第10小節目:兄妹

「……兄のこと、本気なんですか?」


「……どういう意味かな?」


 恋人の妹さんとふたりきりになったリビングで、彼女からの真剣な問いかけに私は少し身構えながらもその真意しんいを探ろうとする。


「いえ、その……天音あまねさんみたいに綺麗きれいで性格も良さそうで、しかも才能がある人は、恋人なんかさぞかし選び放題だと思うんです。その中で兄を選ぶ理屈が分からないといいますか……」


「いや、そんなことは……」


「もちろん、天音さんが兄をだましてるとか疑ってるわけではないんです。ただ、その……」


 ゆずさんは、何を言えば良いのか考えるように少し言いよどんでから、


「と、とにかく、」


 と、話を続けた。


「兄も人生初めての恋人で、しかもそれがこんなに素敵な人で、引くほど憧れていた人で、相当そうとう浮かれてると思うんです。だから、その……天音さんが、兄に好かれてるからとりあえず、みたいな感じで付き合ってるとか、そういうことなら、兄が深入りする前に、といいますか……」


 そこまで聞いて、私は妙に納得する。


 きっとこれが言いたくてゆずさんは小沼くんを家から追い出したのだ。


 1つは、小沼くんを傷つけないように。


 そして、もう1つは多分。


 ……「小沼くんの幼馴染」は、ゆずさんの幼馴染でもある、ということなのだろう。


 もし本気じゃないなら、もっと本気な人がいるってことを、ゆずさんは知っているんだ。


「……ゆずさん」


 私は、苦笑いを浮かべてから、こほんと咳払いをして、確固かっこたる事実を伝える。


「私は、小沼くんと一生一緒にいたいと思ってる」


 ゆずさんが目を見開くのにうなずきを返して、私は続けた。


「……本当はね、こんな気持ち、手放した方が色々うまくいくんじゃないかって思うこと、沢山あるよ。ほら、小沼くんすごくモテるから……」


「……はあ?」


 うーん、私が傷ついちゃうくらい怪訝けげんな表情だ。


「別に気をつかわなくて大丈夫ですよ。そういった奇特きとくな人もものすごくたまにはいるというのはまあ認めざるを得ないと言うか知っているんですけど、でも、モテるってほどではないですよね?」


「……いやいや」


 その表情がやっぱり小沼くんに似ていて、なんだか気やすい感じで顔の前で手を振ってしまった。


「そんなわけあるんだよ。胃がキリキリするくらい、素敵な女の子たちに尊敬されて、したわれてる。私だって、現状はなんとか選んでもらえてるけど、明日にはどうなるか……」


「はあ……」


 ここまで言ってもなかなか伝わらないらしく、ゆずさんは相変わらず首を傾げている。


「私ね、ゆずさんも知っててくれた通り、amaneって名前でミュージシャンやってたんだけど、ちょっと事情があって辞めちゃって、それからずっと自分の歌が歌えなかったんだ」


「そうなんですか?」


 私は小沼くんと出会ってから7月のロックオンまでに起こったことのあらましをかいつまんで話す。


 自分の曲が歌えなかったこと、その理由(沙子さんがツイートの主であることは言わなかったけど)、由莉ゆり沙子さこさんと一緒にバンドを組んだこと、『平日』という曲を作ってくれたこと、あまり関係ないけど小沼くんは英里奈えりなちゃんという女の子を助けたこと、そしてロックオンで小沼くんが全身全霊で私が歌うのを応援してくれたこと。


 それは、まるで主人公みたいだったこと。


 そこまで話し終えるとさすがに印象が変わったのか、ゆずさんの怪訝けげんな顔がほおー……という顔になった。


「そうですか、そんなことが……」


「うん。小沼くんが私の歌声を取り返してくれたんだよ。私はそれに人生を救われて、変えられて。それから、何をしてても、かっこよく見えちゃうっていうか……。惚れた方の弱みっていうのかな」


 私の言葉を受けて、ゆずさんは頬をかく。


「……兄についてのノロケ話を聞くって言うのは、ちょっとなんか、あれですね……」


「ああ、さすがにちょっと聞き苦しかったかな?」


「いえ、なんていうか……」


 苦笑いをむけた私から視線をそらしながら少しにやけて。


「悪くない気分ですね」


 と。


「あはは、そっか」


 その笑顔を見ながら、兄妹きょうだいって本当に不思議ふしぎな関係性だなあと思っていた。


 私は一人っ子だからその本当のところはよく分かってないのかも知れないけど、こうして見ていると、同世代の肉親にくしんっていうのは、なんだか他にはたとえづらい絆があるものなんだなあ。


 そしてやっぱりそれをうらやましく思ったりもする。


 これは、沙子さんに対して感じている羨望せんぼうにも似ている。


 それこそ、私は、(そんなこと考えたくないけどあくまでも仮定として、)もし小沼くんと別れたりしたら何も残らず、赤の他人になってしまう。


 でも、ゆずさんは小沼くんとどんな喧嘩けんかをしても確固かっこたる関係性はなくならないだろう。


 ……沙子さんと小沼くんが何があっても幼馴染であるように。


 自分の唇がゆがんだ笑みを作りそうになったその時。


「……じゃあ、天音さん」


「はい」


 ゆずさんは両膝に手を置いて、改めて私のことを見据える。


「……中途半端なことだけは、しないでください」


 その表情は、小沼くんの妹でもあり、やっぱり、沙子さんの幼馴染としての顔だったんだと思う。


「……分かりました」


 しっかりと頷きを返したその時。


「ただいまー」


 と、小沼くんがわずかな冷気を連れて帰ってくる。


 自分の中の『嫌なやつ』を振り払うために首を横に振って、ゆずさんと一緒に玄関へと向かう。


「おかえり、小沼くん」


「た、ただいま……!」


 なんだか不意をつかれたようにもう一度ただいまを言う小沼くん。


「たっくん、天音ちゃん・・・と仲良くするんだよ!」


「はあ? 何言ってんの? ていうか、『ちゃん』?」


 そこまで言ってから小沼くんは何かに思い当たったのか、ギギギ……とブリキのおもちゃみたいな速度で私の方を見て、


「……え、市川、なんか話した?」


 と尋ねてくる。


 ……あれ、言っちゃいけなかったのかな?


「ゆず、たっくんのライブ観に行っちゃおうかなー?」


「やめろ、来るな、まじで」


「そんなこと言ってもいいのかなー? 天音ちゃんにたっくんがいつまでゆずとお風呂に入ってたか教えちゃうよ?」


「いや、それはお前が嫌がれよ!」


「たしかに!」


 小沼くんの普段は見せない表情や、なんだかんだ言ってもお兄さんになつききっているゆずさんとのやりとりに、私はずっと微笑ほほえましい表情を浮かべていた。


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