第3曲目 第52小節目:さよならバイスタンダー

* * *


「学園祭の日、どうして『キョウソウ』が市川さんの曲じゃないって分かんなかったわけ」


 人もまばらな電車にその声がやけに響いて、隣に座っていた拓人たくとが雷に打たれたような顔をする。


「たしかに……おれたちも有賀ありがさんを買いかぶってたってことか?」


「そうかもしれないし、逆かもしれないけど」


「逆……?」


 見開かれた拓人の目。


「そっか、もしかして……!」


 焦点しょうてんは何か今ここにないものの上で結ばれている。


 その表情を見ながら、うちはそっとため息をつく。


 この顔は、あれだ。


 もう、うちの声なんか全然聴こえなくなるやつだ。


 ゆずが言う『ゾーン』、ゆりすけが言う『覚醒回かくせいかい』。


 拓人やゆりすけははいつも集中している時のあの女のことを天才だと褒めそやすけど、うちからしたら拓人がこの状態に入った時の方がよっぽどイカれてると思う。




 そして、拓人のこの顔は、たまらなくかっこいい。





 仕方ないな。


 わなわなと震えはじめた拓人の手からスマホを抜き取る。


「拓人、スマホ借りるよ」


 あんじょう、答えは返ってこない。


 スマホを取り上げた理由は、さっきゆずからもらってた買い物メモを自分うちに転送するためだ。


 どうせこの人はゆずから頼まれた買い物のことなんかもう忘れて走って帰るんだろうから、うちが買っていってあげないといけない。仕方ない。


 画面をスワイプしてひらこうとすると、『パスコードを入力してください』と表示される。


 拓人のくせにプライバシーなんか守っちゃって。きっと最近ゆずがよくスマホを覗き込んでくるっていうから、それでだろう。


「ねえ拓人、パスワードなに」


 ダメ元で声をかけるけど、ダメ元だからやっぱり返事もない。


「勝手に開けるから」


 まず拓人の誕生日を入力してみる。



『パスコードが間違っています』



 じゃあ、なんだろう……。


 次に、開くはずもないけど、うちの誕生日を入れてみた。


『パスコードが間違っています』


 やっぱり開かない。くそみたいなスマホだな。


 はあ。


 入れたくないけど、仕方ない……。


 どうせ誰も見ていないから思いっきり顔をしかめてやった。


 うちの親指が重い腰をあげる。




『1225』




 その4桁の数字で、すっとスマホが開く。……やっぱりくそみたいなスマホだな。



「はあ……拓人、LINE見るからね。ゆずのだけ」



 一応声だけかけて、LINEを開いてさっきゆずから来ていた画像をうちに転送する。


「つまり……!?」


 いきなり左から声が聴こえてびっくりする。自分の脳内となんか会話をしてるらしい。キモい。かっこいいけど。


 うちは拓人のスマホを持ったまま、抱きかかえたベースケースの上にほっぺを乗せて、その狂った横顔を眺めていた。


 口角が上がりそうになるのをぐっとこらえる。電車でニヤニヤしてたらバカみたいだし。


『まもなく、一夏町ひとなつちょうえきです』


 車内放送が終わりを告げる。あーあ。もう着いちゃうのか。


 うちは「ここに入れとくからね」とだけつぶやいて拓人のカバンにスマホを返してあげた。


 すぐに一夏町駅に到着するので、


「拓人、一夏町なんだけど」


 と軽く肩をゆすってあげた。


 すると、少しだけ我に返って、うちの目をじっと見返してくる。


「沙子、すまん。おれ、急いで帰るわ」


 仕方ない。一応うちが隣にいることを忘れてなかったってことで許してあげよう。自由にさせてあげることにする。


「勝手にすれば」


 ドアが開くと同時、拓人は「すまん」ともう一度やけにかっこいい声で言ってから、遅いくせに全速力で走り出す。





 うちはゆずに『買い物はうちがするから拓人のことは無視して良いよ』とだけメッセージを送ってから、買い物メモを見ながらスーパーに向かう。


 本当は買い物も拓人と一緒にしたかったけど、これはこれでちょっと幼馴染っぽいからいいか。


 それにしても拓人は結局、何に気づいたんだろう。


 ……うちにも、導き出せるだろうか。


 ヘッドフォンをして、録らせてもらったさっきの市川さんの録音を聴いてみる。


* * *

昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら

同じ明日を選んでいたのかな

もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに

たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない


満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない

「教えて」なんて言わないけど


ラララララ……

* * *



 やっぱり、あの女が自分で作っている曲は弾き語りだとよく歌詞が聴きとれる。


 その代わり、やっぱりなんか頑張ってる感が足りない。必死さが足りない。


 もっと大きな声が出せるのに。


 もっと良い声が出せるのに。


 そんなことを思った瞬間。




「あ……!」




 まばたきの中、頭上ずじょうで電球が光った気がした。


 スーパーの入り口でつい声が出てしまう。




 そっか、分かった。




 1人で作った曲は、自分に無理のないキーで作るから、音域が低いんだ。


 だから、弾き語りの時には完璧に聴こえても、バンドで演奏するとドラムやベースの音に、歌が埋もれてしまう。


 そして、市川さんの長所である歌詞も聴き取りづらくなって、原曲の良さを最大限に引き出せていない。


 音源にする時にはミックスで歌のボリュームをあげたり際立たせたりするのもある程度自由自在だけど、ライブじゃそんなこと出来ないし。


 それじゃ、弾き語りの方が良く聴こえるし、歌の邪魔になる伴奏をつけているだけって言われても仕方ない。


 だけど、『キョウソウ』は違う。


 拓人の作った曲は、特に、市川さんが歌うために作られた『キョウソウ』は、市川さんの声が一番良い音域で響くように作られてるんだ。


 なんでそんなことが出来るかって、そんなの決まってる。


 拓人がバカみたいにamaneの曲を聴いていて、耳に身体に市川さんの声にえる音域が染み付いているから。


 そして何よりも。


 自分で気づいていないだけで、拓人がそれをしっかりと具現化出来る優秀な作曲家だからだ。


 それはきっと、ゆりすけにも言える。


 高い音を出す時、低い音を出す時、地声の時、裏声を出す時。


 どの音階でどんな文字を発音するのが歌いやすくて聴く人に届きやすいかを、完璧かんぺきに熟知している。


 そしてそこに語感だけじゃなく、しっかり最高の情景と最強の意味をせることが出来る。


 つまり。




 amaneが作るよりもamaneが歌うのにてきした曲を、あの2人は作れる。


 いや、きっと、あの2人の組み合わせだけがそれを作ることが出来るんだ。




 なんだよ。


 やっぱりそうだったんじゃん。


 だからうちは何回も言ったのに。


 拓人は、市川さんの下位かい互換ごかんなんかじゃない。


 ゆりすけは、市川さんの劣化版なんかじゃない。


 しっかりとバンドamaneを引っ張っていく力を持っている才能をその身体にしっかりと宿やどしている。




 嬉しい。誇らしい。


 そして……羨ましい。




 羨ましい、けど、それももう、いい。


 だって、それに気づいたうちだってもう、拓人の劣化版でも、ゆりすけの下位互換でもない。


 そして、市川さんに嫉妬するべき存在なんかじゃ、絶対にない。




『拓人、うちはね、本当に、何にも持ってない。ゆりすけみたいにベースがうまく弾けないし、英里奈みたいに中身も外身も可愛くないし、市川さんみたいに、拓人が何百回も聞くような歌詞も曲も書けない』




 そんな言い訳みたいなごとは、もう言わない。


 曲は作れなくても、詞は書けなくても、本当は、本当に何も持ってなくても。


 それでも。




 amaneのベースは波須はす沙子さこが弾くんだ。




 そこは、何があってもゆずるもんか。




 もし、自分自身の価値を、拓人が、ゆりすけが、理解したんだったら、うちももう、立ち上がらないといけない。


 いつまでも、嫉妬しっとにとらわれてない。


 いつまでも、『4人目』じゃない。


 いつまでも、傍観者ぼうかんしゃじゃない。




 だって、これは、誰がamaneを最強のバンドに出来るかの戦いなんだ。


 ゴクリと唾を飲み込む。


 負けてたまるか。


 やっと同じ土俵に立った。やっと同じスタートラインに並んだ。




 やっと。


 うちら4人の競争きょうそうが始まる。


* * *

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