第3曲目 第81小節目:『カウント』

 入場曲と共にButterバターの3人が舞台に上がってくる。


 それぞれ、自信ありげな微笑ほほえみをたたえ、楽器を構える様がものすごくさまになっている。なんなんだろう、あの風格は。


 神野じんのさんがドラムの前に座って右手を挙げると、入場曲がフェードアウトする。




「それじゃ、いくぞ」




 マイクを通さずに神野じんのさんが言って、江里口えりぐちさんとしゃくさんが頷いた。



 神野さんが両手でスティックを振り上げると。



 カウントなしで、かつ寸分すんぶん狂わず、3人が同時に演奏を始める。



「うわあ……」「すごい……」



 昨日聴かせてもらったのなんか、やっぱり久しぶりに合わせた一回目でしかなかったのだと痛感させられる。



 一見無作法ぶさほうに暴れているように聴こえる高音のギター。


 両者とのバランスを取りながらも自由に動き回るベースライン。


 そして、それを束ねまとめ、さらに昇華しょうかしていくドラム。



 やはりジャンルはブルース、さらには歌詞がない。


 とっつきにくいはずのその楽曲に、それでも身体が動き、鼓動がシンクロしていく。



「すっげえなあ……」



 3人とも演奏するのが楽しくて仕方ないのだろう、楽器を自分の身体の一部みたいにして、歌うように音を鳴らしていた。




江里口えりぐち先輩としゃく先輩って上手うますぎたから、最初に組んだバンドのメンバーとやっていけなくて、次のバンドでも敬遠されて、たらい回しにされてたんだって。二人とも、長期間ずっと一つのバンドにいられたことないって聞いたことがある』




 昨日、吾妻が教えてくれた。


「それで、か……」



 だって、歌詞のないその曲から、不思議と言葉が聞こえてくるようだった。


 その音は、『やっと出会えたんだ』と、『ずっとひとりだと思っていたのに』と言う。


『やっと自由に好き勝手やってもついてこれる、導いてくれる仲間が見つかった』と、涙目で笑う。



 ふと、市川の横顔が浮かんだ。




『私、小沼くんと出会うあの日まで、『ぼっち』だったんだよ』




 天才すぎて孤独になるだなんて、おれにはきっとずっと分からない感覚だけど、そこからすくい上げられた人のよろこびが、今なら少しわかる気もする。




 やっぱり、Butterバターはすごい。




 おれはそれが今日のライバルになるってことさえも忘れて、とにかく圧倒されていた。




 長い曲を3曲ほど演奏した後、神野さん初めて脇のスタンドに刺さっていたマイクを握って話し始める。




「えーっと……次が最後の曲です」




「えっ……!?」



 そう自分から声が出て、慌てて口をふさぐが、周りでも「もう……?」とか「ええー」とか声が上がっていたので、どうやらバレずに済んでいそうだ。



「小沼くん、純粋すぎ……」


 ……と思ったら、市川が横でへへへ、となんか嬉しそうに笑っている。耳ざといな……。



「なに話すかとか決めてねーんだけど……どうしよー?」



 神野さんがほほをかきながら江里口えりぐちさんに尋ねる。舞台の上でもいつも通りなんだな、あのひと……。


「いや、別に話すことなかったら話さなくてもいいけどさ……でも、」


 江里口えりぐちさんがあきれたような声を出しながら客席をちらっと見る。


舞花まいかが無理やりこのライブに参加した理由を言っておいた方がいいんじゃないの?」 


「そーなんですよー。ドラムのマイカがいきなりライブに出ようって言ってきた感じでー。わたしとギターは今受験生なんですけどー、塾を休んででも出ろっていう押し切りようでー」


