第3曲目 最終小節(3拍目):『あしたのうた』

「次の曲は、『平日』です」


 市川は何かをこらえるように、一度息を飲み込む。


「……伝わるように歌うので、ぜひ歌詞を聞いてください」


 市川の言葉を合図におれは、スティックを叩く。


ワンツー、……」


 カウントは、すでに声にならない。


 スティックの音だけを頼りに、曲が始まる。




* * *

『平日』


目覚まし時計に追いかけられて家を出た

革靴は足にひっかけたまんま

チャイムと同時に教室に飛び込んだ

寝癖ねぐせをみんなに笑われた


憂鬱ゆううつなはずの起床、窮屈きゅうくつなはずの電車、面倒なはずの学校が、

なんでだろう


机の下を走る秘密のメッセージに

「えっ?」て声が出て叱られて

4限で指された私の代わりに

お腹が答えてまた笑われた


退屈なはずの授業、困難なはずの勉強、面倒なはずの学校が、

なんでだろう


下校道、電車を何回も見送って

ホームで日が暮れるのを見て

帰りの電車、今日一日を思い出したら

変だな、なんかちくっと痛い


厄介やっかいなはずの下校、窮屈きゅうくつなはずの電車、面倒なはずの学校が、

なんでだろう

* * *


 いつだって、そこで笑って励ましてくれていた吾妻のことを思い出す。


『小沼。大切なら、痛くてもそばにいなきゃだよ』


『仲良いよ。だって小沼、いいやつだし、話してても面白いし、あと、信用できるし』


『自分を卑下ひげしてばっかじゃなくて、自分が『誰か』にとっての『何か』かも知れないって、自覚することかな……』


『『平日』は、間違いなく、小沼とあたしがいなかったら出来なかった曲だわ』


『小沼とごえんがあってよかった!』




 そして、ここから先は、おれと吾妻がそれこそ競い合うように作ったフレーズだ。



『小沼の曲に120%で応えた!』



* * *

ねえ、なんでだろう?

楽しいとか嬉しいが大きいほど 切ないも大きくなっていく

割り勘のアイス、机の落書き、「おはよ」の挨拶

あと何回くらい なんて数えかけてやめた


ねえ、なんでだろう?

こんな日々が普通であるうちに その答えは分かるかな

夕暮れのベンチ、帰りのコンビニ、「またね」の挨拶

あと何秒くらい その横顔を見られるのかな

* * *


 無数の思い出と無数の想いが、否応いやおう無しにあふれてくる。


『小沼が知ってくれてるって、それだけで、今よりもうちょっと頑張れる気がするから』


『憧れられるくらいの意思を、見せてよ。小沼拓人の『本当』を、見せてよ』


『だから小沼、そんな顔、しないで?』


『……やっぱり、好きになって良かったなあ』


『バトンは受け取った。あとは、あたしに任せて』


『ありがとうね。あたしのこと、気にしてくれて』


 そして。


『あたしが小沼を幸せにするから、その姿であたしを幸せにしてね』



 ああ、もう、曲が終わってしまう。


 次が最後のフレーズだ。『知らないふりして また笑ってみせた たった一つだけの 当たり前の平凡な日常』と、その一節を歌ったら、この曲は終わる。




 まだ、吾妻に伝えきれてないことがいっぱいあるのに。




 それでも、曲は終わるのなら、せめてそこまでにすべてを込めないといけない。




 リズムパターンが変わるわけじゃないから、おれの叩くフレーズは変わらない。


 ただ、それでも丁寧ていねいに最後の数小節をたたく準備をした。







 その時。






 市川と沙子が一瞬だけおれの方を見て、もう一度前を向く。


 その瞳が濡れているように見えた。





 そして。


 ふたりはコードを変えず、直前までのサビと同じメロディで。





 おれの知らない歌詞で、おれの知らないサビの続きを歌い始めた。




* * *


ねえ、なんでだろう?

持たなくても良かったはずの想いが あふれてしまうのは

夜中にした電話、迷った地下鉄、いつもの相槌あいづち

夕暮れの教室 ぼやけてかすんでいく中央線



ねえ、なんでだろう?

