第3曲目 最終小節(1拍目):『スタートライン』

 トツ、トツ、トツ、トツ。


 ほぼ無音の会場の中、市川いちかわ天音あまねのローファーが床を打つ音だけがわずかに響く。


 黙ったまま一人で舞台に上がった市川は、アコースティックギターを手に取り、マイクの前に立った。


 他の誰も続かない。


「バンドじゃないんだっけ?」「4人くらいで写ってるアー写だったよね……?」


 客席がさざ波のようにどよめく。


 そして、マイクの前で深呼吸した市川は。



 挨拶あいさつもなしに右手を大きく振りかぶり、ギターをかき鳴らした。



* * *

『スタートライン』


結局 つまり 結果的に

ひとりひとりが集まったところで

『一人ずつ』にしかならないんじゃない


喉がつまり声が出ない

そしてみんなが集まった

ところで

本当に集まったと言えるんだろうか


やっと 見つけたはずなのに

壊れるのが怖くて 臆病になる

『あげてもいいけど もらっちゃだめだよ』

そうささやくのは誰だ


砂場、泥んこになって遊ぶあの子たち

そこに混ぜてよ

『綺麗だから』なんて 褒め言葉にもならない


「待ってばかりじゃ 出会えるはずないよ」


言葉に殴られて 目を見開いた先では

言葉が行き交って 願いが行き交って 思いが行き交って

そして 自分なんか

まだその最初にも立ってないんだと知った


* * *


『市川さんの激しい曲は一人でやった方がいいんじゃないの』


『ビートルズの ”Yesterday” と一緒だよ。つまり、』


 沙子さこのセリフがよみがえる。


 市川いちかわに泊まった日の練習の時、店員である神野じんのさんに何度かさえぎられながらも続けた練習の中で沙子が出した演出プランがこれだった。


『あの曲って、ポール・マッカートニーがソロの弾き語りで演奏していて、そこに弦楽器ストリングスだけが伴奏してるんだよね』


『ビートルズの他の人は参加してないってこと?』


『そういうこと。だけど、うちはそうじゃないと思ってる』


『どういうこと……?』


 まゆをひそめる市川に。


『ビートルズの他のメンバーは、曲の最初から最後まで、『休符きゅうふ』を演奏しているんだよ』


 沙子はドヤ顔ではなく、瞳を輝かせてそんなことを言っていた。


 音楽の話を楽しそうに、嬉しそうにする沙子が嬉しくて、少し息が詰まったのを、おれは必死に噛み殺すことになる。


『この曲は、結局市川さんの不満が詰まった歌なわけでしょ。わがまま放題のあなたがわめいて叫んで』


『ちょっと、言い方……!』


『だからさ、まずは・・・一人で始めて。それで、』


 沙子はニッと口角こうかくをあげる。




『うちらはバンドなんだって、わからせてやろうよ』




* * * 


「メロディしか知らないわたしにリズムを教えて」

「リズムしか知らないわたしに言葉を教えて」

「言葉しか知らないわたしにハーモニーを教えて」

「ハーモニーしか知らないわたしにメロディを教えて」

欲しがって 求めて その手を伸ばした


誰もみんな全然足りてなんかいなかった

互い違いの憧れを抱いてただけだった

たす もらう かけあわせて わける

どっちが多いかなんて分からないけど


* * *



 市川はそこまで歌うとギター1本で間奏をかなでる。


 ちなみにこれも、今までストロークしか出来なかった市川のために沙子が新しく作ったフレーズだ。



「じゃ、行くか」


「うん」


 おれと沙子は軽く伸びをして、舞台へと足を踏み出す。


 その二人の背中を優しく、吾妻が押した。



「……よろしくね、小沼、さこはす」



 おれと沙子はふたり、振り向きざまに言う。




「バトンは受け取った」「あとは任せて」



 舞台上にあがったおれがドラムの前に座ってスティックを構える、沙子がベースを首にかけてボリュームノブを最大値まであげる。


 気分的には、陸上のクラウチングスタートの構えをしている感じだ。……やったことないけど。





