第3曲目 第25小節目:夜に間に合うか

「はああああああ」


 市川いちかわのゆるんだ笑顔におれはやっと安堵あんどのため息をつく。


 本当は一日中ずっとそれが気になっていたのだ。




 今朝6時ごろにおれが市川に返信したメッセージに書いていたのは『ありがとう』や『おはよう』などの日本語ではなく、URL。そして、そのURLに飛ぶと再生されるのは、今朝出来たばかりの2つ目・・・の新曲だった。


 英里奈えりなさんのための曲を録音し終え、沙子さこを見送った後、おれはもう一度部屋にこもり、2分弱の歌のない曲をもう一つ作っていた。ドラムもベースも歌も入っていない、アコースティックギターとピアノだけのシンプルな曲だけど、時間がないからそうなったのではなく、素直に頭に浮かんだのがそんな曲だったのだ。


「ねえ、小沼くん、あの曲、私のためだけに作ってくれたの?」


「ああ、うん、そうだけど……」


 あまりにも単刀たんとう直入ちょくにゅうな質問におれは目線をそらす。


「私のための曲作らないと悪いなって思ったの?」


「別に、そういうわけじゃない」


 市川に曲を作ろうと思ったのはなにも、罪をつぐなおうと思ったからではない。


 ただ、英里奈さんを笑顔にするための曲を作っている時に、いかにこれまでおれが『わたしのうた』に救われていたのかということを改めて実感したのだ。いつもそばにいてくれる音楽があることで、ふとした時や人生の決断をしようとした時にどれだけ助けられていたか。


 そしてそれは多分、amaneとしての音楽だけじゃなく、実際に市川天音と出会ってからもそうなのだろう。


 その感謝の気持ちがはっきりと頭にあるうちに形にしようと思って出来上がったのが、この小曲しょうきょくである。


 市川は相変わらずにやけ顔が止まらないらしく「へー」とか「へへへ」とか言ってる。


「ていうか、聴いたなら返事くれよ、おれがどれだけ今日ハラハラしてたか……」


「ええー、だって、嬉しくて言葉に出来なかったんだもん!」


 出た、小田おだ和正かずまさ……!


 おれの頭の中では一日中、『あれ、やっぱり深夜(ていうか早朝)テンションでやっちゃいましたかね……!?』という疑問でいっぱいだったというか、もはやその疑問が確信に変わっていたと言うのに……。


「だからね、今日、小沼くんに会ったら伝えたいなって思ったけど、でも曲作ってもらったこと言っていいのか分かんなかったし、だいたいこんな顔、小沼くん以外に見せるわけにも行かないでしょ?」


「そうなあ……」


 たしかに市川のそのゆるみきった笑顔は普段のイメージからはかけ離れてるし、おれも初めてみたし、なんというか、あまり他の人に見せたいと思う顔ではなかったし。なんというか。うん。


「仮タイトルが『天音あまね向け』っていうのはほんのちょっとだけ日本語のセンスを疑ったけどね? でも『市川』じゃなくて『天音』だったから全然いい!」


「お、おお……」


 突然タイトルの話をされてギクリとする。


 実はそれは、仮タイトルでもなんでもなく本番のタイトルのつもりだったのだが、黙っておいた方が良さそうだな……。


 ちなみに最後までっていたもう一つの案は『天音用』だった。ただ、それだと英里奈さんのための曲の市川のパートを抜いた音源だと思われそうだな、ということで『天音向け』にしたのだが、もしかして『天音用』の方がよかったか……?


