第3曲目 第17小節目:リコシェ

「うぐぐ……」


 後ろの席からうめき声が聞こえたのは、昼休みのこと。


安藤あんどう、どうした……?」


 横座りになって、安藤に視線をやる。


「胃が痛い……。逆から読んでも胃が痛い……」


「逆から読んだら『いたいがい』だろ……」


 単純に間違ってるのかボケなのかもよく分からないままマジレスしながら、ふと、安藤もやはり今日の放課後のことを知っているのだろうか? と思う。


 バンドメンバーとマネージャーのことだし、そうでなくてもはざまと安藤は仲が良さそうだからその可能性は高い。なんならはざまの『答え』を知っている可能性すらある。


 おれは視界の端っこにいたホームルーム委員に視線を移した。他のクラスメイトとにこやかに話していた彼女と、振り向きざま目が合う。


 英里奈えりなさんはおれと目が合うなり二ヒヒっと笑い、目立たないようにだろうか、腰のあたりに両手でピースサインを出して、その指をぴょこぴょこと何回か曲げてきた。


 意味はよく分からないけど、元気だとアピールしているのだろう。……もしくは、空元気か。


「安藤はどっちも近いから大変だよなあ……」


 謎の行動を眺めながらつぶやくと、


「え、トイレがってことか……? なんで知ってるんだ……?」


 と腹を抱えながらトンチンカンな返答を返してきた。


「いや、そうじゃなくて……。……いや、なんでもない」


「はー?」


 一瞬、何を言ってるんだろうと思ったが、おれが事情を知ってること自体を安藤は知らないだろうから、友達の大事な秘密を明かしてしまわないように他の話にすり替えてごまかしているだけかもしれない。


 あの安藤が気をつかっているんだ。掘り下げるのは無粋ぶすいだろう。


「くそー、飲めるようになったからって調子乗ってコーヒー飲みすぎたぜ……トイレ行ってこよう……」


 ……いや、か?


 最初から最後まで安藤の真意が分からず顔をしかめていると、トイレに立った安藤と入れ替わりで英里奈さんがトコトコとこちらへやってきて、安藤の席に座る。


 あざといにやけ顔を近づけてきて、甘い匂いをさせて話し始める。


「どぉしたのたくとくんー? えりなのことジロジロ見てぇー。えりなのことが気になるのぉー? 天音あまねちゃんに言っちゃうよぉ?」


「気になるっていうと語弊ごへいがありまくるな……」


 あと、天音ちゃん窓際の席からこっちをチラチラ見てるから言う必要ないと思うよ……。


「ごへいもち?」


五平餅ごへいもちは知ってるのか」


 最近、英里奈さんの知識のはばがよく分からないんだよなあ。


「気になるっていうか……単純に、気にしてるんだよ。色々、知ってるだけに」


「ふぅーん、気にしてくれてるんだぁー……」


 すきを見せた自覚があったから、またなにか意地悪なことをしてくるかと思いきやそんなこともなく、えへへぇー、と、照れたみたいに頬をかいた。


「そんじゃまぁ、気にしてる相手のえりなと一緒に売店デート・・・に行っちゃいましょうかぁ!」


「余計な3文字つけるのやめてくれない?」


 別に売店に行くこと自体に異論はない。少し遠くからじとーっと視線が突き刺さっている気がするがそれには目をつぶり、おれは教室を出る。……あとで説明しますので。




 売店への道すがら、渡り廊下ろうかを歩いていると。


 一年生だろうか。少し前を小柄な女子と長身の男子が歩いていた。


 女子の方がにこやかに笑って、男子の方に話しかける。


「ねね、れんくんっ! パピコを半分こするってどう思う?」


「どう思うってなんだよ。そりゃあ、まあ、ラブコメの定番中の定番って感じだな」


「そかな? でもさ、実際にマンガとか小説で読んだことある?」


「そりゃそうだろ……ん? あれ、言われてみるとないかもしれないな……」


「えへへーやっぱり! 盲点もうてんでしょでしょ? 例えばねー……、中庭のベンチにわたしが座ってたら、わたしのほっぺにいきなり冷たい感触が走るんだよ! 『ひゃっ!』ってわたしは振り返るよね。そしたら、蓮くんがいるの。『はは、いい反応するなあ、菜摘なつみ』『もう、やめてよ、心臓止まるかと思った……!』とかなんとか、ね? でも心臓が止まると思ったのは実は蓮くんの顔がすごく近かったからなんだけど! んー悪くないっ!」


