第3曲目 最終小節(4拍目):トロイメライ

 演奏が終わって、舞台袖に退場する。


 ……そこに、吾妻は待っていなかった。




「小沼くん」


 振り返ると、涙目で真剣な顔をした市川がおれのすそをつかむ。


「行ってあげて」


 突然のことに答えあぐねているおれに市川は続けた。




「その結果、未来が変わってもいい。小沼くんの答えが変わってもいい。全部、納得するから、だから、」




 そして耐えきっていた涙を一筋ひとすじ流す。




「由莉を、もう一人で戦わせないで……!」




 おれはその手にそっと一瞬だけ触れる。





「連れて、戻ってくるから」






 おれは、階段を上がって外に出る。


 6番目のバンドを聴かないのはマナー違反だとか、有賀さんと話さなくていいのかとか、来てくれた人たちと話さなくていいのかとか。


 でもそんな全部をライブハウスの中に放り出して、おれは外に出る。


 左右を見渡してみると、右側、道を渡ったところ。



 今日はもう閉店したデパートのショーウィンドウによりかかって、呼吸を整えているらしい人影を見つけた。







「吾妻」


 声をかけると、吾妻はくるっと振り返って向こうを向いてしまった。


「なんでこういう時だけあたしを追ってくるかな……!」


 それは、とおれが話すすきも与えず、吾妻は続ける。


「ていうか、めっちゃいい演奏だったじゃん。ちゃんと、出し切った?」


「ああ……吾妻のおかげだ」


「へー……。じゃあ、終わったことだし、種明かし、してあげよっか?」


「種明かし……?」


 いきなり何をいうんだろう、と思うと。


「……『おまじない』って言ったでしょ? あれ、ただの歌詞だよ。全編通して、魔法の呪文ってわけ。だから、別に、本心じゃないの。だから、小沼は何も気にしなくていい」


「そんなわけないだろ……」


 そんな無理のある言い訳、この状況ならおれにだって嘘だってわかる。


「そんなわけ、ないって、なんで、言い切れるの? いつから、そんなに、自信過剰に……」


「だって、吾妻、」


 なぜなら、ショーウィンドウに、


「泣きそうじゃんか……!」




 必死に下唇を噛んでこらえてる吾妻の顔がうつってしまっていたから。




「……あたしが、今、泣くわけにはいかないでしょ? だって自分で決めた道だもん。あたしが泣くとしたら、それは、夢に近づいた時くらい。……こんなことに涙なんか使ってやらない」


