第3曲目 第53小節目:この高鳴りをなんと呼ぶ

 一夏町ひとなつちょう駅から家へと、おれは全速力で駆けていく。


 少しでも早くギターに触りたい。


 少しでも早く音を鳴らしたい。




 おれにしか出来ないことが、たった一つだけどあったんだ。




『学園祭の日、どうして『キョウソウ』が市川さんの曲じゃないって分かんなかったわけ』



 もちろん、有賀ありがさんを買いかぶっていた可能性もある。有賀さんが単純にamaneのことを理解していないだけという可能性もある。


 だけど、だったら、あの人はおれたちに『ゴーストライター』を頼むだろうか?



『私は責任の取れない仕事はしないの』


 あのかしこくてまっすぐな大人が、そんな反則中の反則を使うだろうか?


 普通に・・・『キョウソウ』が良いと思っただけなら、おれや吾妻あずまを作曲家・作詞家としてスカウトするんじゃないのか?


 いや、それこそ、おれだって有賀さんのことはよく知らないけど。

 

 でも、きっと。




 きっとおれたちの曲が『amaneの曲として』素晴らしかったから、それでおれたちにゴーストライターを頼んだんだ。




 おれも吾妻も、本当は沙子さこもamaneを聴きまくって、amaneを知って、その音域も歌唱力も声も歌詞も含めて、市川いちかわ本人以上にamaneのための歌を作ることが出来るようになっていたんだ。


 だから有賀さんは市川の曲じゃないと気づけなかった。


 ……いや、少し違うか。




 有賀さんは、『amaneの曲だ』と思ったんだ。




 そして、だから有賀さんはおれたちにゴーストライターを頼もうとした。



 でも、だったら。


 いや、だからこそ。




 市川天音は、おれたちとこそ・・音楽をやる意味があるってことじゃんか。


 おれたちはバンドになる意味があるってことじゃんか。




 気付いてしまえば簡単なことだ。


 だっておれたちは、信者でなくなった瞬間にamaneにとっての最強のソングライターになるんだから。





「ただいま」


 玄関をくぐり、部屋へと直行する。


「ああ、そういうこと……」


 ゆずのあきれたような声が後ろから聞こえた気もするが、気にならないくらい、とにかく気がはやっていた。


 おれはもう一度市川の新曲を聴こうと、スマホをポケットから取り出そうとする。



 が、しかし。



「ん!?」



 ない!? あれ、スマホ、どこにやったっけ?


 わたわたとしていると、カバンの中から振動音が聞こえた。


「は? カバン?」


 そんなとこに入れたっけ? とは思ったが、とりあえず取り出す。


『着信中 由莉ゆり


 振動の理由は、吾妻からの電話だった。


 走って帰ってきた名残なごりと焦りで足をバタバタさせながら受話する。


「もしもし?」




『ねえ小沼、あたし気付いたんだよ!』




 突然、電話の向こうからはテンションの高い声。


「なんだよ? おれだって気付いたよ。何に気付いたかというと……」


『ちょっと待って、勝手に自分の話しようとしないでよ! 先にあたしの話を聞いて!』


「いや、ほんと、急いでるんですけど」




『天音も一緒に曲が作りたかったんだよ!』




「……え?」


 おれが電話を切ろうとするのを察したのか、吾妻が食い気味ぎみに気づきを教えてくれた。


『ほら、気付いてなかった!』


「どういうこと……?」


『今日の歌詞をちゃんと読んだらそうなんの! 天音も、あたしたちと一緒に音楽が作りたいのに、あたしたちが勝手に天音とあたしたちを分けて考えてたんだよ。だからバンドになりきれてなかったってこと!』


 おれは歌詞を思い出す。


* * *

昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら

同じ明日を選んでいたのかな

もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに

たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない


満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない

「教えて」なんて言わないけど


ラララララ……

* * *


 おれにはすぐにそれを読み解くことは出来ないけど、吾妻がいうことなら間違いがないんだろう。


「そっか……。市川も……」


 おれたちがamaneでいたいのと同じくらい、市川もバンドでいたかったんだ。




『で、小沼が気付いたことって?』




「それは……」


 説明するのが、まどろっこしい。


 市川の意思を理解した今、なおさら早く音が鳴らしたい。


 でも、吾妻ならこれだけで伝わるだろう。






「おれたちは、amaneよりもamaneだったってことだ」






『……はあ?』


 かたかしを食らった。


「はあ? じゃねえよ。吾妻なら考えたらすぐ分かる。吾妻がおれの言いたいこと分からなかったことなんかなかったんだから」


『いや、信用してくれてるのは嬉しいけど……』


 吾妻が戸惑ってるのは珍しい。


「絶対大丈夫だから。じゃあ、おれ曲作るから電話切るわ。あ、明日予定空いてるか?」


『分かったよ、もう。っていうか、明日? あたしは空いてるけど、明日ってあんたさっき……』


「空いてるならそのまま空けといてくれ。今日中に曲を作るから、それ、みんなで形にしよう」


 おれは自分でもおかしいと思うくらい強気つよきの宣言をする。


『なに小沼、いきなり漫画の主人公みたいなことを……!』


「おれ主人公だったんだよ」


『はあ……?』


 興奮して、もはや自分が言っていることがなんなのかもよく分からない。


「おれたちは全員が主人公なんだよ。市川を引き立てるための脇役じゃないんだよ。おれも沙子も、吾妻だってそうだ」


『……そっか!』


 だけど、このたとえ話は吾妻好みだったらしい。


『わかった。歌詞書けているところまで送っとくから、だから……』




 それは『おまもり』の時は逆で。




「バトンは受け取った。あとは、おれに任せろ」



 


