第3曲目 第76小節目:Who Did You Think I Was

「スタジオに入って演奏を見せていただくことってできますか?」


 おれの言葉に、一瞬時間が止まったかのように思えた。


「小沼、ちょっと……!」



 が、次の瞬間。



「いーよ?」



 と神野じんのさんが呆気あっけなくポニーテールを揺らす。



「で、ほかのみんなはー?」


 神野さんに突然水を向けられて戸惑とまどいつつも、市川いちかわ沙子さこが応じる。


「すみません、私は夜ご飯作ってお母さんが家で待っているので、そろそろ帰らないと……」


「うちも帰ります。また拓人そいつがむかつく顔しそうだから」


 むかつく顔って……。


 そんな中、ただ1人。


「あたしは……もし見せていただけるなら見たいです」


 吾妻が妙に覚悟を決めた顔をして参加の意思を表明する。


「ふーん、じゃあ、ユリボウと、えーっと……」


 名前がぱっとは浮かばなかったのだろう。おれを1、2秒見てから、「あ、そーだ」と小さく思い出したような声を出す。




「あと、タクトが観に来るんでいーか?」




「「なっ……!?」」



 市川と沙子が同じような表情で同じような声をあげる。





 市川と沙子が不満げな顔をしながらも「じゃあね」とか「ほどほどにして帰ってね?」とか言いながらエレベーターに乗って帰っていくのを見送ったあと、Butterバターの面々について、おれと吾妻がスタジオに入る。



「にしても後夜祭こうやさい以来だなー、3人で合わせんの。2人はちゃんと練習してきたかー?」


「いやいや、ウチらは受験生なんだって。舞花まいかみたいに一日中練習してるヒマはないの」


「そーだよー? 今日だってたまたま塾の日じゃなかったから来れてる感じだけど、親には自習室行ってるって言ってる感じなんだからー」


 楽器を取り出しながら3年生3人が気安い会話をはじめる。ていうか合奏、後夜祭以来なのか。そしたら結構うでにぶってるのでは?


 ……などと考えたのが甘かった。


「ま、毎日いてはいるけどね」


「わかるー、おふろとかと一緒の感じで、寝る前に1時間はかないと1日を終われない感じだよねー」


「ははっ、だろーなー」


 依然いぜんとして当たり前のように続けられている会話に、自分の底の浅さを見せつけられているような気がした。


 おれだって今はほとんど毎日楽器に触れる生活はしているけど、受験生になってもそれが出来るのだろうか。……ていうかこの人たち、受験は大丈夫なんだろうか?


 下級生のおれが勝手にいらぬ心配をしていると、


「なー、タクト」


 と神野さんが話しかけてくる。


舞花まいか部長、その『タクト』って呼び方……」


 おれが答える前に、吾妻がおずおずと差し込む。


「んー? まずいか? 名前にコンプレックスとかあんの?」


「いえ、まずくはないですし、多分本人にはコンプレックスはないですけど……」


「じゃーなんだ?」


 首をかしげる神野さんに、


「……いえ、なんでもないです」


「ん? そーか?」


 あたし、何言ってんだろ……とほほをかきながら吾妻が取り下げる。



「じゃあ、タクト」


「はい」


 改めて呼びかけられて、おれはピンと背筋せすじを伸ばした。


「何が聴きたい? なんでアタシらの演奏聴きたいんだー?」


「そうですね……」


 おれはその理由の言語化に少しだけ逡巡しゅんじゅんする。


「自分たちの演奏しか聴いてないから、今の状態でButterバターにどれくらい届いているのかわからなくって……」


「アタシらに?」


「はい」


 一つずつ、自分の頭の整理も含めて話してみる。


後夜祭こうやさいの演奏、本当にすごかったです。心から感動しました。あれが本物の音楽だと思いました。本物のライブだと、そう思いました」


「へえ……」

「すっごーい」


 ギターやベースをアンプに繋ぎながら、江里口えりぐちさんとしゃくさんがめられて嬉しそうにしている。


「おれたち……amaneも、あの後夜祭から短い期間ですけど、色々あって、折れそうになったり分からなくなったりしながらも、おれたちなりに考えて、見つけて、乗り越えてきていて、成長もそれなりに……いや、かなりしたつもりです」


「へえ、そう言い切れるのはすげーじゃん」


 神野さんはすっかり先輩の顔つきで笑う。


「ありがとうございます。……そして、その現状で、Butterバターと同じ舞台に立つってことになった時に、本当に張り合える状態になっているのか、知っておきたくて。もし張り合えるようになってなくても、明日の本番のタイミングになってからそれを知りたくはないっていうか。……それで、明日を迎える前に聴けたらなって。ダメ元だったんですけど」


 たどたどしかっただろうが、なんとなく言いたいことは言えた気がする。


「あんなにベタめしてたウチらと張り合うつもりなんだ、同じ軸じゃないと思うけどな」

「ジャンルも違う感じだしねー」


「まーまー2人とも」


 神野さんが江里口えりぐちさんとしゃくさんをなだめてから、おれに向き直った。


「ま、それは全然いーんだけどさ、amaneはもうさっきので最後の練習終わったんだろー? 今見て、もし張り合えるレベルになってねーなーって思ったとして、何か変えられんのか?」


 嫌味いやみでもなく、おごっているわけでもなく、純粋な疑問として、もしくは純粋な心配として、神野さんは思っているのだろう。


 その言葉は、


『本番前日にButterバターにうちのめされるだけになるんじゃねーのか?』


 と問いかけていた。


 おれは、そっと拳を握る。


「それは……」


「大丈夫です」


 一瞬言いよどんだおれを吾妻の声がさえぎった。


 声の方を見ると、いどみかかるように、覚悟を見せつけるように、先代の部長を見据みすえている、真剣な横顔があった。




「そうなった時は、明日までに、あたしたちはもっと成長します」




 根拠こんきょがあるのかないのか、おれにはさっぱり分からなかったが、そこには確固かっこたる自信があるようだった。




「へー、……ユリボウがそーゆーなら大丈夫なんだろーな」


 そう笑ってから、神野さんはドラムイスに座り直す。


「んじゃ、やるかー。2人とも準備はいーか?」


「ん」「ほーい、いい感じだよー」


 軽く2人が音を出す。その音で音量のバランスを見定めたようにうなずく。


「んじゃ、ユリボウもタクトも、ー失うなよー?」


 八重歯やえばを見せて、神野さんがカウントを始める。




「1、2、3、4……」




 そして、3人の音が鳴り始めた瞬間に。



 おれは、思い出してしまう。


 おれは、思い知ってしまう。





 そうだった、これがButterバターの音だった。



 下唇を噛みながらにらむように3人の演奏を見つめる吾妻の隣で、おれは本当にバカみたいに口を開けながら、思う。








 なんでおれはこの人たちと、ちょっとでも張り合えると思ったんだろうか?

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