第3曲目 第39小節目:愛は勝手

 終業のチャイムが鳴る。


 昼休みには市川いちかわに『ちょっとひとと話してて長くなった』などと言ってやりすごし、問題を先送りしたものの、明日のことはちゃんと話さないといけない。 


 ……のだが、特に対策も立てられないまま放課後を迎えてしまった。


 いずれにせよ、市川に嘘はつきたくないんだよなあ。


 だったら仕方ないか……と、おれは断り・・の連絡を入れるためにスマホを取り出す。


 と、同時。


「おーい、小沼おぬま


「ん?」


 声のした方、教室の扉を見ると、吾妻あずまが「よっ」とか言いながら缶のカルピスを胸元にかかげていた。なんかドラマとかで見たことある残業中に缶コーヒーを差し入れしてくれる同期みたいだな。ここは教室で今は放課後だけど。


「お、おお、ありがと……。わざわざこれ届けに来てくれたのか?」


「うん。まあ、これはついでだけど」


「ついで……? ていうか、ちょうど今、吾妻にラインしようと思ってたんだよ」


「分かってる分かってる。それ・・が用事。小沼にだけ頑張らせるわけにもいかないでしょ」


「はい……?」


 カルピスを受け取りながら指示語だらけの会話に首をかしげていると、


「あ、由莉ゆり。小沼くんに用事?」


 と市川が近づいてくる。


「ううん、天音あまねにちょっと相談」


「え、私? 何かな、ちょっと怖い……」


「あたしの方が怖がってるから大丈夫……」


 青白い顔に引きつった笑顔を浮かべる吾妻ねえさん。大丈夫……?




 廊下に3人で出ると、吾妻が切り出した。


「あのね、天音。その……明日、小沼を借りたいんだ。あたしの都合で」


「へ? それは構わないけど……、由莉の都合って?」



 吾妻はふう、と息をつき、きっぱりと告げた。



有賀ありがマネージャーに会いに行こうと思ってる」




「え、」


 結局言っちゃうの? と口から出かかったが、すんでのところで飲み込む。


「有賀マネージャーってあの有賀さんのこと、だよね? どうやって連絡したの?」


「小沼に相談して、さこはすパパ経由でお願いしてもらったんだ」


「ふーん……?」


 市川はおれの目を覗き込んでくる。


「小沼は今からそれを天音に言うつもりだったと思うよ」


「そうなの?」


「まあ……」


 たしかに『正直に話してもいいか?』というラインを吾妻にしようとしてたところだけど、なんか先手を取られてしまって情けないな……。


「でも、どうして有賀さんに?」


 市川は吾妻に向き直って質問する。


「うん、勝手にごめんね……。あたし、やっぱりどうしてもamaneをデビューさせたくて。それで、そのこと相談するならきっと、有賀マネージャーよりも適した人っていないでしょ?」


「……それは、そうかもしれないけど」


 市川は少しうつむく。


「それで、天音に有賀さんの連絡先を聞くのは、なんか違うでしょ?」


「うん、なんか違うけど……」


 市川さんにはわかるのか、おれにはその『なんか違う』がいまだにちょっとよくわからないままなんだけど……。


「あの……なにが違うんだ?」


 おれはおずおずと挙手して質問してみる。


 すると、市川が唇に人差し指をあてて少し上を向く。市川の考えるポーズ、なんだか久しぶりに見たな。


「そうだなあ。有賀さんは私にとって、そうだなあ……なんていうんだろう……その、元……いや、昔の……っていうか……」


「元カレ?」


「へ!?」


 言いよどむ市川に吾妻が差し込んだ。


「あ、あの、えっと……言おうと思ってたことは、たしかにそうなんだけど……」


 市川さん、おれの顔色を伺ってなんかめちゃくちゃ焦ってる。


 ていうか言おうと思ってたことはたしかにそうなんだ……。昨日の吾妻といい、ポピュラーなたとえなの?


「えっと……ごめんね?」


「あ、大丈夫っす……」


 たとえ話に落ち込むほどメンタル弱くないんです。本当です。昨日一回やってるんで大丈夫です。本当です。




「あのね、天音。あたし、バンドのためにできることは全部やりたくって……。だから、だめかな?」


「もう……」


 市川は仕方ないなあ、とため息をついて、頬をかきながら困ったように笑う。


「そんな風に言われたらダメっていう理由がないよ。市川にはそれを認めない理由がないもん」


「ありがとう、天音」


 吾妻も、へへ、とはにかんだ。


 うんうん、なごやかで結構。ん、だけど……?


「じゃあ普通に最初から市川に聞けば良かったんじゃ……?」


「……こうなったのはあんたが勝手に頑張るからでしょうが」


「はあ?」


 ジトーッと見られるが意味がよくわからない。


「天音……ごめんね?」


「謝るくらいなら最初からしないでくださーい」


 向き直って謝る吾妻に、市川はふーん、とおどけてみせた。




「んじゃ、あたしはちょっと……その、まだ帰らないから。じゃあね! ……小沼、本番はこっからだわ」


 話が済んで安心した様子の吾妻は胸元で手を振る。本番?


「あ、うん、由莉、じゃあねー!」


「じゃあな」


「うん! じゃ!」


 吾妻は自分の教室の方へ立ち去って行った。……部活もないのに何をするんだろう?


「……じゃ、いこうか」


 声のトーンがすっと落ちた市川さん。


「は、はい……!」



 吾妻と別れた途端に口数くちかずが少なくなった市川にビビりながら校舎を後にする。


「なあ、市川……?」


「なに」


「いや、どこぞのベーシストじゃないんだから……」


 どうしたの……? と内心で腕を組む。


 すると、校門を出たあたりで、おれの右手に柔らかい感触が触れた。そこを中心にビリビリと電流のような刺激が走る。


「!?」


 少し遅れて、それが、おれの右手を市川が握ったからだとわかる。


「い、市川……? その、学校、すぐそこなんだけど……」


「知らない」


「知らないって……」


 別に付き合ってることを隠しているわけではないが、見られたら恥ずかしくないですか……?


「離さないよ? 小沼くんは手を離したら、すぐどこかに行こうとするもん」


「いやだから、明日のことは……」


「明日のことはわかったよ。さっき、市川・・が許しちゃったからしょうがない」


 むっとした顔で頷きながらそう呟く。


 市川天音さんが自分を『市川』と称するときは、バンドメンバーとして。


 そして、そのまま頬を膨らませて、こちらをじっと見てくる。




「だから、今日は天音にとことん付き合ってね」

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