 そして声のトーンを落として、小さく呟く。




「ねえ、小沼?」



「なに?」




 そして、こちらを振り返ると下手くそな笑顔を貼り付けて、言う。






「幸せになってね?」










 吾妻が少し落ち着くまでそこにいてから(結局そこまでただの一滴も涙を流すことはなかった)、2人で会場に戻ると、ちょうど結果発表セレモニーが始まるところだった。


 スタジオオクタの店長らしき人が舞台上ぶたいじょうに立って、「今日の出演バンドはどれも素晴らしく……」と上機嫌じょうきげんそうに話している。


「店長、話すのへたくそだなー」


 かはは、と神野じんのさんが横で笑った。




 校長先生のように長い話の後に、いよいよ今日のレコーディング賞をゲットしたバンドの発表である。






「それでは、発表します! レコーディング権をゲットしたのは……!」






 固唾かたずんで見守るなか。


 スタジオオクタの店長は無駄に溜めて溜めて……、そして。










「エントリーナンバー5、『amane』!!」










 とおれたちの名前を呼んだ。



「おお……!」


「わあー……!!」


「……だと思った」


 驚くおれと、純粋に喜ぶ市川と、なぜか強がる沙子。


「おめでとー!」


 神野さんの心からの祝福。度量が広いなあ……。


「やりましたぁっ……!!」「やったねぇ……!」


 ちょっと前では、英里奈さんと平良ちゃんが抱き合って飛び跳ねる。


「よかったあ……」


 そして、横では吾妻が呆けたように舞台を見ていた。





 そのまま簡単な受賞式みたいなものがあって、それから楽器やら荷物やらを整理する。


 対バンの人たちが「おめでとう」とか「よかったよー」とか声をかけてくれたあと。



「お疲れ様! おめでとう!」


 そう言って、有賀さんが寄ってくる。


「amaneの演奏が終わった時に、もう確信してたけどね! すぐにでも褒めちぎってあげようと思ってたのに、小沼くんも吾妻さんもどこに行ってたの?」


「はあ、すみません……」


 もう! と年の近い先輩みたいに有賀さんは腕を組んで息を吐く。テンション高いなー、有賀さん。


「それにしても、素晴らしかった。本当に、『答え』を見つけたんですね」


「はい、ありがとうございます……!」


 これがあの魔王か? と思うくらいの純粋な褒め言葉におれはたじろぎながらも嬉しい気持ちがむくむくと沸き起こってくる。




「これならきっと、青春リベリオンのスカウトも……!」




 そう頬を上気じょうきさせて言いかけた有賀さんの言葉を、さえぎる影。





「いや、アタシは、Butterバターを推すぞ」





 大黒おおぐろさんが割り込んできた。


月子つきこ、あなた、正気しょうき……!?」


「なんだよその信じられないって顔は。たしかに、amaneの今日の演奏はすごく良かったよ。感情大爆発で、他のどのバンドもついて来られない。審査員も満場一致でamaneに入れたらしーよ?」


 そこまで言ってから、多分あえて意地悪く笑った。





「……だけど、今日のために、もう二度と使えない大玉おおだまを仕込んだだろ?」



「それは……!」


 吾妻が目を見開く。


 おれは圧倒されて言葉もでない。この人の目には何が見えている? どこまで見抜いてくるんだろう?


「だとしたら、次のライブでも同じ熱量で出来る可能性の方が少ない。それよか、Butterの方がよっぽど確実性が高い。あいつらの技術は、即時的なものじゃないから」


「でも、月子! あなた、ずっと、音楽は感情だって……!」


Butterあいつらに感情がないって言うのか?」


「それは……! そんなことはないけど……!」


 有賀さんがたじろぐ。


 無理もない。Butterバターの演奏は感情も技術も超一級品だった。




「なあ、有賀? 大人って汚ねえよなー。だけど、汚い手を使ってでも、叶えたいこととか、そばにいてほしいやつっているもんなんだよ」


「はあ……? いきなりなに……?」




 いきなり変わったように見える話題に有賀さんが顔をしかめる。




「有賀が本当にamaneこいつらを信じているんだったら、出来ることがあるだろ」




「あなた、まさかそのために……!?」



「もしかして……!」


 今度は市川が目を見開いた。




「有賀が『青春リベリオンの審査員になる』って今ここで言えば、その審査員の権限で、amaneを青春リベリオンの本選に進めることができる」



 高校生4人は息をむ。


 そのためにこんなに悪役を演じてるっていうのか……?



「ねえ、月子。私にはわからない。どうしてそこまで私に……」



「有賀が会社をめんのが嫌なんだ。あいつらの言葉を借りるなら……有賀と一緒に見たい景色があるんだ」


 市川が言っていた、『有賀さんは独立したがってるんじゃないかなあ』と言う話はどうやら本当だったらしい。


 大黒さんはいたって真剣な表情で続ける。 


「もちろん、Butterバターすのはアタシの本心だ。プロデューサーとして正しい判断だと思う。スカウト枠で入れ込んだバンドが本番でヘボだったら大変なことになるだろ?」


