第3曲目 第58小節目:Don’t Go Away
「
「まぎらわしい言い方するなよ……」
「……ていうかさ、沙子さん?」
「なに」
おれはこの十数時間ずっと気がかりだったことを質問する。
「……なんで今日おれのパーカー着てきたの?」
「あ、バレた」
表情に似合わず、沙子はペロッと舌を出した。
「いや、おれにはバレるに決まってるだろ、おれのなんだから……。市川の前でツッコむわけにもいかないし……」
「うける」
全然笑わずに沙子がうけている。(らしい)
おれの私服は夏合宿以外で見せたことはないし、このパーカーはほぼ寝巻きがわりに使っているものだから、おれが言わなければおれのパーカーだとバレることはないだろう。
どこぞのスキル持ちが読み取っていた可能性はなくはないが、あまりにも沙子が文字通り
とはいえ、議論が白熱するまではおれも結構気が気でなかった。
「返してくれようとしてる?」
「そう思ってたけど、うちが丸一日着てるパーカーは返せないし、寒いから嫌だ」
「そうすか……」
まあ、返してくれる気はあんましてないからもういいや……。
そんな話をしながら何度かの乗り換えののち、一夏町に向かうガラガラの電車に乗り、2人並んで座った。
「ふあぁ……」
普通の列車に関わらずやけにふかふかした座席に、ついあくびが
「
「いや、沙子の方こそ、結局昨日から
「……うん、大丈夫」
なぜか少しばつが悪そうに沙子は瞳をそらす。
「……最近、あまり眠くならないから」
「え、寝てないってこと?」
おれはつい、
「寝てないわけじゃない、けど……。ベッドとか入ってもずっとなんかちょっともやもやして寝付けないんだよね。『眠れない眠れない』って思ってたらもっと目が冴えちゃって、考えちゃって、それで考え疲れ果てたあとにいつの間にか少しだけ寝てるって感じ」
「まじか……」
それ自体はおれにも何度か経験がある。興奮してしまった時とか、雑念が部屋を埋め尽くして寝かせてくれない時とか。
だけど……。
「最近って、いつ頃からだ?」
「先々週くらいから」
やっぱりそうか。
それがたまにであればそこまで大きな問題ではないだろうが、約2週間続いているとなると、体調にも影響が出てしまいそうだ。
「それって、やっぱり
「……多分。ていうか他にあるとは思えないし」
「そうだよなあ……」
英里奈さんに曲を贈ることで、『元どおり』はさすがに楽観的すぎるとしても、せめて英里奈さんが無理をしすぎないように、ダンス部3人の関係性に一つの落とし所を作ることができたら、と思っていたけど。
それは、ちょっと悠長に構え過ぎているのかもしれない。
ライブは今週の土曜日だけど、レコーディングはもっと先になってしまう。
英里奈さんに曲を贈って英里奈さんの支えになるような存在を用意する、ということ自体は準備期間も含めてそれくらいの
沙子の体調が心配だし、英里奈さん側にもなんらかよくないものが溜まってしまっているだろう。
「なあ、ライブの前に解決しておいた方がいいんじゃないか? 英里奈さんと話すとか……」
「……でも、英里奈が話したがってないから」
「そんなこと……」
そこまで言ってのどがつまる。
『そんなことないだろ』などとおれが無責任に言っていいことだとは思えなかった。
「だけど……」
おれは言い
「でも、普通に沙子の
おれの予防線だらけの言葉に沙子が0.数ミリ
「……こないださ。うちに『仕方ない』って言わせたくないって、拓人は言ってたよね」
「そうなあ……」
うちでカレーを食べたあと、沙子の家まで沙子を送った時のことだろう。
「でも、今日出来た新曲……『あしたのうた』にも『仕方ない』って入ってた」
おれはそっと『あしたのうた』の歌詞を思い出す。
* * *
あなたとが 一番いたいよ
仕方ないよね 大切なものの近くだから
* * *
「そう、だな……」
あれはきっと、『わたしのうた』の歌詞の
「そういう『仕方ない』もあるのかもね」
「ん……?」
おれがその意味をはかりあぐねていると、
「ほんと、仕方ないことばかりだよ、拓人」
とあの日と同じことを言った。
「分かったよ。明日、部活のあとに英里奈と話す。逃げようとしたってしつこく追いかける。……先に帰れって言われても、頼まれてもないのに
「……そうか」
やけに具体的な状況説明はおれにはよくわからなかったが、きっと、沙子と英里奈さんにしか分からない何かがあったのだろう。
「ねえ、拓人。……うまくいくかな」
沙子はせがむように、すがるように、おれの目を見てくる。
きっと、おれが言うべきことは、『大丈夫』の一言なんだろうと思う。
おれは、それでも、ここへきても、無責任には何も言えず、その質問をはぐらかす。
「さあ、どうだろうな……」
「拓人……」
そして、残念そうに目を細めた沙子に対して、自分で責任のとれることだけを約束する。
「おれは2人の間に何があっても、沙子とも、英里奈さんとも、これまでと変わらないままでいるよ」
「……はは」
沙子はわずかに声を出して笑ってくれた。
「……約束してね。どっちとも、だからね」
「おう」
おれはうなずく。
「英里奈のこと……ひとりにしないでね」
「……おう」
もう一度、さっきよりも深くうなずいた。
「……良かった」
ほとんど無表情だけど、つり上がっていた眉が0.数ミリだけ柔らかく下がった気がする。
「じゃ、うちは今日の音源聴くから、拓人は寝て。話しかけないで」
「なんでいきなり
沙子はおれのツッコミを無視するようにイヤフォンをして、ついでに何の意味があるのかパーカーのフードを
おれからは表情が見えなくなる。
ピカチュウのお面の次は、パーカーかよ……。
おれはなんとなく笑って、窓の外に視線をうつした。
ガタゴトと揺れる一定のリズムで、すぐに睡魔が襲ってくる。
プシュー、とドアが閉まる音がする。
はっ、と目を開けると。
「うおお……」
今まさに、電車が一夏町駅を発進したところだった。
うわ、次の駅で降りて引き返さないと……。
起こしてくれるんじゃなかったっけ、と沙子の方を見ようとすると、右肩によりかかる重みを感じる。
……重みの正体は、フードに包まれた金髪頭だった。
「おい、沙子」
「くー……」
おれが声をかけると、わずかに身じろぎをするも、気持ちよさそうな寝息を立てている。
「はあ……」
おれはそっとスマホを取り出し、終点駅までかかる時間を調べる。
沙子がこのまま穏やかな眠りにつくことのできる時間を計算するために、それを頭の中で2倍した。
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