 吾妻との電話を切ったおれは、わなわなと震える手でギターを取り出し、市川の曲を弾いてみた。


 やっぱりそうだ。


 市川の声に対して、音域が低い。


 このメロディだったら、市川の声が一番気持ちよく聴こえるところは……。


 探す。確かめる。捨てる。もう一度探して、確かめて、何度かやって、見つけた。


「よし」


 変えたキーで、改めてその続きを作る。


 新しいメロディは難なく生まれてくる。流れ出てくる。あふれてくる。


 市川の作ったパートとおれが作ったパートがあるはずのその曲は、あまりにも綺麗に馴染んでいて、その接合部分に違和感いわかんを感じる人なんてきっと1人もいないだろう。


 メロディが出来上がったら、すぐにアレンジをはじめる。


 全ての音に、全ての休符に意味を持たせる。


 全ての音が込められた思いを声高こわだかに叫ぶ。




 そして、なんとか出来上がった。


 だけど、今回は、これで終わりじゃない。


 これはむしろ、始まりにすぎない。はじめの一歩にすぎない。



『ベースと歌だけ。語るように歌う。メロディ1オクターブ下げ』

『ベースソロみたいなベースライン。(沙子頼む)その代わり市川がギターでしっかり支える。低音強めに弾く』

『ここで楽器全部、音を止めて歌のみになる。殺し文句の歌詞(吾妻か市川頼む)』

『ドラムここで壮大なリズム(練習します)』

 ・

 ・

 ・



 出来上がった曲のアレンジにメモをつけていく。


 曲を4人のものにするための、まずはおれの意思をひとつずつ。






 この曲を聴いたら、このメモを読んだら。


 市川はなんていうだろう。


 吾妻はなんていうだろう。


 沙子はなんていうだろう。





 だけど、おれはamaneの曲の中で、この曲が過去最高だと思う。


 やっと出来た、おれが世界で一番好きな曲。



「……よし」




 時間を見ると、2時。いつもよりは早く終わったみたいだ……。


 おれはすぐに市川に電話をかける。


『はーい』


「もしもし? 市川?」


『はいはい、市川ですけど。ていうか夜中よなかなんですけど。どうしたのそんな声で?』


「明日、空いてるよな?」


『……私の予定が空いてないことを小沼くんだけは知ってるはずだけど?』


 市川は怪訝けげんな声を出す。


「それは、分かってる。けど、amaneで、バンドで集まりたいんだ」


『ふーん? まあ、拓人くんが恋人よりもバンドをとるっていうなら、私の予定も空きますけども?』


 試すような声音こわねだけど、おれはひるまない。


 頭のどこかから、そうじゃないだろ、という声も聞こえる。


 大事にするんじゃないのか、という声も聞こえる。


『ねえ、恋人よりも、バンドが大切?』


 でも、このいかにもなめんどくさい質問におれはあえてこじらせるようなことを言うことにした。




「……ああ、そうだな」




『ふーん……?』


「すまん。天音あまねを傷つけたいわけじゃない。だけど、今、多分amane史上一番いい曲ができた。おれにしか、おれたちにしか作れない曲が出来た。これをおれはどうしても二週間後、完璧な状態でライブしたい。そして、」


* * *


ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?』


* * *


「それは、市川にしか歌えない曲なんだ」



『ふーん……?』


「……ダメか?」


 さっきまでの威勢いせいはどこへやら、そんな情けない言葉で訊くと、市川は「はあー……」とわざとらしくため息をついた。




『うーん……あのね、小沼くん。いや、……拓人くんにはとっても言いにくいんだけど……』




「ん……?」


 電話のこちらで眉をひそめると、市川天音はあっけらかんと言う。






『私も、恋人よりもバンドが大切なんだよね』






 電話越しに、清々すがすがしい笑顔が見えた。


 はは、と笑いが溢れる。


『埋め合わせはしてもらうけど。天音の方に、ね?』


「おお、もちろん」


 なんだか緊張が和らいでおれも気の大きな返事をした。




『ねえ、小沼くん?』


「なんだ?」





『……ありがとね』





「……おう」




 今度こそ電話を切って、仰向あおむけに寝転ぶ。



 ……やっとだ。



『弾き語りで出て来た曲のコードをそのままに、ありきたりなベースラインと一般的なエイトビートのドラムパターンをつけたことをアレンジと言うのなら、そうかもしれません』


『これが天音さん一人で作った『わたしのうた』です。言ってしまえば、ただの小娘の弾き語り。14歳の女の子の日記帳に書かれた落書きみたいな歌詞。これをこのまま音だけ綺麗にして、伴奏をつけて、それでもamaneは、あなたたちの心を掴んだかな』



 有賀さんは、わざとむかつく言い方を選んだんだなあ……。



 だったらその挑発に全力で乗るまでだ。



 誰がなんと言おうと、もう、おれたちはバンドだ。


 肩を並べて音を奏でるバンドなんだ。


 市川天音の伴奏をしてるだけだ、なんてもう言わせてたまるか。


「……よし」




 やっと、やっと。



 おれたち4人の協奏きょうそうがはじまる。

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