第3曲目 第74小節目:スタンダード

「……あの歌詞って、ゆりが書いたんだよねぇ?」


 英里奈えりなのその質問に、あたしは少したじろいだ。


 ワンクッション置きたくて、あたしはそっと缶に口をつけ、一口カルピスを飲み込む。



「……そうだけど」



 まだ、ビクっとする。


 まだ、ドキッとする。



 予防線、と言うのだろうか。



 学園祭の時にもあたしを励ましてくれた英里奈が、あたしが『ポエマー』だってことをどうこう言う人じゃないってことくらいは分かってるけど。



 だとしてもバンドの外での歌詞の話はまだちょっとデリケートだ。



 その時、カルピスの缶をぎゅっとつかんでいた(いつの間にかこわっていたらしい)あたしの右手を、その上から英里奈の左手が包み込んだ。



「えりなね、あの歌詞すっごく感動したからもう一回読んでみたいなぁって思ってて……読ませてもらえない、かなぁ?」



 そう言って英里奈はもう片方の手のひらをこちらにそっと差し出してくる。もしよければここにスマホをのせて欲しいっていう意味だろう。



「そ、それは別に良いけど……あ、あたしの前で読むの?」



 どもりまくるあたしは、まるで中学時代の自分に巻き戻ったみたい。



「うん、だめぇ?」


 また、甘えたような上目遣いだ。



「ま、まじか……」




 英里奈に他意がないってことは……いや違うな、『傷つける意思いしがない』ってことは分かったけど、自分の前でバンドメンバーでもない人に歌詞を読まれるのはやっぱり怖いな……。


 ふうー、とあたしは息をつく。



「……いいよ、分かった」




 でも。


 いずれあたしたちは最強のバンドになるのだ。


 そしたらきっと、不特定多数の人に読まれることになる。というか、そうでなきゃいけない。



 だったら、ちょっとくらい、慣れないといけないよね。


 うん。前進しないと。




 何度も自分を説得しながらスマホでamaneのグループラインのノートに貼り付けた歌詞を開いて、英里奈にそっと渡す。



「ありがとぉ!」



 ニコッとヘラっと笑って英里奈はスマホに視線をうつした。



* * *

『おまもり』


あなたがたった一言で 世界をひっくり返したあの日

心の底から かっこいいと思ったんだ 


あなたはきっとこれからも この視線を奪い続けていく

おなかの底から かなわないとわらったんだ 



その勇気を分けてもらって

そこから糸をつむいで 縦と横にんだら

ほら 一つ 曲ができたよ



なんの足しにもならないかもしれないけど

きっとあなたがあの人を想うのと同じくらい

あなたのことが好きだよ

それがどういう意味合いかは内緒だけど


そしたら「なにそれ」って

あなたが いつもみたいに笑ってくれるなら

ちょっとでも その心があったかくなるのなら

泣くほど嬉しくなるんだ

ねえ それだけで 伝えて良かった



あなたが誰かのために 世界をひっくり返したあの日

心の底から 幸せを願ったんだ



その覚悟を貸してもらって

その言葉をつむいで 大切にんだら

ほら 一つ 歌ができたよ



なんの役にも立たないかもしれないけど

きっとあなたがあの人を想うのと同じくらい

あなたのことが好きだよ

それがどういう意味合いかは内緒だけど


そしたら「なにそれ」って

あなたが いつもみたいに笑ってくれるなら

ちょっとでも その心が前を向いてくれるなら

あの人だって同じはずだよ

ほら それだけで 伝えて良かった




苦しいときは歌って

それが いつもみたいな笑顔の力になるなら

ちょっとでも その心があったかくなるのなら

泣くほど嬉しくなるんだ

ねえ 好きになれて 本当に良かった


長くなってごめんね

ありったけの思いと ありったけのいのりを み込んで

おまもり 作ったから


もしよかったら

この歌だけ あなたのそばにおいてね


この歌だけでも あなたのそばにおいてね


* * *



 スマホに目を移してからはいつになく真剣な顔で、歌詞を読み込んでいる。



 あたしは、自分の緊張をなるべく自分でやわらげようと、あえて頬杖ほおづえをついて、その様子を見ていた。……右手は、英里奈に取られたままだ。



 しばらくって、読み終わったらしい英里奈が顔をあげる。



「ありがとぉ……!」



 スマホがあたしの手に帰ってきた。はあ、緊張したあ……。



「うん……うん。やっぱり、すっごく良い歌詞だったぁ……! ゆり、歌詞書く人になったらいいのに!」


「いや、ま、まあ、もう歌詞書く人なんだけど……」


 英里奈が言ってるのはプロになれってことだと思うけど、なんとなく気恥ずかしくてはぐらかした。ていうかあたしの話し方本当に中学時代みたいだな。そして、どこかの誰かさんにもちょっと似ている。



