第3曲目 第24小節目:夏にマフラー

「おはよぉー!」


「おはよう……」


 目をこすりながら教室に入るなり、英里奈えりなさんが寄ってくる。その顔には、昨日よりは少しマシになった感じもするが、まだあのみが貼り付いていた。


「あれぇ、たくとくん、目の下にくま出来てるよぉー?」


「そうなあ……」


 そう言って顔をあざといほどに近づけてくる英里奈さんのまぶたはれているのだが、そっちはツッコみづらいのでスルーする。


 顔をそらすと、英里奈さんはすぅっとおれの耳元に唇を寄せて、


「昨日のことは、忘れてねぇー?」


 と言ってくる。甘い吐息といきで耳がくすぐったい。


 だけど、おれはそれには答えない。


 そんなことを言われても、忘れてやるものか。少なくとも、おれだけは忘れない。


「英里奈さん、今日は部活行くのか?」


 答えない代わりに質問すると、


「……うん、今日行かないと、ちょっと変でしょぉ?」


 英里奈さんは大人おとなしく笑う。


「そっか……」


 昨日の今日で『頑張れよ』とも『無理するな』とも言うわけにも行かず、曖昧あいまいな返事になってしまう。


「てゆぅかぁ、今日、天音あまねちゃんは?」


「さあ……」


 窓際の席を見ても、市川はいない。たしかにいつも早くに来ている優等生がまだ来ていないのは珍しい。


 さすがのおれも今朝起きていそうな時間にはラインの返事をしたのだが、既読スルーされている状態である。


 返信内容がまずかったかな……いやまあ、まずかったかもしれない、気もしないでもない……。


「たくとくんが寝かせてあげなかったんじゃないのぉー?」


「そうかもしれない。おれもほぼ一睡いっすいもしてないからな……」


「えぇー、昨日、あのあとにぃー……?」


 英里奈さんと噛み合ってるんだか噛み合ってないんだかよくわからない会話をしていると、予鈴が鳴る。


 それと同時、市川が教室に入って来た。


 そして入り口の近くで話しているおれと英里奈さんの方をちらりと見てすぐに目をそらし、


「……おはよ」


 とだけつぶやいて自分の席へと向かう。


「おーはよぉー!」


 元気に返す英里奈さんと、会釈えしゃくをして自分の席に向かう市川さん。


「ねぇたくとくん、なんで天音ちゃんはマフラーしてるのぉ?」


「さあ……」


 おれも謎なのだが、市川はなぜか赤いマフラーをして登校して来た。マフラーで顔の半分くらいをうずめている。肌寒くはなったとはいえ、まだ10月。マフラーには少し早い気がするけど……。


「たくとくん、キスマークでもつけた?」


「いや、つけてない」


「うへぇー、もぉちょっとキョドッたりしてよぉ……。じゃぁ、別の誰かがつけたのかなぁ? たくとくんに見られたくないよねぇ、それは……」


「え、まじで?」


「おぉーいい反応だぁー!」


 色めき立つ英里奈さんを無視して市川の方をなんとなく見ていると、向こうもちらっとこちらを見た。おれと目があった途端とたんにマフラーに一層顔をうずめてから、ふいっと目をそらし、窓の方を向いてしまう。


「ビンゴかなぁー? むふふぅー、どんまいたくとくぅーん」


「ちょっと元気取り戻してんじゃねえよ……」


 意地悪い笑顔でこちらを見上げてくる英里奈さん。この人、やっぱりただの悪魔なのでは……?




 昼休みも同じように市川の様子はおかしかった。


「あのあの、小沼先輩……!」


「ん?」


 昼飯を食べようとしているところ声をかけられ、振り返ると、入り口近くでもじもじしている小動物後輩。なんか久しぶりだな。


平良たいらちゃん、どうした? 元気?」


「元気ですですっ!」


 平良ちゃんは両手でガッツポーズをして元気アピールをしたあと、


「あのあの、天音あまね部長に用があって伺ったのですが……」


 と聞いてくる。


「あそこにいるよ」


 おれが窓際の席で1人を弁当を食べている市川をす。


「はあ……。いえいえ、そうではなくて、一緒に行っていただけませんか?」


「ああ……いいけど、なんか今日けられてるっぽいんだよな……」


「そうなのですか?」


「そうなのですよ……」


 午前中の休み時間もおれが近づこうとすると、マフラーに口元を隠して、「なに」とか「今はだめ」とか、沙子さこみたいな反応をされた。


 さすがに今は昼飯を食べているのでマフラーはしてないけど。


「はあ……。でもでも、自分みたいな若輩者じゃくはいものが先輩方のクラスに1人で突入するのはさすがにハードルが高いと思いませんか?」


「そうなあ……」


 平良ちゃんは、案外わがままを言ってるわけでもない。おれだったら無理。ていうか同じ学年の別クラスでも無理。


 仕方ない、か。


 ふう、と一息ついて立ち上がり、平良ちゃんと一緒に市川の席まで向かう。


「えーと、市川部長? 平良ちゃんがなんか用があるって」


「ほえ? あっ」


 顔をあげた市川は、すぐに何かをこらえるみたいに唇を引き結ぶ。


「やあ、つばめちゃん……どうしたのかね」


「え? 天音部長、おじさんですか……? あのあの、部費で買っていただきたいものがあって、そちらのご相談なのですが……」


「わかりました、ちょっと待ちたまえ」


 そして、昼飯の途中だと言うのに、マフラーを結んだ。


「えとえと、どうして天音部長はマフラーを装着ソーチャクなさってるのでしょうか? 暑くないのですか……?」


「大丈夫だよ。つばめちゃん、外に出ようか」


「は、はいです。えと、小沼先輩は?」


「ああ、おれはいいよ」


 苦笑いで返す。もとより会話には必要じゃないし、なんかよく分からんが市川が一周回って気の毒だ。


「はあ、そうですか……」


 首をかしげながらも平良ちゃんと市川は一緒に外に出て行く。




 さて、放課後がやってきた。


 挙動きょどう不審ふしんな市川の反応におのれの身の振り方を案じていると、マフラーさんがおれの席までやってきた。


「今日は一緒に帰れますか」


「ああ、うん、市川さえよければ……」


「大丈夫」


「何、沙子なの……?」


 マフラーで表情が見えない市川さんは教室を出るので、おれもそれを追いかけて隣を歩く。


「なあ、市川、そのマフラー……」


「……いいから」


 そう遮り、途中で「暑そうだなあ」とか「顔が半分隠れても天音ちゃんは可愛い」とか言われながらも、校門へと向かう。(二個目のやつ褒めてんのか?)





 市川は、校門を出てから少し経ったところで周りをキョロキョロと見回した。


「どうした……?」


「もう大丈夫、かな」


 ぽしょりと呟いてから、ぶわっとマフラーを外した。


「市川、その顔……」


 そして、「あついあつい……」と、汗ばんだ首元を手であおぐ。



 そして、市川は。



「もー! 小沼くん! 今日きょう一日いちにち、にやけないようにするの大変だったんだから!」




 ゆるみきった笑顔を見せながら、そう言った。

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