 舞台上だけの会話にならないよう、しゃくさんが客席に対して説明してフォローする。ここら辺の連携も完璧だ。


 高校生っぽいネタがうけたのか、フロアに小さく笑いが起こる。


「そうそう。だから、舞花はそこまでして出たかった理由があるわけでしょ?」


「それは、その、賞金がーって……!」


「隠さなくていいから、舞花。別にここで言いたくないならそれでもいいけど?」


 クールビューティ・江里口えりぐちさんが微笑ほほえむ。


「お前ら、もしかして、気づいて……?」


「当たり前じゃん」「バレバレって感じだよねー?」



『あの、今回のライブを観に来るっていう、『大黒おおぐろ月子つきこ』って、舞花がドラムを始めたきっかけになった人らしいんだよ。一年生の時に聞いたことがある』




 江里口さんは、そう言っていた。


「どーせバレてんのか。じゃー、せっかくだから宣言しとくかー……!」


 そう神野さんは改めてマイクに握り直して、立ち上がった。


 そして、フロアに向かって堂々どうどうと声をあげた。


大黒おおぐろ月子つきこさん」


「んあ?」


 いきなり名前を呼ばれて、大黒さんが大人とは思えない反応を返す。




「アタシは……」



 もしかして、『アタシはあなたに憧れて音楽を始めました』っていうんだろうか? それはエモいなあ……、と見ていると。






Butterバターで、青春リベリオンに出たいんです」







「「え?」」


 江里口さんと釈さんがほうけた声を出す。



「『え?』ってなんだよ……!?」



 神野さんが逆に驚いている。



「え、大黒月子さんに演奏聴いてもらいたんじゃ……?」


「いや、全然? だって月子さんはもうドラム叩いてねーし」


「はあ、え、あ、うん……?」


 混乱している江里口さんを放って、神野さんは石黒さんに話しかけ始める。



「アタシはただ、この3人で青春リベリオンに出たいだけです」



 神野さんは話を続けた。



「去年だって本当は出たかったけど、アタシたちが結成した時にはもう、エントリーは締め切ってて、出らんなくて」


 そうか、結成してからそんなに経ってないんだもんな……。


「でも、今年は二人の受験があるからエントリーするわけにもいかねーかなって思ってたんですけど、スカウト制度っていうのがあるってポスターで見て、それなら二人の受験が終わってからいきなり本選に出られるじゃんって思って……」


「それで、国分寺の楽器屋さんでポスター見てたんだ……!」


 市川がわあ……と声を漏らす。



「それで、今日のライブへの出演を決めました」



 そうまっすぐに大黒さんを見据みすえて告げる。




「なんで、出たいって思った?」




 大黒さんが、聞き返す。


 さっきまでの大黒さんとはまったく違う表情、まったく違う声色こわいろで。




 普通だったらこんな風にライブ中に客席と密なコミュニケーションをとるのは、ご法度はっとなのかもしれない。


 ただ、あまりに真剣な神野さんの眼差まなざしと、とても高校生を相手にしているとは思えない大黒さんの声音こわねに、会場中が注目していた。それが一つの演目みたいに。



 神野さんは、そっと口を開く。





「青春の証を、どうしても残したい」





「青春……?」


 自分のイベントに『青春リベリオン』なんて名前をつけているくせに、それでも大黒さんはその単語の真意を探るように質問を重ねた。




「……卒業したら、アタシたちは解散するしかないんです。アタシは自分の夢のために、海外に行くつもりでいます」




「へえ……!」




「アタシ自身は、部活ですごくいい景色を見たことがあります。学校の外の人もたくさんいる前で、演奏して、そして、会場が一つになった」



 学園祭の器楽部の演奏を思い出す。


 きっと、神野さんの引退の時にも、あれに匹敵ひってきするほどのライブだったのだろう。




「アタシは、この二人と、あの景色が見たい」



「舞花……」「マイカ……!」



 神野さんはいたって真面目な顔で続ける。



「こいつらほどの最高のプレイヤーが、『本気過ぎる・・・』なんてクソみてーな理由で見れていなかった景色を、一緒に見たい。アタシにとっても、Butterは、部活を失ったあとのたしかな居場所だったから」



「舞花部長……!」


 吾妻が胸をおさえる。


 神野さんは今、『部活を失った・・・』と表現した。『引退』でも、『卒業』でもなく、『失った』と。


 その、極端にも聞こえる言葉は、それでも学園祭直後の吾妻を見ていたらわかるような気がする。



 ……きっと、神野さんにとっても、『器楽部は青春のすべて』だったのだろう。


 