 ふたりを確認した市川は、ニコッと笑みを浮かべて。



 ジャキっとギターの一度鳴らして、切る。


 一瞬の静寂せいじゃくの中、最後のフレーズを歌った。





* * *


そして 『わたし』は『わたしたち』になる


* * *


ワンツースリーフォー!」


 すかさずおれはカウントをかける。



 パァン! とシンバルとベースとギターがまったく同時に銃声じゅうせいのように鳴り響き、スタートラインからそのまま駆け出すように、次の曲のイントロが始まる。



 バスドラは一歩一歩駆けていく足音を鳴らし、そこにうなるベースがスピード感を与える。


 テンポは同じはずなのに、だんだん加速していく感覚。



 一つ、一つ、一つ、一つ、意味が重なり、音が重なり、気持ちが重なり。





 決意の楽曲が始まる。





* * *

『キョウソウ』


靴紐がほどけて 踏んで 転んで

うずくまって動けなくなってしまった

それは多分 擦りむいたからじゃなくて 

擦りむく痛みを知ったから


再開におびえて ねて いじけて

ふてているうちに遠くまで行ってしまった

憧れには 手も足も届かなくて 

気づけば私は最下位だ


リタイアしかけたその時

どこかから力強い音が聴こえた

リズムを刻み ビートを叩くその音の正体は

自分の心臓の鼓動だった


自信なんかないけど 定義すら分からないけど

一番強くなるって 今、決めた

待ったりなんかしないで

すぐにそこまで行くから


息が上がりそうなその時

どこかから力強い音が聴こえた

花火みたいな ドラムみたいなその音の正体は

あなたにもらった言葉だった


自信なんかないけど 届くかは分からないけど

一番強くなるって もう決めた

待ったりなんかしないで

すぐにその先へ行くから


さよなら、拗ねていた私

さよなら、いじけてた私

さよなら、怖がってた私

さよなら、負けていた私


あなたたちがいてくれてよかった

私は、今日までの全部と一緒にこの曲を奏でるよ


* * *



 そして、いつの間に作ってきたのか知らないけど、市川がオリジナルで作ってきた歌詞とメロディが最後に歌われる。



 この1フレーズで、『キョウソウ』は4人の曲になった。 



* * *


ほら、夜明けの方角を見てごらん

私たちのキョウソウがはじまる


* * *




「こんばんは、amaneアマネです!」




 会場から歓声と拍手が返ってくる。


 見やると、さっきまで舞台ぶたいそでにいた吾妻がフロアに立っていた。


 親指をあげて、歯を見せて笑っている。


『前回のライブの先に今のおれたちがいるんだったら、前進していることを伝えたい』と前回の最後の曲をバンドの一番最初に持ってきた『キョウソウ』は、どうやら成功だったらしい。




「今日が初めてのライブハウスでのライブなんですけど、音が良くてすごくやっていて楽しいですね!」


 市川が爽やかに笑う。



「これから全曲、全力、全身全霊で演奏しますので、ぜひ最後まで聴いてください」



 まばらな拍手が返ってきた。



 だが、そのコメントから一転、市川は少しうつむいて、困ったように微笑ほほえむ。




「……とはいえ、いきなり次が難しい曲なんですよね」




 ほほをかく市川におれはわずかに首をかしげた。



 次の曲は難しい曲ではないはずだ。……少なくとも、市川と沙子にとっては。



「だけど、歌い切ることが私の使命なんです。……それが、amaneのボーカルをやる私の、市川天音の務めなので」



 沙子は唇を引き結んで市川の方を見ている。



「じゃあ、早速さっそくやりますね。……涙が追いついてこないうちに」



 市川はギターを構えて深呼吸する。




「聴いてください。次の曲は、」

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