第9小節目:始まりの場所

「も、ももももももしかして、市川いちかわ天音あまねさんって……amaneなんですか!?」


 ゆずの質問に、市川は一瞬何を聞かれているのか分からなかったらしくキョトンとしていたが、ややあって、


「はい、そうです……!」


 とうなずいた。


「ちょっと、たっくん、どうかしてるぜ……!」


 ゆずは信じられないものを見る目つきでこちらを見てくる。なんだその語尾。


「ゆずってamaneのこと知ってたっけ? 声でわかるほど?」


 我が妹の市川への質問は当然、『バンドamaneのメンバーなんですか?』ということではなく、『シンガーソングライターamaneその人なんですか?』ということだろうが、おれはゆずにCDを貸したりした覚えがない。


「いやいやいやいや、隣の部屋であれだけヘビロテされたらさすがに覚えるって……! 2曲だけを一日2、30周してたでしょ……。ていうか、頭から離れなくてたっくんの部屋から勝手にCD借りてパソコンに取り込んだし……」


「まじかよ、言えよ。普通に貸してやったのに」


「やだよ、たっくん、この曲のどこがいいとかオタク特有の早口でめっちゃ力説してくるじゃん……」


「そうなあ……」


 ほんとそれ。今さっき市川相手にも発揮してたところ。


「そっか、そんなにたくさん聴いてくれてたんだ……」


 その脇でえへへ、とはにかむ市川。それは今さらじゃないですかね。


「え、ちょっと待って? それじゃあつまり、中学生の時から好きだった芸能人と高校でたまたま出会って、しかも最終的に恋人になったってこと?」


「えーっと……、うん、まあ……」


 改めてそう言われるとなんか……。


「そんなご都合主義的な展開ある……!?」


「まあ、そう思うよな……」


 ご都合主義も何も実際そうなんだから仕方ないんだけど……。ていうかそうか、市川は芸能人ってくくりになるのか。なんかそれはアレだな。


「ていうか、それを言わないとか頭おかしいよ……! ゆずがたっくんだったら自分が主人公の小説書いて『実話をもとにしたフィクションです』って注釈つけてwebに投稿するよ……!」


「しないだろ……。どんな自意識してんだ。本当におれの妹か?」


「自意識の問題じゃないよ、エンターテイメントとして提供するべきだよ! なんなら、ゆずが書いてあげようか? ゆず、国語の偏差値84あるよ!」


「書くな書くな、ややこしいから……! え、ていうかそんなに国語の偏差値良いの? 本当におれの妹か?」


 兄妹きょうだい同士、お互いに信じられない、という目で見合っていると。


「……なんか、由莉ゆりとのやりとりみたい」


 と、予想外の方向に頬を膨らませている市川がいた。





 それからゆずを落ち着けてから部屋に戻し、何度か歌を録り直す。


 市川の歌が録れば録るほど良くなるものだから何テイクも録っていたら、さすがの市川の表情にも疲れが見え始めた。


「すまん、疲れたよな。のどを壊したら元も子もないから、とりあえず今日はこれくらいにしよう」


「それで大丈夫かな?」


十分じゅうぶん録れてるから、一緒に聴きながら一番良いテイクを探そう」


 一曲通しで数テイクずつ録ってるから、部分部分で一番良いテイクを抜き出してつなげたら、全体としてベストの音源が出来上がるはずだ。


「……まだ終わってはないってことだね」


「そうなあ……。でも、いったん休憩しよう」


 長時間の作業でさすがに倦怠感けんたいかんを感じ始めたのだろう。一瞬市川の顔が曇った気がしたので、休憩を提案する。


「……そうだね。持ってきたケーキもまだ食べてないし」






 おれと市川がキッチンに行くと、なぜかそこに立っていたゆずが謎に苦しそうな顔をしながら、


「うぷっ……あ、たっくん、牛乳切らしちゃったみたい」


 と言ってくる。


「え、朝、パックの半分以上なかったっけ……。うわ、まじだ」


 冷蔵庫をのぞくとたしかになくなっているらしかった。


 ……ていうか。


「ゆずが飲みきったんだろ?」


「……なんで?」


「いや、そこに飲んだ痕跡こんせきがあるから」


 流しを見ると、白く曇ったグラスが置かれている。おれの推理力をめるな。


「たっくん、買ってきてよ」


 ゆずはおれの名推理を無視して厚かましくもお願いをしてきた。


「なんでだよ……。まあ、あとで市川を駅まで送る帰りにでも買ってくるよ。市川、コーヒー、ブラックでもいい?」


「うん、私は大丈夫!」


「ゆずはコーヒー飲めないんだけど! これからケーキ食べるんでしょ? ゆず、牛乳と一緒に食べたい!」


「いや、知らんて……。じゃあ自分で買ってこいよ。食べ始めるの待っててやるから」


 なんだこいつ、いつもよりもわがままだな。わがままっていうか理不尽りふじん


「……ふーん? そこまでして天音さんと2人になりたいんだ?」


「いや、そういうことじゃないんだけど……」


「いいから買ってきてよ! ゆず、今日誰のために家にいると思ってるの?」


「分かったよ……」


 それを言われてしまうと弱い。


 もう抵抗していてもらちかない感じもしたので、おれは仕方なく手近にあったコートを羽織はおって玄関に向かう。


 すると、ゆずと一緒に市川が後ろから送りに来て、


「小沼くん、いってらっしゃい。気をつけてね」


 と言ってくれた。おお、これは良い体験だ……!


「お、おう。行ってきます……」


「たっくん、ヘラヘラしてないで! 早く!」


「分かったよ……」


 せっかく噛み締めていたプチ新婚さん体験だが、妹に見られているとさすがに浸ることも出来ないので、おれはそっとドアを開けて歩き出した。



* * *


 かちゃり、とドアが閉まって小沼くんがコンビニに行くと、当たり前だけど、ゆずさんとふたりきりになる。


 なんとなくリビングに戻って、なんとなくさっきと同じ席に座る。


 そして、ちょっと気まずい沈黙が降りてくる。


「えっと……兄妹きょうだい、仲良しなんだね?」


「そうですか?」


「うん、そう見える」


「そうですか……」


 小沼くんに比べると口数は多いけど、相槌あいづちのレパートリーが少ないところは小沼くんの妹って感じがするなあ。


「あの……天音さん」


「ん?」


 勝手に微笑ほほえましく思っていると、ゆずさんが膝の上に手を置いてこちらを見つめる。


 そして、真剣な声音こわねで、真っ直ぐな質問を投げかけてきた。



「……兄のこと、本気なんですか?」

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