第3曲目 第9小節目:大切な人
「
スタジオでの練習を終えて
「ん?」
「あの、
「どう思ってるってなんだよ……?」
突然の質問に
「いいから答えて」
真剣な顔に、一応少しだけ考えてみるものの。
「いや、どうも何もねえよ。今日初めて話した人のことだろ? なんなら今日もほとんど話してないし。『どうも』って言っただけだ。沙子と会話の数一緒だよ」
「ふーん……」
形のいい
「なにが言いたいんだよ……?」
「自覚ないかも知んないけど、拓人、
「あの時って?」
沙子は、少し息を
「amaneのCDを初めてうちに貸してきた時」
「はあ……」
なるほど。沙子の言いたいことが少しだけわかってきた。
「つまり、おれが
「そうだけど、ちょっと違う」
すると、沙子が小さく首を振る。
「どっちかっていうと、そこで『市川』って言うところが危ないって話をしてる」
「何だそれ?」
わけがわからず、
「んん……。うち、あんまり難しいことを口にするの得意じゃないんだけど」
「知ってるけど、沙子が話し始めたんだろ……?」
「知ってるならいい」
そう言って0.数ミリだけ
「つまり。んん……、拓人はamaneに憧れて、その感情がいつの間にか市川さんへの今の感情になってた、じゃん。その境界線のことって覚えてないでしょ」
「まあ……そうだな」
たしかに、感情が変わった瞬間が明確にあったわけではない。
「だから、
曖昧な語尾に思えるが、これは沙子なりの誠意だ。
沙子は決して
「んー、あの時、
「そんなの、わかってるよ」
「そうかあ……」
おれは沙子から与えられた課題を、自分で整理する。
つまり、だ。
有賀さんには、amaneに対する感情は「憧れ」で、市川天音に対する感情は「恋」であるという説明をした。
だけど分かっていない部分があるでしょ、ということを沙子は言っている。たしかにそうだ。
その2つの感情(「憧れ」と「恋」)が存在しているということはたしかだが、それが共存しているまったく
というか今おれが何を言ってるかもよく分からないんですけど。
とはいえ、だ。それでも分かっていることが一つある。
「ゆくゆくはおれが神野さんに、って話をしてるんだったら、それはねえよ。おれは、別に
「それも分かってる。もうちょっと節操なかったら、うちも動きを変えるのに」
「おい……」
「別に、なんでもいいんだけど、市川さんと別れてあんなぽっと
「ぽっと
答えづらくなった話題になってしまい、ふと無言が降りてくる。
なんだかいたたまれなくなり、
「あのさ、おれが聞いていけないことだったら無視して欲しいんだけど、こないだのってどんな話だったんだ?」
と話を変えてみる。
「こないだのって何」
「
「ああ……」
沙子は
「まあ、一番は市川さんに聞かせたくなかった話だから……拓人ならいいけど」
おれの目をまっすぐ見てくる。
「でも、本当に聞きたいの」
質問をしてきた。
「んん、まあ……」
その瞳に
「ふーん、じゃ、いいけど」
沙子はふうーと長い息を吐いてから、
「あのね、『うちは
「まじ、か……」
それは想像以上に硬度を持った話だった。
「うん。『だから、
沙子はそれで良かったのか? と疑問がよぎるが、そんなことおれが質問できるはずもない。
それでもこの幼馴染はなんとなく察したのだろう。
「うちも、そんなに簡単に切り替えられるわけでもないからね」
と続ける。
ここにきて、先ほどの『本当に聞きたいの』という質問の
「つっても別に、当たり前だけど、今さら拓人とどうこうなろうとかってことじゃなくて」
それでも沙子は話を続け、それでも、
「拓人のこと好きだった自分のことを、今はまだ大切にしてあげたい」
「そう、か」
ここで『ありがとう』も『ごめん』も言えず、だからといって他にふさわしい言葉も浮かばないが、せめて、その力強いセリフを受け止めることだけはしようと思った。これが正しいのかも、よく分からないけれど。
「それを市川に伝えたくないってのは、どうしてだ?」
おれに言う方がよっぽど大変だと思うんだけど。
すると、
「あの人は、天才のくせに結構気を
と言った。
「amaneは、うちにとってすごく大切な場所だから」
沙子は口を引き結んでから、そっと告げる。
「もう、大切な場所は壊したくないんだよ」
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