第3曲目 第51小節目:リライト

* * *


 小沼おぬまとさこはすとは逆方面の電車に乗って、あたしはイヤフォンをする。


 再生するのはもちろん、さっき録音したばかりの天音あまねの新曲。


 画面をタップしようとした親指が小刻みに震えているのを見て、自分で自分を鼻で笑った。緊張しすぎだっての……。


 でもまあ、そりゃそうか。


 だって、この曲の続きの歌詞を書くということは、amaneの曲に手を入れるということだ。


 これまでのあたしの感覚でいうと、『聖域せいいきに足を踏み入れる』ということになる。……これまでのっていうか、本当は今のあたしの感覚でもそうなんだけど。


 それはやっぱり、すごく怖い。


 でも、ここを乗り越えないといけないんだ。じゃないと、あたしはバンドamaneをデビューさせることは出来ないんだから。


 まだ本当は、『キョウソウ』だけを有賀ありがマネージャーが認めている理由も、信者だと本当にバンドを組む意味がないのかもわかっていない。


 それでも、とにかく、『下手の考え休むに似たり』だ。


 前がどっちがわかっているのに進まないやつは、ただのバカだから。



 そして、こんなに何もわかっていない中なのに変だけど、歌詞の目指す状態だけははっきりしている。



 それは、あたしが『これをamaneの歌詞として世に出してもいい』と認めること。それが出来たら、きっと成功といえるだろう。


 自分で言うのもなんだけど、amaneの言葉のことには厳しい方だと思うから。ううーん、本当に自分で言うのもなんだな……。




 なんてことを考えながら、何回も何回も繰り返し再生しているうちに、すぐに家までたどり着いてしまった。


「ただいまー」


 返事はない。誰もいなかろうとなんだろうと、挨拶あいさつは大事だ。手洗いうがいをして、ベッドに腰掛ける。 


 今日の天音の曲は、一番までしかないし、サビも『ラララ』だけだから、もともとそんなに長い歌詞ではない。


 すでそら・・で言えるくらいまで、頭の中に染み込ませている。


「じゃあ、写経しゃきょうしてみるか……」


 ということで、歌いながらスマホに打ち込んでみた。


* * *

昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら

同じ明日を選んでいたのかな

もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに

たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない


満点だったはずの答案用紙

いつの間にか裏面にできていた空欄

埋めるべきことばが初めて分からない

「教えて」なんて言わないけど


ラララララ……

* * *


 その文字列をじいっとながめる。


 いい曲だと思うし、いい歌詞だと思う。


 いつものamaneの歌詞よりは少し抽象的な歌詞だな、とは思った。こういうのも書けるの、ほんとごわいな……。


 んん、これの何を否定すればいいんだろう。


 ……いや、誰も否定しろだなんて言っていないのか。


 もっと良くするためには、どうしたらいいか? と、そういうことなんだ。


 ……いやだから、それがわからないんだっての……。


 典型的な自問じもん自答じとうを繰り返すあたしの脳内。



「ふう……」



 仕方ない。


 もしかしたら無粋ぶすいかもしれないけど、一行ずつ、丁寧ていねいに読み解いてみることにする。





『昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら 同じ明日を選んでいたのかな』


 昨日までっていうのは、何を指しているんだろう。


 たとえば、小沼と出会わなかったら、もしかしたらあたしやさこはすと出会わなかったら、武蔵野国際に入らなかったら、有賀マネージャーに出会わなかったら……そして、amaneとしてデビューしていなかったら。


 そんな世界線だったとしても、明日は同じなんだろうか、ということ?



『もしかしたら地球がでんぐり返ししたみたいに たった数ミリ、致命的に景色がズレていたかもしれない』


 だとしたら、ここは、きっと『明日』はパラレルワールド程度に軽微けいびに、そして致命的に違っただろうってことが言いたいんだろう。


 地球はでんぐり返ししてもほとんど同じところにしかいないだろうけど、でも、たしかにその数ミリのズレは大きく影響するかもしれない。


 ……影響するんだろうか。amaneがなくても……小沼と天音は結ばれていたのかな。もし、そうじゃなかったら……。


 ……いや、もうそんなことは考える意味もない。


 だって、amaneがなかったら、あたしと小沼だって出会っていない。あたしは武蔵野国際に入ることもなかっただろうし、仮に武蔵野国際に来たとしても、小沼と接点がない。


