……ずっと、これが言えなかったはずの吾妻が、胸を張ってこんなことを言えるようになった。


 それは市川を叩くことが出来たことなんかよりもずっと、彼女がただの信者なんかじゃなくなっていることの証左に思えた。


「だから、結局最終的には代わりがきく人間であることに変わりはないんだよ」


「でも、市川さんの歌は、市川さんにしか歌えない」


 それでも、沙子は沙子でたくさん考えて悩んでいるだけあって、そう簡単には解決しないらしい。


「それはそう。それで、さこはすのベースは、さこはすにしか弾けない。そこに何か、違いはある?」


「うちには、うちのベースって言えるほどの個性はない」


「だから、練習するんでしょ? さこはすにしか出せない音を見つけるために」


「そう、かなあ……」


 吾妻の言ってることはおれには、腑に落ちるものがあったが、まあ、言葉だけで解決しろって言う方が難しいものかもしれない。



『まもなく、一夏町駅ひとなつちょうえきです』



 そんな話をしてたら、スピーカーから録音されたアナウンスが流れた。


「まあ、とにかく帰って練習だよ、さこはす!」


 吾妻が沙子の背中を押して、駅に降りる。


「分かったから、押さないで」


「押すよ。腕組んで考えてる暇あるなら、練習しないと。どうしても考えないといけないことなら、手足を動かしながら考えようよ」


「吾妻、それ……」


「ん?」


『腕組んで考えてる暇あるなら、練習しろよ。どうしても考えないといけないことなら、手足を動かしながら考えろ』


「……いや、なんでもない」


 やっぱり、先輩のこと、大好きなんだな、吾妻は。


「あ、そうだ。小沼、アンプよろしくね」


「任せろ、家まで届ける」

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