第3曲目 第57小節目:無題

「ん……?」


 おれは重いまぶたをゆっくりと開く。


 いつの間にか寝ていたらしい。馴染なじみのないソファの背もたれに頭をあずけていた。


 バンドamaneでの白熱した議論は真夜中まよなかまで続き、おれが最後に時計を見たのはたしか、3時くらいだったか。


 今、何時だろう? 暗い室内で目をこらすと。


「……市川いちかわ?」


「おはよう、小沼おぬまくん」


 そこには市川がおれと同じように背もたれに頭を預けてこちらを向いていた。甘く微笑ほほえんでいる気配がする。


「ああ、おはよう……」


「声、かすれてるね」


 そんなことを指摘して来る自分の方こそこしょこしょ声で話すから、おれは鼓膜こまくがくすぐったくなる。口の中で咳払いをしてのどを整えた。


「……で、市川は何してんの?」


「んー、『すりこみ』かな」


「すりこみって……?」


 寝ぼけているのはおれだろうか、市川だろうか。いずれにせよ何を言ってるのかが分からない。


「あれ、知らない? 鳥が生まれて最初に見たものを親だと思うってやつ」


 脳に染み渡るような綺麗な声で、市川がしっかりと教えてくれる。どうやら市川の頭は働いているらしい。


「いや、それは知ってるけど……それがなに?」


「もし昨日までがなくなってても、今日が最初の日でも、起きて最初に見た私を特別に思ってくれるかなって」


「はあ……?」


 おれの頭が回らないのが悪いのか、相変わらず意味不明だ。


「あはは、ごめんね。なんでもないんだ。ちょっと甘えただけ」


「そうなのか……?」


 甘え方が斜め上すぎておれには全然分からなかったけど……。


「よく寝てたね?」


「ああ……すまん、いつの間にか……。バンドの大事な話してたのに」


 話が変わって、おれは軽く頭を下げて詫びた。


「ううん、小沼くん、一昨日おとといの夜も由莉ゆりと話してて寝てなかったし、昨日の夜も遅くまで曲作ってたでしょ? 疲れてて当然だよ」


「いや、それはみんな一緒だから……。ていうか沙子さこ吾妻あずまは?」


 暗い室内を見回す。


 ……今のやりとり見られてないよな?


「あはは、大丈夫大丈夫。今、準備してるよ」


「なんの?」


「帰る準備だよ。それでね、由莉が、帰りがてらがしら公園で日の出を見たいんだって」


「井の頭公園の日の出……? 名物なのか?」


 おれはそっとスマホを取りだす。




「ちょっと、小沼」




 すると、ちょうど準備を終えてこちらに来たらしい吾妻の声がした。


「今、画像検索しようとしたでしょ? それは、まじで無粋ぶすいだから」


 暗い部屋なのに表情を読まれたのでしょうか……。スマホの明かりのせい? ていうかよく考えたらなんで部屋が暗いんだ? 話してた時は電気ついてたと思うんだけど……。


拓人たくと、ちょうど起きた。はい、拓人の上着」


「ああ、ありがとう……」


 ……まあ、いいか。


 吾妻と一緒に来た沙子からおれは服を受け取り、立ち上がりながら羽織はおった。


 それに合わせて市川も立ち上がる。


「それじゃあ、行こうか?」





 公園を4人横に並んで歩く。


「はあー、はあー」


 市川がなんか嬉しそうに息を吐いている。


「何やってんの?」


「ほら、息白いよ?」


 市川がもう一度「はあー」と息を吐いて指差して教えてくれる。


「そうなあ……」


 おれは地味にその仕草が可愛いと思ったのだが、朝だし吾妻と沙子がいるしでとりあえず視線をそらした。


 そんなおれの心中しんちゅうを知ってか知らずか、市川はニコニコと息を吐き続けている。


「日の出までもうちょっとだよ。ねえゆりすけ、ひがしってどっち」


 スマホの画面を見た沙子が吾妻に質問する。


「いや別にあたし、地理に詳しいわけじゃないんだけど……」


ひがしみたいな名字してるのにね」


「何それ、あずまってこと……? なんかそう言われると答えなきゃいけない気がするなあ……」


 むむむ、と考え始めた吾妻に、歩きながらおれは指で指し示す。


「太陽はあずまからのぼるんだから、明るくなりはじめてるあそこらへんじゃねえの」


「いや、そこはひがしでしょ……。ん?」


 そんなことを言いいながら池にかかった橋に足をかけたちょうどその時、その瞬間。


 おれの指差す方向を見て、揃って息を呑む。




「おお……」「わあ……!」「やば」「すっごい……」




 そこには、水面みなもを反射させる赤くて大きな太陽。


 橋に立ち止まって、4人で見上げていた。




 おれの語彙ごいりょくではとても伝えられないくらいに綺麗な朝焼け。




 吾妻ならどんな風に表現するんだろう、と横を見ると、小さく何かつぶやいていた。




「すごいなあ……。東から夜明けが来たら、その次は……うん、そっか」



 そして、微笑ほほえむ。その瞳にたまったしずくが朝焼けを反射して少し光っていた。




「ねえ、みんな」



「ん?」



「新曲のタイトル、思いついたよ。なんだと思う?」




「なんでクイズなのー?」


 吾妻の急な宣言に、市川が笑いながらツッコミを入れる。




「ヒントは、『〇〇まるまるのうた』」




「『わたしのうた』『あなたのうた』にかけてってこと」


「まあ、そんな感じ」


 沙子の質問に笑いながらうなずく吾妻。


 おれにも回答権はあるのだろうか。


 まあ、ものは試しだ。




「amaneのうた」




 とりあえず答えてみると、


「それは……、まあ、小沼にしては意外と上出来というかビギナーズラックというか、一周回ってアリな気もするけど……」


 好感触なのか呆れられてるのかよく分からない反応が返ってくる。




「んー……ゆりすけが作ったから……『あたしのうた』」


「えー、みんなで作ったじゃん。だから……『みんなのうた』?」


 次いで沙子と市川がそれぞれ回答した。




「ううん、どっちも違う。一番惜しいのは、さこはすの『あたしのうた』かな。あたし、アズマだし」




 どういうこと……?




「えーそうなの? みんなで作ったのになあ」


 市川がいじけたように少し頬を膨らませる。




「あはは、語感の話だよ。あのね、未明と夜明け前の後には、これが来るんだって思ったんだ。だから、」




 切なく、寂しく、だけど、とびきりかっこよく吾妻あずまは笑う。




「この曲は、『あしたのうた』だよ」






* * *

『あしたのうた』


昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら

同じ明日を選んでいたのかな

もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに

たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない


満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない

「教えて」なんて言わないけど


昨日をなくすわけにはいかない

今日 泣くわけにはいかない

だってこれは 自分で決めた道だ


だから

昨日までが真っ黒だとしても

今日 最初の一歩を一緒に選ぼう

だって明日は 私たちのものだよ




あなたのことも この気持ちも

知らなかったら なんともなかったのに

あなたとが 一番いたいよ

仕方ないよね 大切なものの近くだから



満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない


だけど

間違いかもしれないけれど 鳴らそう


1つの時はちっぽけな点なのに

2つで線になって

3つで平面を作って

4つで四角い空欄が出来たんだ


だから

ほら 大きく『口』を開けて

歌う言葉は 正解じゃなくてもいい

だってそれも 私たちのものだよ


これからの日日ひびは 私たちのものだよ

* * *

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