第3曲目 第78小節目:暗号のワルツ

 帰りの電車。



 眉間みけんにしわを寄せて、スマホとにらめっこする。


 画面の中には、


『パスワードを入力してください』


 の文字。



 道中、ずっと、おれは。




 吾妻あずまのことばかり考えていた。








====








「とっておきの『おまじない』、かけてあげる」


「おまじない?」


 おれが聞き返すと、吾妻あずまはスマホを取り出して操作しはじめた。


 首をかしげてそれを眺めていると、やがて、指を止めて、目を閉じる。


「ふうー……」と深呼吸をしながら、何かをたしかめるように何度かうなずいたあと、「よし」と声を上げて目を開け、その流れで「えいっ」と言いながら画面をタップした。


 ほぼ同時、おれのポケットの中身が震える。


「え、なんか送った?」


「ん」


 うなずくその顔を見てからスマホを取り出すと、吾妻からのライン。


 内容は、謎のURLだ。


「何これ?」


 タップしてアクセスすると、




『パスワードを入力してください』




 の文字と、白い四角の入力欄。


「パスワード?」


 と首をかしげていると、


「ま、まだ見なくていいから!」


 とスマホの上に手のひらをベタッと置かれる。


 吾妻はもう片方の手で髪をいじりながらもじもじと言った。


「ヒント、出してあげるから帰りの電車でいて」


「ヒント……? ていうかそもそもこれって、なんのサイトなの?」


 吾妻はおれのコメントを無視して、ヒントとやらを告げる。





「あたしがすごく大事にしているものをローマ字で入力してください」





 おれは眉根まゆねを寄せる。


「吾妻がすごく大事にしているもの? ローマ字?」


「そうそう。……ほら、じゃあ、帰ろ」


 そう言うと吾妻はきゅっと方向転換して、改札の中へと入っていった。おれもあとに続く。


「なあ、だからこのサイトはそもそもなんなんだ?」


「……」


 もう、クイズだか、なぞなぞだか、謎解きだか、とにかくそのゲームらしきものは始まっているらしく、エスカレーターに乗ってからも、ホームにのぼってからも、吾妻はおれの質問に答えてくれない。


 3回目くらいの問いかけでおれもあきらめて、それでも今日言っておかないといけないだろうと言うことを伝える。



「吾妻」


「……」


「さっきはなんか弱気なこと言ったけど……明日のライブ、頑張ろう」


「……当たり前でしょ、amaneは明日、最強の演奏をすんの。絶対そうなるから、大丈夫」


「そっか……?」


 それが、この作戦ってことなんだろうか?


「だから、何があっても、りきってね」


 妙に意味ありげにそうつぶやいくと、ちょうどその時に下り電車がやってきて、それに吾妻は乗りこんだ。



「じゃあ」


 まだ閉まらないドア越しにおれがそう言うと、



「小沼、」



 わざわざ吾妻は強調するように、大事なものをそっと置くように、切なく笑う。




「またね」



 その言葉と共にドアが閉まり、電車は西へと進んでいった。





 そして。


 地元・一夏町ひとなつちょうに向かう電車の中でおれは頭を抱える。


 画面の中には依然として、


『パスワードを入力してください』


 の文字がお役所やくしょ仕事しごと的に突っ立っている。


 いや、だから、そもそもなんのサイトなんだこれ? 吾妻はこれをわざわざ作ったのか? 機械とか強いの?


 しかも、『吾妻がすごく大事にしているもの』はまだしも、『ローマ字』ってそれヒントなのか? 英語ではないってことしか分からないんだけど。




 いや、もちろん、電車に乗り込んだ直後のおれはもう余裕綽々よゆうしゃくしゃくでしたよ。


 吾妻が大事にしているローマ字のものなんか、一つしかないと思ってましたから。


 電車内にも関わらず鼻歌を歌わんばかりの勢いで(歌わなかったけど)、そんなの目をつぶっても入力できますわ、と、意気揚々いきようようと入力しましたよ。




【 a m a n e 】





 結果、エラー。



 その一瞬、完全に暗礁あんしょうに乗り上げることになる。


 なんだよ、じゃあさっぱり分かんねえよ……。




 さいわい、パスワードを何回ミスってもセキュリティ上アクセス出来なくなるようなものではないらしく、何回でもチャレンジが可能だ。


 もう、吾妻が大事にしていそうなものを片っ端から入力していくしかない。


 まずは、バンドメンバーの名前を一つずつ入れてみる。


【 i c h i k a w a 】

【 h a s u 】

【 s a k o 】


 どれもエラー。フルネームにしてみたり名字と名前を入れ替えてみたりもしたがそれでもだめだ。



 ……そして、自分で打つのも恥ずかしかったが。


『一応入れとくか……一応』


 言い訳がましく、そう心の中でわざわざはっきりとつぶやいて、入力する。『開くなよ、開くなよ……』と念じながら。




【 o n u m a 】



 


 すると。


『パスワードが違います』


 ほおおおおおおおおおおお!