「えりなは、言葉の難しいこととかあんまりわからないけどぉ、すっごく勇気付けられたもん! それでねぇ、」



 そこまで言うと英里奈はまた少し真面目まじめな顔に戻って、あたしの目を見つめてくる。






「これって……ゆりの気持ちにも聞こえるって、昨日の夜に思ったの」






 ……まあ、そうくるよね。


 でなければ、さこはすでもなく、小沼でもなく、あたしに歌詞を読ませてもらう意味がない。




「……これは、あたしだけじゃなくて、バンドの気持ちだよ。英里奈のおまもりになれば、って言って、バンドみんなで作った」




 その意図までんだ上であたしは一度かりそめの答えを返す。嘘じゃない。真実の100パーセントを言ってないってだけで。




「それは、そうしてくれたんだと思うけど……でも、」




「歌詞のこと、色々いうのは無粋ぶすいだよ、英里奈?」




 なるべく声に温度は残すよう意識をしながら、そうさえぎると、




「えりなはぶすじゃない」




 英里奈は、顔をしかめた。


「いや、そんなこと言ってないけど……」


 無粋をブスと認識違いしたらしい。



「ねぇ……ゆりは、『好きだよ』って伝えないの?」



 そして、そのままあたしのデリケートなところを追及してくる。



 ……ほんと、あまりにも無粋だ。


 そして、あまりにも純粋だ。




 こうなっては、かわし切ることも難しいだろう。


 でも、まあ。



 あたしはそこで、やっと自分のペースを取り戻す。


 心の中で、余裕綽々よゆうしゃくしゃくで微笑む。




 ……あたしがそれについて何万回考えて、何万文字書いてると思ってんの。




「別に、伝えないってことを決めたわけじゃない。ただ・・伝えるのは、あたしの夢のためにならないってだけ」



「ゆりの夢って?」


「そうだなあ……」


 あたしは、自分がこの間小沼に伝えたことを思い浮かべる。



『バンドamaneがデビュー出来るために、やれることを全部やる。それが作詞家としてでも、マネージャーとしてでも構わない。とにかく、あたしは残りの青春期間とその先を、amaneのデビューを叶えるためにかけることにしたんだ』



「……まあ、色々だよ」


 英里奈にこれを全部説明するのはあまりにも退屈で、冗長で、それこそ無粋だ。


 あたしの『色々』を一旦飲み込んで、英里奈の手に少し力が入る。




「でも、それじゃぁ、ガマンするの……? 自分を、その……犠牲ぎせいにするの?」




「なーに言ってんの」



 あたしは顔の前で手を振ってから、なるべく強気な笑顔を作ってみせた。


「あたしは、我慢なんかしないし、犠牲になんかならないよ?」


「そぉ……なの?」



 気遣わしげに光る瞳。


 ……ほんと、あたしの周りには可愛い子ばっかりだな。



「あたしは誰かのためになんか生きるつもりはない。全部、自分のためにやってること。そんで、自分の夢を叶えるためなら、自分の持ってるものはなんだって差し出すよ。時間でも、努力でも、涙でも……恋でも、愛でも」


「愛……」


 その言葉が英里奈にとって特別なものだってことは知っている。


「でも、それは我慢じゃないし、犠牲じゃない。自分が叶えたいもののためにすることって多分、我慢とか犠牲なんて言葉で表すべきじゃないと思うんだ」


「ふぅーん……?」


 英里奈は小首をかしげた。


「だから、ね」




 言うなれば。




「これは、覚悟」




「かくご……?」


「そう、覚悟」


 あたしが不敵に微笑んで見せると、英里奈は数秒じーっとあたしの顔を見つめてから「へへっ」と吹き出した。


「えりな、それ、よくわかんなぁーい」


「あはは、そっか」


 あまりにもあけすけな言い方にこちらにも笑いがこぼれる。あたしの説明した時間を返せっての。


「だけど、ゆりが良いなら、それでいいんだぁ。別にそれを間違ってるとか言いたかったわけじゃないんだもん」


「そう? でも、そしたらなんでいきなりそんなこと聞いてきたの? 英里奈にしては珍しいっていうか。あたしのことなんか気にしたことないじゃん?」


 小沼とも話した通り、英里奈の『大好き』にはキャパシティがあるはずだ。


 ここまで踏み込んでくるということは、英里奈の場合、そこから出てきた感情や面倒を背負い込む覚悟があるということになる。



「『あたしのことなんか』、なんて言わないでよぉ……」



 英里奈は少しだけ口をとがらせながら続ける。



「うぅーん……。きっとみんなね、きっと自分から『助けて』って言うの、難しいと思うんだよぉ。頼ったら嫌われちゃうんじゃないか、とか、かっこ悪いんじゃないか、とか思っちゃうもん。『助けて』って言う方が、勇気がいる、でしょぉ?」


「まあ、そうかもね」


 一理ある。ていうか、唐突とうとつに深い話を始めるんだよなあ、英里奈は。


「でもね、えりなね、たくとくんがいてくれてすっごく助かったんだよぉ」


「小沼?」


 あたしが聞くと英里奈はそっとうなずく。


「えりなが無理してる時、無理するなってってくれた。それでも拒否キョヒったのに、離れないでそこにいてくれた。手を差し伸べてくれる人がいるって、それだけで、すごく嬉しいことだよねぇ。……それに昨日知ったけど、ゆりと、さこっしゅと、天音ちゃんと、えりなのために頑張ってくれてた」


「そうだね……」


 羨ましいな、と思ってしまう自分とも仲良くやっていかないといけないなあ、と改めて認識する。



「だから、ゆりにも、えりながいるって知っておいて欲しかっただけ。手を差し伸べる人がいるよぉーって」



 そう言ってあたしの右手に重なった手に少し力がはいる。



「そっか……ありがとう」



 あたしは、まだ気をゆるめるわけにはいかないけど、それでも、英里奈の言葉は心から嬉しいな、と思う。



「でも、だとしてもなんであたし? あたしのこと『大好き』になった?」



 冗談めかしてあたしが言うと、英里奈は「あはは、なにそれぇ」と笑った。




「そりゃぁ、『大好き』とか『愛してる』とか、そんな簡単にはえないけどさぁ、」



 にひひ、と英里奈は口角こうかくを上げる。



「えりな、ゆりの書く歌詞のファンなんだと思う!」



 その言葉に、あたしは息を呑む。



 ……そっか、あたしがいるのは、もう、教室の隅っこなんかじゃないのか。



「……ありがとう、英里奈」


* * *

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