「青春だなんてこっぱずかしいものを語って、なんなんだって自分でも思います。そんな形のないもののことばっかり考えて、なんにもならないだろーって」



 神野さんは二人を見てから、へへ、と照れ臭そうに笑う。



「でもアタシは、Butterが大好きなんです。この二人と、青春リベリオンに出たい。本当は、賞金もいらない、レコーディング出来る権利もいらない」



 そして、言い切る。



「ただ、たーっくさんの人の前で、アタシたちの音楽を鳴らしたい。もう……チャンスは青春リベリオンそれしか残ってないんです」



「……へえ」



 フロアは暗くて分からないが、石黒さんがかっこよく笑う気配がした。




「……別に、頼み込んで出してくれなんて言うつもりもありません。とにかく、そこで観ててくれればそれでいいです。だって、」




 スポットライトを浴びた神野さんはもう一度、不敵ふてきな笑いを浮かべる。




「最後までライブを聞いたら、アタシたちを出したくなるに決まってる」



「すっげえ……!」


 根拠のない自信を、傍観ぼうかんしているだけのおれですら鵜呑うのみにしてしまいそうになる。


「はは……喋りすぎたなー、ほら、お前らのせいだ。早く構えろ。……いくぞ」


「お、おう……」「すっごーい感じだね」


 焚きつけられて江里口さんと釈さんが楽器を持ち直す。




「じゃー、最後の曲です。これだけ、アタシが歌います。『カウント』って曲です。今日はありがとうございました」




 その曲名に似つかわしくなく、また、カウントなしで、曲が始まった。





 その曲は、またブルース。


 切ない旋律でもなく、バラードでもない。


 でも。


 これまでの曲の中でも一番心が震わせる響きがあった。



* * *

『カウント』


素晴らしいことをよく考える

くだらないことをよく考える

なんにもならないことをよく考える


その結果 なんにもならない


新しいことをよく考える

懐かしいことをよく考える

なんにもならないことをよく考える


その結果 なんにもならない


面白いことをよく考える

つまらないことをよく考える

なんにもならないことをよく考える


その結果 なんにもならない


誇らしいことをよく考える

恥ずかしいことをよく考える

なんにもならないことをよく考える


その結果 なんにもならない


鳴らしたい音をよく考える

伝えたいことをよく考える

なんにもならないことをよく考える


その結果 なんにもならない



何回も繰り返して

気づいたことがある


『なんにもならないのは 考えてるだけだからだ』


素晴らしくて 新しくて 面白くて 誇らしいことを鳴らしたい

くだらなくて 懐かしくて つまらなくて 恥ずかしいことを伝えたい


なんにもならなくても

音にすることにする


カウントは4つ


1、2、3、4

* * *


『1、2、3、4』と歌い終わったと同時に、ギターとベースが音を止める。



 すると、そこから、ドラムソロが始まった。




「すっごい……!」




 そのドラムソロは、未だかつてないの当たりにしたことのない表現力でおれの身体を、心臓をせめたててきた。



 よく『ドラムがうまい』ということの言い換えで使われる『腕が何本もあるように見える』とか、『リズムキープが正確』とか『連打れんだが速い』とか、そういうことじゃなかった。





 そのドラムソロには、確かに『メロディ』が存在したのだ。





 そこらへんの歌なんかよりもよっぽど叙情的じょじょうてきで、ロマンチックで、切なくて、激しくて、エモーショナルなメロディが。





「でた、《かみまい》……!」





 吾妻が目を見開いて、そうつぶやいた。




 どうやら、あのドラムソロには技名が付いているらしい。



『なんだそれ、少年漫画かよ』とか、『居酒屋の名前かよ』とか、そんなツッコミもそれこそ極めて無粋ぶすいだと断じることが出来るほど、むしろそりゃ、名前くらいつくだろうな、と思わされるくらいのドラムソロだった。



