第3曲目 第70小節目:甘い絨毯

「……そのまま、あたしの話、聞いてくれる?」


 おれが閉じたまぶたにパピコをあてていると、吾妻あずまがそう切り出した。


「え、なんですか……?」


 目隠し状態なんだけど、なんか怖いんだけど……。


「いや、そんな身構えなくても別に何もしないっての。話すだけ」


「本当か……?」


 じゃあそんな意味ありげなセリフ使わなくてもいいのに……。


 いぶかしんでいると、右側でカサコソときぬれの音がする。


 目を閉じていると、なんとなく、視覚以外の五感が敏感になる気がするな……。




「ねえ、小沼おぬま。学校、楽しい?」



 耳元で話されているとかではないけど、その声がなんとなく近くに聞こえた。



「なんだよいきなり?」


「雑談だよ雑談。いつもあたし、自分の青春のことばかり話してる気がするけど、小沼は青春してんのかなって思って。どう? 日常は良い?」


「それ、いつまでいじるんだよ……」


 イタズラな表情をした吾妻の顔が浮かぶ。『日常は良い』はあの日、吾妻に散々ダメ出しされた、おれが書いた歌詞のタイトルだ。


「いや、いつまでも何も、4ヶ月しか経ってないし」


「え、嘘だろ……?」


 吾妻がamane信者だと知ったあの日からまだ4ヶ月……?


「もっと長く感じる?」


「そうなあ……」


 おれは驚きながらも、しみじみと振り返る。


 本当に4ヶ月とは思えない。


 毎日毎日せわしなかったからなあ……。


 考えなくてもいいことを考えたり、超えなくてもいいハードルを超えたり、今日みたいに流さなくてもいい涙を流したり。




「どう? 学校楽しい?」



 よくよく考えれば、面倒だし、疲れることばかりだと思う。


 別におれは吾妻のように青春を追い求めていたわけでもないし、別にもっと平穏へいおんでも良かったのかもしれない。




 でも、もう一度投げかけられた問いかけの答えは決まりきってる。




「楽しいよ」



 そんなことを口に出す日がくるとは思わなかった。


 おれも随分ずいぶんと素直になったと思う。



「あはは、そっか。それは良いね」


「良いねって。……吾妻は楽しくないのか?」


「そうだねえ……」


 即答そくとうで『楽しいに決まってんじゃん、ばかじゃないの?』くらい言ってくるかと思ったが、吾妻はふくみを持たせるような言い方で応じた。



「あたし、旅行が始まると憂鬱ゆううつになるんだよ」



「はあ……? 何いきなり。旅行が嫌いって話?」



「いや、そうじゃなくて。たとえばなし



 また、たとえ話か。ポイントカードの話といい、吾妻はたとえ話が好きだな……。



「旅行嫌いとはむしろ逆で、旅行が楽しみで楽しみでしょうがないの。行く前、楽しみにしすぎちゃって」


 ふむ……と鼻から息を漏らした。


「……それで、旅行が始まると、途端とたんに『終わりへのカウントダウン』が始まった気になっちゃうんだよ。『これからは終わってくばかりだ』って思っちゃう」


「それはネガティブだな……」


「ネガティブとかまじで小沼に言われたくないんだけど……。まあでもそうだね。ネガティブかも知れない。それでね、」


 優しく、自分に呆れたように笑ってから、


「今がまさしくそんな感じなんだよね」


 と言った。



「今?」



 なんか聞いてばかりで恥ずかしいけど、その意味をたずねてみる。



「うん。あたしね。ずーっと高校生になりたかったんだ。漫画の中みたいな高校生活を送るのが夢だった。将来の夢は『高校生』って思ってたくらい。……それで今、夢にまで見た高校生活を過ごしてる。ゆめなか夢中むちゅうで過ごしてる」


「なるほど……」


 青春部部長兼ポエマーの言葉は都度都度つどつどポエムだな……。



「でね、いくら夢中で過ごしていても、当たり前だけど、高校生活には限りがあるんだよね。いつか卒業式の日が来る。……目が覚める日が必ずやってくる」



「まあ、それはそうだよな」


「だから、その日が近づいて来るのが毎日怖い」


「そうかあ……」



 吾妻の言いたいことも、たとえ話も、少しだけど理解できた。


 面白い漫画とか面白い小説のページをめくるのが勿体無いという感覚にも似てるんだろう。……たとえ話をたとえ話で噛み砕いてどうするんだ、おれは。



 セルフツッコミを入れていると、吾妻は話を続けた。




「1日1日をどんなに大事に生きても足りないなあって思う。『戻りたい』とか、『もう一回高校行きたい』とか、将来自分が思わないように、今を全力で生きたいなって思う」



「……そうか?」



 おれは小さく首をかしげる。



「そうか……って?」



 吾妻が「ほえ?」ときょをつかれたように間抜けな声を出す。



「いや、おれにはよくわかんないけどさ」



 間違えてるのかもしれないけど、思ったことをそのまま口にしてみた。



「『戻りたい』とか『もう一回高校行きたい』って思うくらい楽しい高校生活を送れたら、それは大成功なんじゃないの?」



 おれがそう言うと、吾妻が声を失ったように沈黙する。



「……あの、吾妻さん?」



 反応が見えず、そちらを見ようかとパピコを外そうとしたら。




「小沼って、たまに良いこと言うね」



 ポツリ、とつぶやきが返ってきた。




「ええ、そうかな……?」



 内心喜びながらそれが表情に出ないように噛み殺して無自覚チートぶる。またおれ何かやっちゃいました?



「うん、ほんと、たまにだけど」


「……その念押し必要か?」



 いや、事実だと思うんだけどさ……。



「ねえ、小沼?」


 改まったように、吾妻が呼びかけてくる。


「なんだよ?」


「多分、次のライブまでだと、一緒に帰るのは最後になると思うんだよね」


「そうかもなあ……それがどうした?」


 吾妻はいつも意味深いみしんでわかりづらいんだよなあ……。


「今日のこと、ライブまででいいから、ちゃんと覚えておいてね」


「なんで?」


「なんでも。それが小沼の役に立つかもしれないから」


「全然意味わかんないんだけど……それも布石ふせき?」


 さっきパピコの話をしていた吾妻の言葉を思い出しながら聞いてみる。


「そうなあ……」


「真似すんなし……」


「あはは、うける」


 嬉しそうに声が上がった。


「ね、そろそろ目のれ、引いたんじゃない?」


「おれは元々そんなに腫れてんのかすら知らないんだけど……」


 パピコを外してまぶたを開くと、吾妻がこちらをじーっと見ていた。



「……目の腫れを確認してんの?」



「そ、そうよ! ……横顔を見てたわけじゃないんだからね、勘違いしないでよね?」



 にひひ、と笑うその顔に一瞬不意をつかれる。……ていうか、またしてもツンデレ成立しちゃってるんだよなあ。



「よし、じゃあ、帰ろっか」


 吾妻はいつの間にか食べ終わったパピコの抜けがらをくわえたまま、はずみをつけて立ち上がる。


「おう」


 おれも立ち上がって、自分の体温でまあまあ溶けたパピコを開けて吸い込んだ。





 東小金井ひがしこがねい駅について、改札を通り、逆方面のホームに分かれるところ。



「じゃあな」


「うん」


 手を振って数歩進むと、



「小沼」



 と声をかけられた。



「ん?」



 振り返ると、吾妻は何かをたくらむように笑う。


「なに……?」



 すると、片手をあげて、もったいぶったように、これが何かの鍵だと言わんばかりに、一音いちおんずつ大切に言うのだった。




「またね」

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