第12小節目:ME!!

「……ゆりすけ」


「さこはす……!」


 沙子さこのいつも以上に真剣な表情をみて、吾妻あずまが唾を飲み込む。


「沙子……」


 その眼差しが何を言いたいかは、読心術の使えないおれですら読み取れた。


 そして、彼女は頭を下げる。




「……ベースを、うちに、教えて欲しい」



「沙子さん……」



 そのお辞儀に、どれだけの覚悟があっただろう。どれだけの決意がこもっていただろう。



「……あたしで、いいの?」



 吾妻の質問に、





「うちは、バンドのためなら、鬼部長の特訓でも受けられるよ」





 沙子は0.数ミリ、口角を上げてみせた。



 吾妻の質問が、『厳しい練習メニューになるけどいいの?』という意味じゃないことくらい、沙子には分かっていただろう。


 だけど、彼女はその本意を無視した。


 そんな当たり前のこと、答える意味もない、というような顔をして。


 そこまで引っくるめて全部を理解した吾妻が、


「……分かった。じゃあ、覚悟してね」


 しっかりとうなずいて、少し微笑んだ。



 沙子は、本当に、かっこいいなあ……。




 ……いや、感心してる場合じゃない。だとしたら、おれはどうする?



 次のことを考えはじめたその時、


「あのあの、自分、思うのですが……!」


 平良ちゃんがおずおずと挙手をする。


「先輩方のご不満は、演奏技術を磨くだけでは解決しないのではないでしょうか……?」


「どういうことかな?」


 平良たいらちゃんの神妙な提言に、市川いちかわが首をかしげる。


「ミキシングとマスタリングが、まだ充分ではないかと思います」


「なるほど……」


 ミキシングとマスタリング。


 整音とも呼ばれる作業で、これはつまり、各楽器の音量や、録った音を理想的な音に近づける作業のことだ。


「料理にたとえるなら、まだこの状態は、素材を集めてきて、皮を剥いたり下処理をしただけに過ぎません。ここから、火にかけたり、調味料を加えたりして、やっと料理が完成するはずなのです。……というのは、ネットで読んだ知識ですが……」


 ふっと頬が弛緩しかんする。


 平良ちゃんは、おれたちのためかは分からないが、レコーディングについても、ちゃんと調べているのだ。


「といっても、プリプロなので、精度の高いミキシングをする必要はないと思うのですが、演出の部分は現段階で試しておいた方がいいようなのです」


「演出?」


 市川が首をかしげると、平良ちゃんが「ですです」と答える。


「このギターの音は右でだけ鳴らすとか、ここはボーカルをラジオから聴こえるみたいな音にするとか……」


「なるほど、たしかにそういうのあるね。そういうのもプリプロで試しておいた方がいいのかあ」


 おれは横でなるほど、と、うなずく。レコーディングの時間を短縮して完成度をあげようということであれば、その通りだろう。


「でも、そういうことなら、おれやってみるよ。正直エフェクトとかはあんまりいじったことないからチャレンジになるけど……」


「それなのですが、小沼先輩」


「ん?」


「もしよろしければ、自分にこちらの音源を預けていただけませんか? 3日……いや、2日で構いませんので」


 おずおずと平良ちゃんが挙手しながらそんなことをお願いしてくる。


「そりゃ、構わないけど……? どうして?」


「あのあの、そのその……」


「どうしたの、つばめ?」


 言いにくそうにもじもじとする平良ちゃんに、吾妻師匠が優しく問いかける。


 平良ちゃんは数回息を吸ったり吐いたりしたあと、





「……やってみたいのです」





 真剣な顔で、シンプルな意志を表明する。


「今、この音源を聴いて、もしかしたら、初めて自分がお役に立てるかもしれない、と思ったのです」


 続けて、一つ一つ、ゆっくりと、堅い決意を口にする。


「自分、この間のライブ、本当に感動したのです。師匠も、小沼先輩も、amaneさんへの憧れを乗り越えて、自分にしか出来ないことを見つけたのだとものすごく伝わってきました」


 それがもし伝わっていたのであれば、おれたちにとっても大事な成果だったと言えるだろう。


「でも、それと同時に気付いてしまったのです。自分は……憧れてばかりで、尊敬ソンケーしてばかりで、崇拝スーハイしてばかりで」


 一呼吸おいて。




「自分はこのままじゃ、半年後、ロック部を背負って立つ人間になれません」




 そう言い切った。


「ロック部を背負うって……」


 市川がつぶやく。


 たしかに平良ちゃんは部長になりたいと言っていた。


 でも、


「部活なんて……」


 と、そこまで言いかけておれも口をつぐむ。


 沙子がおれのズボンを軽く叩いた。


「この子の師匠は、ゆりすけなんでしょ」


「……そうだな」


 元器楽部部長の前で、とんでもないことを言いかけるところだった。


 彼女たちにとって、部活は『青春のすべて』をかける対象なんだ。


「歌も頑張ります、ギターも頑張ります。作曲も、作詞も、頑張ります。でも、まずは自信が欲しいのです。どころになる、自分自身が、欲しいのです」


 平良ちゃんは決意の光を目に灯して続ける。


「どんなに細い針の穴でもいいのです。自分が自信を持って『これは出来る』と言えることが、欲しいのです」


 おれは日々頼もしくなっていく後輩の目を見て微笑ほほえむ。おれが後輩と呼んでいい相手なのか、今となってはちょっと自信がないけど。


「それに、その分の時間で先輩方が練習に集中していただけるなら、これ以上嬉しいことはありません」


「……分かった。頼んでもいいか?」


「……はい、小沼先輩、ありがとうございます」


「ありがとうはこっちのセリフだろ」


 おれはデータをメールで平良ちゃんに共有しようとパソコンを操作する。平良ちゃんが「アドレスはですね……」と横から小さな指を添えていたが、そのうち、おれのパソコンの操作が遅くてじれったくなったらしく、自分の方に向けて超絶タイピングで打ち込み始めた。。


「これで転送完了ですっ! あ、届いてなかったらあとで連絡するので再送お願いしますっ! それでは、自分はここで失礼しますっ!」


「え、もう?」


 立ち上がった平良ちゃんはもうすでにリュックを背負っていて、


「居ても立ってもいられませんからねっ!」


 ニカっと白い歯を見せてからタタタッとスタジオを後にする。


「すげえなあ……」


「あれ、あたしの弟子なんですよね」


 吾妻がおれの肩に肘を乗せてドヤ顔を見せてくる。なんでだ。


「おれも頑張んないとなあ……」


 なんかいかにも青春の一ページみたいな良い雰囲気になったところ、


「ところでさ、拓人と市川さん」


 いつの間にかヘッドフォンをおれのパソコンに挿して聴いていたらしい沙子がこちらを見上げる。


「これ、市川さんのボーカルの後ろで鳥の声?みたいなのが微妙に入ってるように聞こえるんだけど」


「「え?」」


 その顔には謎の微笑みをたたえている。




「スタジオじゃなくてどっちかの家で録ったなんてこと、ないよね?」




 語尾の上がった沙子の言葉に戦慄せんりつするおれたち。


 沙子さん、耳良いんだね……!

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