 ジャズの世界には、確かに、ドラムソロに名前が付いていることはあることではある。


 だけど、それは本当に選ばれたごく一部のドラマーのドラムソロにだけだ。


 そして、名前がつくドラムソロに共通するのは、そこに『旋律せんりつ』があることだ。


 他の人が叩いても、その曲を叩いているということがわかる。だけど、その人のようにはいかない。そんな旋律が。


 なぜなら、そうでないドラムソロは、ただのアドリブでしかないから、名前がつかない。




 


「やばすぎるな……」






 輝く笑顔でドラムを叩く神野さんは会場中をとりこにしていた。もう、誰もそこから目を離すことなんか出来なかった。



 間違いない。


 この人は、少なくとも日本で、下手しなくても世界でも有数のドラマーになる可能性のある人だ。


「1、2、3、4」


 もう一度神野さんがカウントを口にすると、江里口さんと釈さんの音が戻ってきて、もう一度3人で演奏を始める。


* * *


素晴らしくて 新しくて 面白くて 誇らしいことを鳴らしたい

くだらなくて 懐かしくて つまらなくて 恥ずかしいことを伝えたい


なんにもならなくても

音にすることにする


決めたからには

音にすることにする


* * *


 最高だ。




 もう活動休止しているはずのバンドなのに。


 決して懐古かいこじゃなく、未来に向けて、その3人は音をかき鳴らしていた。



 もう一度3人の視線が交差し、最後の音を鳴らした後に、神野さんは立ち上がる。




 そして、八重歯やえばとがらせて、汗を光らせて、誇らしげに笑って捨て台詞を言うのだった。






「もし良かったらアタシたちに、もう一度だけ青春をください」










====






 舞台袖へと市川と沙子が移動した後、フロアのすみっこで吾妻がたじろぐように立ち尽くしていた。


「吾妻、どうした?」


「小沼……! いや、すごいもの見せられちゃったなあって思って……」


 吾妻は吾妻らしくもなくうつむく。


 あれだけ気丈きじょう振舞ふるまっていた吾妻が、こうなってしまうくらいのエネルギーがあったということなのだろう。


「たしかに、Butterバターはすごかった。『表現したい感情の大きさ』も『それを何パーセント引き出せる曲・歌詞か』も『それを何パーセント引き出せる演奏技術を持っているか』も、全部が尋常じゃなかった」


「そう、だよね……。あれからしたら、あたしの作戦なんか」


「だけど、心配すんな」


 おれはさえぎる。これ以上吾妻に弱気なことを言わせるわけにはいかない。




「吾妻からもらったものは、今日、何にも負けない」




 あの作戦が、何かに負けてなんかなるものか。


「……そっか」



 吾妻の表情を見ることはおれには出来なかったけど。


「ほら、行こう」


「……うん!」


 そう答える吾妻と連れ立って舞台袖に向かい、amaneの4人がそこに揃った。




「よーし、じゃあ、いつもの円陣えんじんだね?」


 市川はいつも通り、にこりと、強気で笑う。


 ……相変わらずかっこいいやつだなあ。いつだって、大事な時には堂々としている。


「わたしは、4人でデビューっていう……狂想キョウソウを、夢を現実にするために」


 市川が声を出す。


「うちは、この誰よりもamaneの音を作る競争キョウソウに勝つために」


 そこに、沙子が手を重ねて、


「あたしは、4人で共創キョウソウした音楽を世の中に届けるために」


 そこに吾妻が言葉を重ねて、


「おれは、4人にしか鳴らせない音を協奏キョウソウするために」


 おれが音を重ねた。






 もう『憧れ』の話は誰もしない。






「よし、じゃあ、やりますか!」




 市川の号令で、


「「「「おー!」」」」


 おれたちは、小さく、だけど大きく声をあげる。





 それとほぼ同時、フロアの照明が落ちた。



 BGMが落ちて、それが入場の合図。





「よし、」


 そして、舞台で煌々こうこうと輝く照明に逆光で照らされながら自信満々に微笑ほほえんで、市川天音は。







「それじゃ、行ってくるね!」








 たった一人で舞台に上がった。

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