第3曲目 第73小節目:青春のメモワール

* * *


 水曜日の放課後。


「おぉーい、ゆり」


 4組に残って学級日誌を書いていると、教室の扉のあたりからあたしを呼ぶ声がする。


「ん、英里奈えりな?」


「やっほぉー、日直にっちょくぅ?」


 手を振りながら英里奈は教室に入って、あたしの席まで歩いてくる。


「そう。いいでしょ? 学級日誌」


「なにがぁ……?」


 あたしが日誌を指差してドヤ顔したら、いぶかしむような顔をされてしまう。


「え、よくない?」


「はぁ……」


 まじでちょっとひかれてる気がする。学級日誌、好きなんだけどなあ。


 まず、名前に『学級』って入っているあたりからしてかなり強い。青春時代にしか書けないという限定感、特別感、そしてわずかにただよ寂寥感せきりょうかん


 個人的には文字を書くの好きだから『日誌』っていうのもいい。『日記』じゃなくて『日誌』なのも、なんとなくグッとくる。


 みんなが書くこと思いつかなくてどうでもいい落書きとかしてるのとかも最高。


 担任がどうでもいいツッコミ入れてるのも最高。


 あの担任しか使わない赤いペンが欲しい。いや、でもあたしが使ったらそれは担任だけのものにならなくなるから要らない。


 パラドックスだ。


 青春パラドックス、か。……なんかのタイトルに使えそうだからあとでメモっておこう。


「てゆうか、それって日直2人で書くものじゃないのぉ? えりな、この前、天音あまねちゃんと書いたよぉ?」


「ああ、あたしは読むのが好きすぎて時間かかっちゃうから、1人でやらせてもらってんの。……別に押し付けられてるわけじゃないからね?」


「そんなことってないじゃん。思ったけど」


「思ったんかい」


 そんで、それを言っちゃうんかい。




「こほん……まあいいや。それで、わざわざ4組までどうしたの?」


「あ、うん! 今日、いっしょに帰らなぃ?」


「え、あたし?」


 想定外のお誘いについつい自分をゆびさしてしまう。


「そぉ! さこっしゅもたくとくんもバンドの練習だからってスタジオに行っちゃったんだよぉー」


「いや、あたしも同じバンドの練習なんだけど」


 さこはすは日直じゃないのでホームルーム終了とともにスタジオに向かったけど、学級日誌を堪能たんのうし終えたらあたしもそちらに混ざる予定だ。


「そっかぁ……。じゃぁ、ちょっとお話するのはどぉー?」


 英里奈がすっとあたしの横にしゃがんで、上目うわめづかいで聞いてくる。全方位ぜんほういにあざといなあ、この子。あたしなんかにそんなことしてどうすんだ。


「まあ、それくらいなら……」


 どうやら、英里奈は何かのついでじゃなくて、あたしに用があるみたいだ。


 だって、小沼おぬまやさこはすが練習だから一緒に帰れないことなんて、これまでもきっと何回もあっただろう。


 それをわざわざあたしのところに誘いに来るのも初めてだし、しかも結局帰れないにも関わらず、『お話』に誘ってくるなんて、かなり珍しい。


 何か、特別話したいことがあるということに決まっている。


 元々今日は日直で遅れるって言ってあるし、楽器を担当しているわけじゃないから、多少遅れていっても大丈夫だろう。


「お話してくれるぅ……?」


「分かった分かった」


 念押しの甘え仕草しぐさに、二回頷く。


「やったぁ、ありがとぉ!」


「全然。んじゃ、とっとと終わらせるね」


 ……名残なごりしいけど、次の日直担当までさよなら、学級日誌。


「じゃぁさ、今日は天気いいからぁ、売店でジュース買ってカフェテリアのテラス行こぉ!」


「カルピス買って食堂のそとテーブルかぁ……いいね」


「えりな、カルピスってってないよぉ……? あとカフェテリアのテラスって言ったよぉ……?」


 ということで急いで学級日誌を書き上げて、英里奈と一緒に教室を出た。


 ……カフェテリアは英里奈だって別にいつも言ってないでしょ。






 職員室に日誌だけ届けてから、売店に行って缶のカルピスを買ってテーブルに座る。


 英里奈はなぜかペットボトルのファンタオレンジを買ってるけど。なんでカルピスを買わないんだろう?


 首を傾げてみていると、英里奈はゴクゴクとあおって、嬉しそうに笑う。


「日本はファンタ美味おいしくていいよねぇ」


「え? ファンタって国によって味が違うの?」


「うん、イギリスのファンタは美味しくないんだよぉ……」


「なんでファンタが美味しくないとかあるの……?」


 まじで意味が分からない。


「なんでだろぉね……」


 まあ、そんな話はさておき。




「それで、英里奈、どうしたの? なんか相談とか?」


「うぅーん、相談ってうか、なんてうか……」


 困ったように、口をもにょもにょとさせている。


「さこはすとは仲直りできたって聞いたけど……。あれ、もしかして小沼の勘違いだったりする……?」


「あ、うん。それはほんとに大丈夫だいじょぉぶ!」


「そっか、良かった……」


 小沼があんなに泣きながら上手くいったって報告してたのに実はそんなことなかったとかなったらさすがにあいつが可哀想かわいそうすぎる。


「でも、その話にはちょっと関係するってうかぁ……」


「え……?」


 やっぱりミスってる……? とまゆをひそめたその時。



「ゆり、ありがとぉね」



 英里奈があたしに対して頭を下げた。



「ほえ? いや、あたしは別に何も……」


「ううん、ゆりにも助けてもらったよ、すぅーっごく」



 やけに強く、英里奈は言い切った。まじであたしは何もしてないんだけどな。小沼がくるのを駐輪場で待ってただけで。


「なんで、あたし?」



「あのね、えりなねぇ、昨日さこっしゅに、みんなのバンドが作ってくれた曲を聴かせてもらったんだぁ」



「あ、そうなんだ? まだレコーディングしてないんだけど、なんの音源聴かせたんだろ?」


「あ、なんか多分練習の録音。ちゃんとしたデータはあとでくれるってさこっしゅがってた」


「そっか……」



 さこはす、あの音源を先出ししたのか。


 でも、たしかに、それが一番の近道かもしれない。


 ふむふむ、と納得していると。



「それでねぇ、こんなこともっかい聞くのも変かもなんだけどぉ……」



 英里奈がまた上目遣いで、あたしの顔を、目を、覗き込んでくる。



 やけに、真剣な表情で。


 やけに、意味ありげに。




「……あの歌詞って、ゆりが書いたんだよねぇ?」

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