 違うのも恥ずかしいし試したのも恥ずかしい! でもこれが正解だったらもっとちょっとどうしたらいいか分からない!!


 一応、薄目うすめを開けて【 t a k u t o 】も試したが、もちろんこれも正解ではなかった。



 だとしたら、やっぱり『吾妻がすごく大事にしているもの』というそもそものお題をやっぱり愚直ぐちょくに解いていくしかないだろう。



 おれは、『吾妻がすごく大事にしていそうなもの』を思い出して、一つ一つ打ち込んでいく。



『小沼、ありがとう。カルピスおごるね』


【 c a l p i s 】


【 k a r u p i s u 】


 ……エラー。


 



『この歌詞は何か意図があって書かれたものなの!?』


【 k a s h i 】


……エラー。




『あたし、こう見えても、器楽部に青春かけてるから!』


【 k i g a k u b u 】


【 k i g a k u 】


 ……エラー。




『『本当の気持ち』から、目をそらすな、小沼』


【 h o n t o u 】


 ……エラー。





『あたし、中学の時には・・・・・・一人も・・・いなかった・・・・・友達が、今は、こんなにいるんだ。二人が羨むくらいの最高の友達と、二人が羨むくらいの青春を、あたしは過ごせてるんだ』


【 t o m o d a c h i 】


……エラー。




『あはは、たしかに。青春が好きすぎて、汗かいてベソかいてにがい思いもしてこんなとこまで来て、さ』

『ありがとうございました! これが、あたしたちの青春そのものでした!』


【 s e i s h u n 】


 ……エラー。





『あたしが小沼を幸せにするから、その姿であたしを幸せにしてね』


【 s h i a w a s e】


……エラー。





 かなり行き詰まって来ている。


 だけど。


 一つ単語をひねり出すたびに、おれは一つずつ吾妻の言っていたことを思い浮かべた。


 たった4ヶ月で重ねて来た、無数むすうの思い出が、一つ一つ鮮明によみがえる。


 それがあだになってヒントが機能していないのだが、思い返すとあまりにも充実したその期間のことにおれはひとごとみたいに感心していた。




『ねえ、小沼おぬま。学校、楽しい?』


『小沼は青春してんのかなって思って。どう? 日常は良い?』



 数日前にされたその質問にもう一度心の中で実感を込めて答えた。



 本当に、楽しくなったよなあ、と思う。


 

 そしてきっと、おれが楽しいと思っているということに気づかせてくれたのは、ほかならぬ吾妻なのだ。




『日常は良い』などと分かったように揶揄やゆして、第三者ぶって、客観ぶって、すかしていたあの頃のおれに、吾妻は。



『いや、本当に大切な日々なんだよ』



 と、おれのダメダメな歌詞をリライトして教えてくれたんだ。……いやダメダメなのはすかしてるからだけが原因じゃないんだけど。




 でも、おれは、あの時からはっきりと『楽しい』と感じるようになった。その感情の正体を『楽しい』なのだと認識するようになった。



 本当に、笑ってしまうけど、『日常は良い』のだ。




 などと、くだらない言葉遊びをしていたその時。


「おお……」


 つい、車内で小さく声が漏れて、慌てて口を手でふさぐ。



 ひらめきが降って来た。


 ……そういうことか。




 あの日だ。


 吾妻が『学校、楽しい?』とその質問をおれに投げかけてきたあの日。


 その帰り道を思い出す。



『色々あるんだよこっちにも。伏線ふくせんっていうか、布石ふせきっていうか……。まあ、伏線にせよ布石にせよ、使わないで済むならその方がいいのかもだけどね』


『今日のこと、ライブまででいいから、ちゃんと覚えておいてね』



 英里奈えりなさんと沙子が仲直りして、英里奈さんの告白が良い方向に傾いた、とやっと思えたあの日。



『別にパピコが食べたいわけじゃないよ。あたしは、割り勘でアイスを買いたいだけ』 


『あ、帰りのコンビニ。アイス買ってこ』


『あ、夕暮れのベンチ』


『またね』





 ……なんだ、そういうことか。




 だったら、今度はもう間違えない。




 おれは、震える親指で、そっと。






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