第8小節目:まぶしい人

 ……始まったばかりだったはずの戦いは一瞬で終わった。


 市川いちかわの中にんでいる気まぐれな邪念さんは、やっぱり市川の一部なだけあって、音楽に対しては誠実だったのだ。


 ついさっきまで頬を赤らめていたと思うのだけど、楽器をきはじめるとすっかりそちらに集中が向いて、他のことなんか突然どうでもよくなるらしい。


「へえ、音がアコギよりも全然伸びるんだね」


「そうなあ……」


「それで、このザラザラした音になるのがひずみのエフェクターってことかな? このザラザラ感をもうちょっと薄めたい時はどうすればいいの?」


「ここで調整できるよ」


「なるほどなるほど……」


 しかも、さすがの成績優秀者だけあって覚えがめちゃくちゃ早い。


「ねえ、このリバーブってギターにかかってるの? それともマスタートラックにかかってるの?」


「ああ、それは今はギターだけに……、って、そんな言葉どこで覚えた!?」


「え? 小沼おぬまくんがさっきぶつぶつ言ってたよ?」


「そうでしたっけ……?」


 ……この有様ありさまである。


 ちなみに、リバーブとは音に反響する効果を足すもので、市川はそれがギターだけが響いて聴こえるようになってるのかドラムとかベースの他の音も響いて聴こえるようになってるのかどっちなんだと聞いてきたのだが。


 とにかく、さっき初めて宅録用のソフトを知り、横で見てただけの人がする質問ではないのだ。


 やっぱりこの人は化け物だな……。と、感心していると、市川がもじもじとしはじめた。どうした……?


「……ねえ、小沼くん。『リバーブ』って、もしかしてなにか、その……」


 そして、おれの耳元に唇を寄せて。


「……えっちな言葉だったりする?」


「なんでですか……!?」


 ……ていうかむしろその市川の行動の方がよっぽどなんですけど。ASMRなんですけど、やばいんですけど。


「だって小沼くんが『そんな言葉どこで覚えた』って言うから……」


「ああ、そういう……」





 そんなどうでもいい勘違いは脇に置いて、市川はまたエレキギターをき始める。


 最初はアコギと同じフレーズをジャカジャカと弾いていたのだが、


「ねえ小沼くん、これ、アコギと音が違うから、同じフレーズじゃない方がいいんじゃないかな? 音がかぶっちゃうよ」


「そうなあ……」


 初めて楽器を触る子供を微笑ほほえましく見るような視線でみていられたのもたった数分のこと、市川はエレキギターならではの奏法をみずかみ出し始めていた。


 いや、アコギと同じフレーズじゃない方がいいことはおれにだって分かってたんだよ。最終的には別のフレーズを考えて弾いてもらおうと思ってたんだよ。でもいきなり出来ると思わないじゃん。


 まじで、amane様はどこまでもamane様だったよ……。


「はい、じゃあお好きにいてみてください……」


「え、なんか怒ってる?」


「怒ってません」


「本当?」


 怒ってるわけじゃなくて、多分、ねているんだ。


「……本当だよ。いいから、一旦録ってみよう」


「うん、やってみるね」


 おれが録音開始ボタンを押すと、


「まじかー……」


 これまで聴いたことのない新しいフレーズを市川が弾いていた。


 状況的にはきながら思いついてそれをそのままやってるとしか思えないのだが、アドリブにしてはととのいすぎているし、フレーズとしてのクオリティが高すぎる。


 えぐいな、市川天音……。


「ふう……聴いてみてもいいかな?」


「ああ、うん……」


 言われるがまま再生してみると、やっぱり格段によくなっていた。


「よし、これで……」


「小沼くん、もう一つ重ねたいフレーズがあるんだけど、いいかな?」


 おれの声は遮られて、新たな要望が追加される。


「ちょっと待って、アレンジとかってギリギリおれの方が出来る的なところあったよね……!?」


「え? 知らないけど……?」


 ……バッサリである。


 そりゃそうだ、レベルの低い人にレベルの高い人が合わせなきゃいけない道理はない。おれがもっと精進しょうじんしないといけないだけの話。


 本当にいつまでも手を抜かせてくれないなあ、amane様は……。


 ……ということで、市川の言うままおれは録音ボタンを押すだけのロボットと化し、何度か繰り返すと、市川的にも満足いくところまで出来たらしかった。


 おれはなんだか疲れた。


「それじゃ、歌か……」


「そうだね!」


 よっこらしょと立ち上がり、レコーディングエンジニア小沼はマイクスタンドを立てて、歌用のマイクを接続する。


「いけそうか? 市川」


「うん、一回やってみる。……やっぱり人の家で歌うのはなんだか照れるね?」


「だろうなあ……」


 おれだったら人の家どころか自分の家でも無理だ。


「でも、そんなこと言ってても仕方ないね。歌ってみます!」


「はい、じゃあ、録音開始します」


 カラオケ状態になっている音源を鳴らし、ボーカルの録音を開始する。


 おれは目をつぶって、市川の声に耳をすませる。


 やっぱり市川は、感情の人だな、と思う。


 どんな曲でも、彼女が歌うとそこに風景が広がり、世界が広がる。


 曲が終わりまでたどり着く。


「どうだったかな?」


「……いったん聴いてみるか」


 おれがそう言いながらなんとなく部屋の入り口の方をみると、さっきまで閉まっていたはずのドアが開いていて。


「ん?」


 その外で、ゆずが呆然ぼうぜんとした顔で立ち尽くしていた。


「も、ももももももしかして、市川天音さんって……」


 市川が『ん?』と首を傾げると同時、ゆずが大声をあげる。





「…………amaneなんですか!?」

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