 その判断はたしかに間違っていない。



 有賀さんはあごに手をそえ、少し逡巡した後。




「……わかりました」




 と、そう言った。




「それじゃあ、私は審査員を、」





「有賀さん、それはだめです」





 そして、言いかけた言葉を、遮る声。




 その声の主は、市川天音だった。




「……え?」



「もちろん、私たちはその権利がのどから手が出るほど欲しいです。また有賀さんと一緒に音楽が出来るなんて、願ってもないお話です。でも、」



 市川は高校性らしからぬ優しい笑みでそちらを見る。



「有賀さんの夢は、それで潰れることにはなりませんか?」



 あっけにとられている大人2人に、市川は続ける。



「有賀さんは、独立……したいんですよね? だったら、私たちのために、それを棒に振らないでください。誰の夢も犠牲にはしたくありません。それをしたら……」


 市川は少し唇を噛んでから、伝える。




「由莉の『覚悟』の意味がなくなります」





「それは……。でも、あなたたちのデビューだって大事な夢で……!」


 あーもう……と吾妻が呆れたように笑いながら、横から伝える。


「あたしたちは、誰の夢も、誰の思いも犠牲にしない、っていう、そういうバンドみたいです」


 有賀さんは目を細めてこちらを見る。


「そんな綺麗ごとや理想論じゃ、この先通用しませんよ……?」


「ですよねー……」


 と、吾妻も応じた。


 でも。



「きっとこれまでのバンドはそうなんだと思います。でも……」



 そう付け加えて、笑う。



「あたしたちは、最強のバンドを目指してます。きっと、最強のバンドにはそれが出来るって、天音は言ってるんだと思います」



 もう一度息を大きく吸って、そしてゆっくりと吐き出す。



「これは、amaneの覚悟です。……ダメ、ですか?」





 有賀さんは数秒間静止した後に、大きくため息をついた。





「はあ……高校生に私はなにを教わってるんだろう、何回も何回も……」




 自分にほとほと呆れた、という顔をしてから、有賀さんは大黒さんに向き直る。



「ごめんね、月子。私は、審査員にはなれないみたい」


「……そっか」


 大黒さんはこれまでの意地悪な顔から一転、はは、と気が抜けたように笑う。


「くそー! 今回はいけると思ったんだけどなー!」


 そして、さっきまでのミステリアスな雰囲気ふんいきを一気に解除して少年のように歯ぎしりする。この人、大人なんだか子供なんだかわからないな……。



「時にamaneの諸君は、青春リベリオンには出るのかね?」



 急にふざけたような言い方でこちらに聞いてきた。



「はい、出ようかなって思っています!」



 市川はニコッと応じる。



「そーか、じゃあ、」



 ニヤリと大黒さんは笑って、



「本選でまた会おうな」




 そう言って手を振って去っていった。



「本選に出られる実力だって認めてるんじゃない……」


 ほとほと疲れた、と言った感じで有賀さんは笑う。




「あの、一個だけ確認したいんですけど……」


 すると、先ほどまでかっこよかった吾妻が急におずおずと挙手する。



「なあに?」





「その……amaneはプロになれると思いますか?」




 そうか。


 この質問は、今回のライブの目標達成の基準を確かめているんだ。



* * *


『レコーディング権争奪ライブ』成功条件


・レコーディング権をゲット!

・有賀マネージャーがバンドamaneを認める!


* * *



「そうねえ……プロになれるかはわからないけど、」


 そこまでいうと、優しく有賀さんは笑う。


「……私が新しくレーベルを立ち上げたら、真っ先にスカウトに行くでしょうね」



 その答えを受けて、吾妻は少しキョトンを目を見開いてから、


「えへへ、それで十分です!」




 そう言いながら、やっと。




『あたしが泣くとしたら、それは、夢に近づいた時くらい』




「本当に、良かったあ……!」


 これまで我慢していた涙をぼろぼろと流すのだった。











=====


 次の月曜日の朝。


「おはよ、小沼、さこはす」


「おはよー」


「おはよ、ゆりすけ」


「おはよう、小沼くん、沙子さん、由莉! ……て、3人一緒に来たの? 誘ってよー!」


「たまたまだっての」


 amaneの4人が新小金井の駅近くの信号の前で偶然出会う。


「それにしても、ライブ、本当にすごかったねえ。まだ興奮が冷めないよ!」


 市川が元気いっぱいに話題を振ってくる。


「そうなあ……」


「うん」


 沙子も自分の手をわきわきとして見ていた。


「うん。それはそうだけどさ、天音?」


「ほえ?」


 吾妻がジト目で市川のことを見ながら、


「あたし気になってたんだけど、有賀マネージャーが審査員受けようとするの、勝手にめたでしょ?」


「へ? え、だってそれは、由莉もきっとそう思うかなって……!」


「あ。それはうちも結構むかついた。なんかいいところまた取っていこうとしたでしょ」


「そんなことないよ!?」


 市川が右に左に振り回されてる。


「まあ、目立つ目立たないはあたしはいいんだけど、あたしはamaneをデビューさせたいって言ってて、それでそのチャンスがあったわけでしょ!? 確認してくれても良くない!?」


「え、でも、結果的には由莉も同意してくれたし……!」


「ていっ」


 そこまで聞いた吾妻は市川のおでこにチョップをする。


「え、私、今、由莉に叩かれた!?」


 おでこを抑えて、市川が驚きで涙目になった。



「そりゃ、叩くよ! 間違ってたら叱るし、ださかったら指摘する。だって、」



 そこまで言って、一瞬だけうつむいて、それから吾妻は顔をあげて目尻を拭う。

 


「さこはすも天音も小沼も、ライバルでも教祖でも恋人でもなくて、」




 そして、これまで見た中で一番まぶしい笑顔で、言い切った。











「死ぬほど大っっっ好きで、死ぬほど大事なだけの、ただの・・・バンドメンバーだから!」

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