第3曲目 第75小節目:Pretending

「よし、じゃあ、これで大丈夫かな?」


「んん……」「うん」「そうだね……!」


 市川いちかわがしっかりとした口調で問いかけてくるのに対して、3人がそれぞれのおもちで答えた。




 いよいよライブ前日の夜のこと。




 金曜なので部活が終わるまで沙子さこを待って、amaneの4人は吉祥寺きちじょうじのスタジオで最後の練習に入っているところだ。


 曲順セットリストも固まり、演出も決めて、全曲通しての合奏も何回かした。



 今日はもうこれ以上出来ることはないだろうとは、思える。



 思えるけど……。



「小沼くん、不安そうだね?」


 表情に出ていたのだろうか。市川が首をかしげて聞いて来る。


「不安っていうか……」


 おれはちらっと時計を見る。


 19時50分。……スタジオは20時までしか借りていない。


「なんていうか……不安と緊張が混ざってるって感じかな」


「大丈夫……?」


 前日にギターボーカルに心配させてどうする……。


 おれは3人の顔を見る。ここまで感づかれたら、隠したり嘘をつく方が3人に心配させるか。


「……いや、なんていうか、おれたちの中でのベストは多分尽くせてるとは思うんだけどさ、おれら、外でライブするの初めてだろ? だから、その、井の中のかわずだったらどうしようって思って」


「ふーん……?」


 市川が不思議ふしぎそうな顔をして首をかしげる。


「まあ、『完璧! 絶対いける!』っていう風にはなかなかならないものだよね」


 吾妻あずまが苦笑いしながらフォローしてくれた。


拓人たくとは、中学の時の吹奏楽コンクールの前日も一人だけそんな顔してた」


「そうなんだ?」


 市川がおれの顔を覗き込んで来る。やめて、よく見ようとしないで……。


「でもその時の本番も拓人は譜面に正確で、一回もミスらなかったじゃん。大丈夫だよ」


 沙子が励ましてくれている。迷惑かけてるなあ、おれ。


「ま、目標を高く持ててるってことなんじゃないの? 慢心まんしんしてるよりはずっと良いって。むしろさこはす、気をつけてねー?」


「いや、うちよりも市川さんでしょ。なんでそんな余裕そうな顔してんの」


 おどけたように言う吾妻にむすっとした沙子が、市川に水を向ける。




「んー。練習の時になるべく余裕を持っておかないと、ライブであふれちゃうかもしれないからかな?」




「どういうこと……意味わかんない」


 怪訝けげんな顔をする沙子に、「『どういうこと』じゃないよー?」と、市川が逆にあきれ顔で返した。



「7月のロックオンの時は小沼くんが『わたしのうた』に合わせてドラム叩いたり、このあいだの学園祭のライブだって、沙子さんがいきなり私を泣かせようとMCしてきたりしたじゃん」



 言葉とは裏腹に嬉しそうに微笑ほほえむ。いや、おれのドラムの件については、市川さんが『わたしのうた』を歌ったことの方が予定外だったと思うんだけど……。


「バンドのライブは、一人のライブと違って想定外のことが起こるから。……あたしも本当に歌えなくなっちゃうと困る、でしょ? だからなるべくそのタイミングまでは平静をたもつようにしようかなって」


 まだそうなったわけでもないのに、思い出すように懐かしむように市川は笑った。


「そう……かも」


 そしてそれに沙子も0.数ミリ嬉しそうに応じる。


「たしかにね。まあまあ、小沼とさこはすはともかく、天音あまねは前日にあまり声を出しすぎると本番に響くから、どちらにしても今日はこれくらいにしておいたほうがよさそうだね。……きっと大丈夫だよ!」


 吾妻がいつになく明るくそんなことを言いながらおれの背中を少し強めに叩く。なんか、吾妻はマネージャーしてるなあ。おれもいつまでもウダウダ言ってちゃいけない、か。


「そう、だな。すまん、おれたちのベストを尽くすしかないよな」


「そういうこと!」


 ニヒッとわざとらしいくらい口角をあげて吾妻は笑顔を見せた。


「じゃあ、今日の練習はここまで、だね? 明日は本番です、頑張ろう!」


「「「おー」」」


 市川が右手を振り上げて、3人が異口いく同音どうおんでそれに応じる。





 手早く片付けてからスタジオを出ると、ロビーの4人がけテーブルに武蔵野むさしの国際こくさいの3年生の制服をきた女子が2人座っていた。



 黒髪長髪の切れ長の目をした人がギターを抱えている。


 向かいに座って、べースを抱えているのは青みがかったマッシュルームヘアーでタレ目の人だ。



 どこかで見覚えある気がする……と思っていると、


「お。市川いちかわちゃん」


「あー、アマネっち?」


 と、2人組の方から話しかけてきた。



江里口えりぐち先輩、しゃく先輩!」



 市川も嬉しそうに応じる。


 名前もどこかで聞いたことが……? と眉間みけんにしわを寄せて考えていると、


「ほら、Butterバターのギターとベースの……」


 と、横から吾妻ねえさんが教えてくれた。


 ああ、この人たち、神野じんのさんのバンドの人たちか!