持つべきなんかじゃなかったはずの想いなのに

持てて良かったと思うのは


キョウソウのあとに、あしたがくるなら


…平日がいいなあ


なんでもないあたしが 理由もなくあなたに会える日


* * *



 もう、限界だった。


 うるみきった視界に、何も映らない。


『……気持ちを、もらったんだ』


 そっか、市川は知っていたんだ。


 この歌詞を、すでに受け取っていたんだ。


 その上で、市川は、この歌詞をしっかりと届けるために、歌い切るために。


『バンドのライブは、一人のライブと違って想定外のことが起こるから。……あたしも本当に歌えなくなっちゃうと困る、でしょ? だからなるべくそのタイミングまでは平静をたもつようにしようかなって』


 さっきまでも、ずっと、なんでもないように、堂々と。



 なんだよ、それ……。


 何重なんじゅうにしておまじないをかけたんだよ、吾妻。


『この気持ちも全部、天音にもうたくしたんだから』


『だから、何があっても、りきってね』




 器楽部の元部長は、挨拶部の部長は、青春部の部長は、吾妻由莉は。


 とんでもない策士で、とんでもない作詞家だ。




 今、吾妻はどんな顔をしているんだろう。



 おれからは涙で見えないけど、でも、きっと。



* * *


知らないふりして また笑ってみせた たった一つだけの 当たり前の平凡な日常


* * *



 ……笑ってみせているんだろうか。



 ぐしゃぐしゃになりながら、おれたちはしっかりと丁寧に音楽をたたむ。



 そして最後の一音が鳴り響いた。




「…………!」



 演者からも、観客からも、誰の口からも声が出ない。




 ……こうなることも見越していたんだろうか。



『3曲目と4曲目はあいだを開けずに始めることにしよっか』



 と、吾妻は言っていた。



 おれは、スティックを振りかぶり、4回叩く。


 そこから始まったのは、英里奈さんに向けて作ったはずの曲だった。


* * *

『おまもり』


あなたがたった一言で 世界をひっくり返したあの日

心の底から かっこいいと思ったんだ 


あなたはきっとこれからも この視線を奪い続けていく

おなかの底から かなわないとわらったんだ 



その勇気を分けてもらって

そこから糸をつむいで 縦と横にんだら

ほら 一つ 曲ができたよ



なんの足しにもならないかもしれないけど

きっとあなたがあの人を想うのと同じくらい

あなたのことが好きだよ

それがどういう意味合いかは内緒だけど


そしたら「なにそれ」って

あなたが いつもみたいに笑ってくれるなら

ちょっとでも その心があったかくなるのなら

泣くほど嬉しくなるんだ

ねえ それだけで 伝えて良かった


* * *


 1番と2番の間で、おれはそっと英里奈さんの方を見る。


 この曲は、英里奈さんのために作った曲なんだ。だけど……。


 すると、英里奈さんは一度も見たことないほど真剣な表情で唇を引き結び、祈るように手を組んで首を振って、それから口パクでこちらに伝えてくる。


『えりなのことは、いいから』 


* * *

あなたが誰かのために 世界をひっくり返したあの日

心の底から 幸せを願ったんだ



その覚悟を貸してもらって

その言葉をつむいで 大切にんだら

ほら 一つ 歌ができたよ



なんの役にも立たないかもしれないけど

きっとあなたがあの人を想うのと同じくらい

あなたのことが好きだよ

それがどういう意味合いかは内緒だけど


そしたら「なにそれ」って

あなたが いつもみたいに笑ってくれるなら

ちょっとでも その心が前を向いてくれるなら

あの人だって同じはずだよ

ほら それだけで 伝えて良かった




苦しいときは歌って

それが いつもみたいな笑顔の力になるなら

ちょっとでも その心があったかくなるのなら

泣くほど嬉しくなるんだ

ねえ 好きになれて 本当に良かった


長くなってごめんね

ありったけの思いと ありったけのいのりを み込んで

おまもり 作ったから


もしよかったら

この歌だけ あなたのそばにおいてね


この歌だけでも あなたのそばにおいてね


* * *



 音楽が鳴り終わる。


 きっと、この歌詞をもらった時には、おれ以外のみんなが気づいていたんだろう。


鈍感どんかんすぎだよ、ばーか』


 いつかのセリフが胸をよぎった。



 おれは深く頭を下げた。




「……ありがとうございました」


 すると、市川がもう一度、口火くちびを切ると、やっとフロアから拍手が起こった。



「あはは、メンバーみんな泣いちゃっててなんのこっちゃですよね……! なんだか、胸がいっぱいになっちゃって……、すみません」


 困ったように笑う市川。


「次が最後の曲です。……その前に、メンバー紹介をしたいと思います」