「うわあ……」


 男子の方もぶっきらぼうに返しながらも表情の奥では彼女の話を楽しんでいるみたいだ。


 校舎に入って売店とは違う方向に曲がったその2人の背中を見ながら、英里奈さんが優しく微笑ほほえむ。


「可愛いよねぇ、あぁいうのって」

 

 そのみはさながら聖母のようで、おれはいつもと違う英里奈さんに少し戸惑う。


「あんな風にさぁ、なぁーんにも気にしないで、好き好きって言えるような関係って、いいなぁって思うんだよぉ」


「好き好きって言ってるのかは分からないけど」


「でも、たくとくんにも分かるでしょぉー? あのキラキラのオーラってゆーか」


「そうなあ……」


 英里奈さんがはざまに対して出していた雰囲気にも似たようなところはある気がするけど、いかんせん英里奈さんは誰に対してもちょっとそういう感じがあるからなあ……。


「そういえば英里奈さんは、どうしてはざまのこと、その……」


「好きなのぉーって?」


「うん」


 そういえば、聞いたことかもしれないと思って質問してみる。


 これだけ執着する相手のことだ、おれの知らない1年生の頃に何かドラマチックなことがあったのかもしれない。


「んんー」


 でも、その答えは。




「なんとなく、かなぁー」




「え?」


 拍子抜けして、声が裏返ってしまう。


「ん? どぉしたのぉ? そんなの、だいたい、なんとなぁーくだよぉ」


「そんなもんか?」


「そんなもんすよぉー。じゃぁ、たくとくんはどうして天音ちゃんのこと好きなのぉ?」


「それは……」


 その音楽に対する姿勢をはじめ、一つずつ挙げればきりがないが、それをするのはさすがにはばかられて、言葉に詰まる。


「まぁ別に興味ないから言わなくていいんだけどねぇ? でも、今言おうとしたのって、『どこが好き』なんじゃないー? 『どこが好き』と『どうして好き』は違うよぉ?」


「そう……か?」


 いまいち分からないものの、改めて言葉にされると、そうかもな、なんてことを思う。


「なんとなくなんだよぉー。その条件が好きなんじゃなくて、その人が好きなんだから」


 そこまで言ってから、ふぅ……とため息をついて切なそうに微笑んで続ける。




「だからこそ、その人じゃないとダメなんだけどねぇ……」




「そう、か……」


 きっと、英里奈さんからしたら当たり前すぎるほど当たり前なことで、むしろもしかしたらおれ以外のほとんどの人が気付いていることなのかもしれない。


 それでもやっぱりこの人は、愛とか恋とか、そんな形のないものといつだって向き合っているのだろうと、そんなことを実感するのだ。


 そして。


 そこから導き出される結論は、時に、英里奈さん自身にとって一番残酷な形をとる。


 ……おれは相変わらず、教わってばかりで、何も出来やしない。


「英里奈さんは、その……大丈夫か?」


 まず、おれは心配が下手くそすぎる。こんな人並み以下の言葉しかけてあげられない自分にあきれる。


「大丈夫だよぉー。えりなは、もぉ、待つしかないもん」


「そうかあ……」


 そして、英里奈さんの強い覚悟にも、ただ頷くことしかできないままだ。


「ねぇ、たくとくん、今日の放課後何してるぅ?」


「今日はバンドの練習だけど」


「わかったぁ! ……今日ねぇ、結果がどっちでも、たくとくんにラインするからぁ」


 それでもそんなおれを、この人は信じて頼ってくれるのだ。


「……ありがとう」


 おれがなんとか頷くと、英里奈さんはにこーっと笑う。




「ありがとうはこっちのセリフですぅー!」

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