 頭の上で電球がピコーンといたおれを当たり前に放置して2人は市川と会話している。



「なに、amaneの練習?」


「はい! ……あれ、江里口えりぐち先輩、私たちのバンド、知ってくださってるんですか?」


「もちろん。ロックオンも、学園祭のライブも見に行ったし。ほら、先代部長としては」


 なるほど、ギターの方が江里口えりぐちさんか。ていうかこの人、ロック部の先代部長なのか。


「どっちのライブも感情爆発ーって感じだったねー。エモに全力投球な感じで、誰にもできる感じじゃなかったねー」


 じゃあ、こっちの『感じ』ってたくさん言うベースの人がしゃくさんだな。


「ありがとうございます……!」


「ホント、若いうちしかできない演奏だよね。確実にすんごく感動したよ。それだけが武器だと厳しいかもしれないけどな」


 さりげなく辛辣しんらつなことを言われた気がするものの、この人がまとっているかっこよさげな雰囲気ふんいきのせいで、嫌味な感じが全然しない。


 横ではうちの金髪が「自分だって1歳しか変わんないくせにえらっそうに……」と小さくつぶやいていたけど。(聞き逃すことにする。触れたらどっかが確実に爆発するから)



「お二人は、これからButter《バター》の練習ですか? 明日のライブ出るって聞きました!」


「そうそう。舞花まいかのやつ、いきなりぶっこんできたから」


「あはは、大変ですね……」


 苦笑いで応対する市川。まあ、いきなりぶっこんでる感がすごかったもんなあ、あの時……。


「まーでもー、マイカが出たいって言う気持ちもわかる感じがするよー」


 釈さんがほわほわとうなずく。


「どうしてですか?」


「あの、今回のライブを観に来るっていう、『大黒おおぐろ月子つきこ』って、舞花がドラムを始めたきっかけになった人らしいんだよ。一年生の時に聞いたことがある」


「え、そうなんですか?」


 ついおれの口から質問が飛びでていた。江里口さんは、名乗ってもない後輩がいきなり話に入ってきたにも関わらず、嫌そうな顔一つせず、頷きを返してくれる。


「うん、まあウチらは観たことはないんだけどさ。あの人が大学生の時、地下ライブハウスではかなり有名な実力派バンドのドラマーをやってたらしくてさ。当時小学生の舞花がアニキに連れられてその人のライブを観に行ったんだと」


「へえ……」


「舞花は一音目で骨抜きにされたらしい。その日にはもうドラムをやるって決めたらしくてさ。それからレッスンに通って、一生懸命練習して……今じゃあの通りだろ?」


 自分のことのように誇らしげに片眉かたまゆをつりあげる。


「大黒月子は就職してプレイヤーじゃなくなったみたいだけど、それでもその人に一目自分のドラムを見せたいんだよ、きっと。……日本にいる間にさ」


「なるほど……」


 それでこのあいだここでバンマガを読んでいた時にも色々反応していたのか。ていうか大黒さんってすごい人だったんだな……。


「まー追及してもマイカは賞金目当てだーって感じではぐらかすけどねー。目があーっちこーっちに泳ぎすぎてて、ウソだって一目で分かる感じだよね」


 2人があははー、と笑いあっていたその時。



「おーい? 2人とももう入ってきていーんだけど?」



 噂をすればなんとやらで、神野さんが汗だくのTシャツ姿で別のスタジオから出てきた。


 どうやら個人練習をしていたらしい。



「お、もうそんな時間か」


「ごめーんマイカ、すぐ入るねー。たまたまロック部の後輩に会っちゃって」



 すると、神野さんもおれたちに気づいたらしく、


「おー、ユリボウと……amaneの皆様ミナサマか」


 と声をかけてくれる。


「……覚えてるんじゃないですか」


 以前amaneのことを『ユリボウと愉快な仲間たち』とかなんとか言って吾妻に怒られていたから、今回は修正したのだろう。ミナサマって。


「ほらほら、いーから練習するぞー? 今日しか練習ねーんだから。じゃーなみんな、明日たいバンよろしくー」


「じゃね」「ばいばーい」



 そう言って手を振る3人に、



「あの」



 いつの間にかおれは声をかけていた。



「ん?」「お?」「えー?」



 3年生3人が振り返る。



「あの、もし良かったら……」


 練習時間が限られているこの段階でこんなお願い、めちゃくちゃ厚かましい、断られて当然だと思う。


 だけど、こうしたら、足りないものが分かるかもしれないから、ダメ元で、おれはお願いしてみることにした。




「スタジオに入って演奏を見せていただくことってできますか?」

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