 ……そりゃ、ゼロじゃないだろうけど。


 ああ、うじうじとみっともない! あたしは2人の未来を願ったはずだ。


 あたしは首を振って、雑念を振り払って、読み進める。





『満点だったはずの答案用紙』


 こういう暗喩あんゆを使うのが今回は珍しく感じる。


 多分、天音の完璧かんぺきだった人生の話だろう。


 間違いもなく、出来ないこともなかったはずの人生。




『いつの間にか裏面にできていた空欄』


 だけど、今まで見えていなかったところに、今まで気づかなかったところに、知らないことがあった。


 それはきっと、自分以外の大切な存在が出来たからこそ見えてきてしまった世界。





『埋めるべきことばが初めて分からない』


 自分1人で導き出せない答えの存在を知ってしまった。


 順風満帆だった人生に初めて生まれた不具合とも呼べる、何だか恐ろしくて、そして少しワクワクする余白に戸惑っている。


 ……だんだん、わかってきたかもしれない。




『「教えて」なんて言わないけど』 


 天音はその空欄を埋めたいと考えている。


 だけど、自分1人じゃ分からない。でも、教えて欲しいわけじゃない。


 教えられて、自分でその答えを埋めたいわけじゃない。



 そして、いよいよあたしは気づく。





『ラララララ……』



「そっか、ここは、ただのラララじゃなかったんだ……」




 それが天音の深層心理からくるものなのか、狙ってやったことなのかはわからない。


 だけど、この曲のサビは今は・・「ラララ」でしかありえなかった。






 つまり。



 ラララで歌われたこの曲のサビこそ、『空欄』だったんだ。






 自分では埋められなかった空欄を。書けなかった歌詞を。未完成のメロディを。




 きっと天音は、バンドamaneと埋めたかったんだ。





「なんだ……」




 そりゃそうだ。


 こんなに簡単なことに、どうして気づかなかったんだろう?


 こんなに単純な気持ちに、どうして気づかなかったんだろう?






「天音も一緒に曲を作りたかったんだ……」






 言葉にすれば、発見にもならない、そんな当たり前のこと。


 そんなことすら、あたしには見えてなかった。


 なんの悪気わるぎも意識もなく、『天音』か、『あたしと小沼』か、で考えていた。


 天音を勝手に崇拝すうはいして、勝手に幻想げんそうを抱いて、勝手に別の次元に切り分けて、勝手に遠ざけて、孤高ここうの天才に仕立て上げていたのは、他ならぬあたし自身だ。




「そりゃあバンドって認められないわけだよ……」




 ばかだ、悔しい。いやしい。恥ずかしい。


 下唇を噛む。くそ、痛い。




 あたしはまず、『ラララララ……』と打ち込んだ文字列を消して。


 そして、そこに生まれた余白に新しい歌詞を打ち込んでいく。


 手つきは乱暴でも、言葉は丁寧に。


 しっかりと、空欄を埋めていくように。


 なんでだろう、なんだか涙が出てきそうだ。


 だけど、だからこそ。




『昨日までがなくて、今日が最初の日だとしたら 同じ明日を選んでいたのかな』



 天音、その答えはこうだよ。



* * *


昨日をなくすわけにはいかない

今日 泣くわけにはいかない

だってこれは 自分で決めた道だ


だから

昨日までが真っ黒だとしても

今日 最初の一歩を一緒に選ぼう

だって明日は 私たちのものだよ


* * *


「出来ちゃった……」



 一刻も早く共有したくて、あいつに電話をかけた。



 プルルルル……と、スマホのスピーカーから鳴るのを聴きながら、あたしはワクワクが止まらなくなる。



 この続きは、なんの根拠もないけど今頃覚醒かくせいしてるはずのあいつが作ったメロディに合わせて作ろう。



 そしたら、一度全部出来上がった後に、もう一度、4人で確かめるんだ。



 きっとそれぞれに思うところがあって、悩んで、考えて、喧嘩して。




 そうやって、やっと。



 あたしたち4人の共創きょうそうが始まる。


* * *

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