「まず私は、市川天音です」


 市川はそっと礼をする。


「そして、ベースの波須沙子、次に、ドラムの小沼拓人」


 振り出されて、沙子とおれも軽く礼をした。


「そしてもう一人。作詞の……吾妻由莉」


 ふう、と息を吐いて、


「4人で、amaneです!」


 市川は涙を振り切って、笑ってみせた。




「……人の心は、本当にどうしようもないなあ、と思います」



 そして、最後のMCを始める。



「心は、損得勘定そんとくかんじょうで得する方をなかなかいつも選ばせてくれなくて、むしろ間違いだと思うようなことばかりさせられて。……いったい、私たちは何がしたくて、どこに行きたいのだろう、と思うことが本当に多いです」



 頬をかきながら笑う市川は、



「だけど、最近決めたことがあります」



 と言う。



 そして大きく息を吸った。





「amaneは、最強のバンドになります」




 そのあまりに曖昧で強気な宣言を、それでも誰もが笑わず、真剣に聞いてくれている。



「それがどう言う意味かは分かりませんが、その未来を選ぶことにしました。やり方にも、姿勢にも、間違いはあるかもしれません。批判ひはんもされるでしょう、否定ひていもされるでしょう。目指すゴール自体を嘲笑ちょうしょうされるかもしれません」



 一つ一つの言葉に意思をしっかり込めて、市川は話し続ける。



「それでも、自分の心には嘘はつかない。私たちは、私たちの考える最強のバンドになります」



 そこで一拍挟まって。




「……それだけが、その覚悟にこたえる道だと思うから」



 小さくつぶやいた。



 フロアのどこかで鼻をすする音が聞こえた気がした。



「なんて、すみません、真面目な話を! とにかく、大事なことは全部音楽の中に込めないと、ですね」




 ふう、と息を吐いて、そして、大きく吸いこむ。




「それでは聴いてください。最後の曲です。『あしたのうた』」




* * *

『あしたのうた』


昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら

同じ明日を選んでいたのかな

もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに

たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない


満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない

「教えて」なんて言わないけど


昨日をなくすわけにはいかない

今日 泣くわけにはいかない

だってこれは 自分で決めた道だ


だから

昨日までが真っ黒だとしても

今日 最初の一歩を一緒に選ぼう

だって明日は 私たちのものだよ




あなたのことも この気持ちも

知らなかったら なんともなかったのに

あなたとが 一番いたいよ

仕方ないよね 大切なものの近くだから



満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない


だけど

間違いかもしれないけれど 鳴らそう


1つの時はちっぽけな点なのに

2つで線になって

3つで平面を作って

4つで四角い空欄が出来たんだ

* * *


 一人の時には見えなかった点が、何にもならなかった点が、それでも一人ずつ、4つつながってやっと四角になった。


 市川は、吾妻は、それを空欄だという。


 初めて、何を入れたらいいかわからない空欄だと。



* * *

だから

ほら 大きく『口』を開けて

歌う言葉は 正解じゃなくてもいい

だってそれも 私たちのものだよ

* * *



 だからその『しかく』を、埋める。



 間違いでもいい、正解でもいい。


 ただ、考え抜いて、感じ抜いたおれたちの言葉で埋めていく。



 その未熟かもしれない答えが埋まった四角。



 その4つの『しかく』を並べたものが、きっと。


* * *


これからの日日ひびは 私たちのものだよ


* * *



 これからの『日日』になっていくのだから。



『そういうこと』


 吾妻は唇を動かしてから、笑う。


 アウトロも終えて、4人で最後の音を、かき鳴らす。


 どこまでもどこまでも遠く、そして、誰よりも近くの誰かに届くように。




 そして、会場中の視線を、興奮を集めきったその瞬間、4人の視線を合わせて、一気に振り下ろした。




 バァン!! と音がもう一度、次のスタートを知らせるピストルみたいに鳴り響いて。





「ありがとうございました!!」





 小さなライブハウスを、大きな歓声と大きな拍手が満たした。

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