「ねえ、小沼くん、この曲はバンドでやる?」


「いや、勘弁してくれ……。これは、その……」


 歌詞がないとはいえ、市川におくった曲を公開して聞かれるのはやはり気恥ずかしいものがある。


「他の人に聞かせる用じゃ、ないから……」


「そうー?」


 ニマニマと笑う市川。昨日、曲のレパートリーがあることに驚いたばかりだが、笑顔のレパートリーもこんなにあるんだなあ、この人。


 とはいえ、なんだかきまりが悪い……。


「にやけてばかりだと、私バカみたいだね」


 そう言って、市川はぽん、と一つ手を叩く。


「そしたら、一旦バンドの話しよっか」


 そして、すっと真顔になり、話し始めた。





「英里奈ちゃんへの曲は完成したの?」


「うん、おれのパートは、って感じだけど」


「小沼くんのパート?」


 首をかしげる市川に、今朝けさ沙子さこに話したようなことを改めて説明する。


「うん、このあと吾妻あずまが歌詞を書いて、沙子がベースを考えたら、市川のところに届く。そしたら市川が歌を乗せて欲しい。それで完成だと思ってる」


「へえー……」


 また市川の口角こうかくがゆるんできた。


「なんだよ……にやけないんじゃなかったのか?」


「ううん、いいの。これはバンドのことだから。嬉しいから、いい」


「なにが……?」


「『バンド』なのが!」


 うーん、寝てないからかもしれないけど、おれには市川さんが何を言ってるのかよくわからないです……。


「ていうか、なんでおれが英里奈さんに曲作ってるって知ってたの?」


「沙子さんが小沼くんに頼みに行くって言ってたから」


「ああ、自分で言ってたんだ」


 沙子がそんな話をするのは珍しいな、と思っていると。


「正確に言うと、由莉ゆりが『さこはすは小沼のところに何かを頼みに行くんじゃないかな』って言ってたんだけど、本当に頼みに行ったんだね? 由莉は本当にすごいなあ……」


「そうなあ……」


 吾妻のスキルの守備範囲が広すぎてやばい。


「まあ、とにかく、曲はちょっとだけ待っててくれ。自信作だから」


「うん、分かった!」


 そう行って、パン、と市川はまた手を叩く。


「じゃあ、バンドの話はここまで、だね?」


 なんか今日、そこにやけにこだわるな……?





 おれたちは吉祥寺きちじょうじにたどり着き、とりあえずかしら公園に向かった。


 池の見えるベンチに座ると、右隣みぎどなりに座った市川は色々な話をしてくれた。


 昨日、あのあとどんな風に解散したかとか、沙子さんのあんな表情を初めて見たとか、由莉はどんな時でも冷静でかっこいいとか。


 おれはというと、英里奈さんのための曲が自分の手を一旦離れていて、新曲を市川に贈ったこともなんとなく成功したことがわかり安心して気がゆるんだらしく、徹夜てつやの疲れがどっと襲いかかってきていた。


 申し訳ないと思いながらも、うとうとと船をぎ始める。


「あれれ。小沼くん、眠い……?」


 右耳からおれを気遣う声がする。


「ちょっとだけ……」


「そうだよね、ごめんね。そろそろ帰ろっか?」


「いやだ……」


 眠気ねむけでだんだんと閉じて行く視界。


「そ、そうなの……?」


「うん……」


 睡魔すいまと必死に戦うおれに彼女は声をかけてくれる。


「……頑張ってくれてありがとうね、小沼くん」


 おれの頭の左側を柔らかい手が撫でる。


 それは今のおれにとってはほとんどあらがえない睡眠薬だった。


「別に……」


 そこに、


「あはは……疲れてるなあ。ちょっとだけ寝てもらっちゃうね、ごめんね、おやすみ」


 天音あまねの優しい声音がとどめをさした。





拓人たくとくん」





 それでパッタリと意識が途切れる。













 次に目が覚めたのは何十分後だったろう。


 ひたいに何かを感じてまぶたを開けると、目の前には先ほどまでと変わらず水面みなもが夕暮れのオレンジを反射している。


「あぅ……、起こしちゃった?」


 左耳から綺麗きれいな声がする。


 ……ん、左耳?


「んあ!?」


 ガバッと起き上がる。どうやら、おれは市川の肩に頭を乗せて眠ってしまっていたらしい。気づくと、おれの首には赤いマフラーが巻かれている。


「えっと、市川……!」


 一瞬で覚醒かくせいした頭で、起きた瞬間の記憶を手繰たぐり寄せる。


「えっと、あれ……?」


 つい今さっき、ひたいにしっとりとした感触を感じた気がして、そのあたりを触ると。


「ちょ、ちょっと、小沼くん……!」


 市川が慌て始めた。


 そして、首元をパタパタと触り、何かがないのに気づいたようにハッとしたあと。



 


 市川は、自分のくちびるを手の甲で隠す。





「えっと、もしかして……」


「な、なんでも、ないってば……! マ、マフラー、返してください……!」


「あ、うん……ありがとう……」


 おれが自分の首にかかっていたマフラーを差し出すとうつむきながら無言むごんで受け取り、マフラーと同じ色した首元に巻きつけて、その中に顔を半分以上うずめた。




「つっ、付き合ってるんだから、いいでしょ……?」



 そして、目元だけをマフラーから出して、こちらを恨めしそうにじぃーっと見てくるのだった。

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