第3曲目 第5小節目:Thinking About You

 大して長い年月を生きているわけではないが、自分の人生において、マックでここまで気まずい雰囲気ふんいきが流れていたことがこれまであっただろうか。(いや、ない)【反語】


「むぅー……」


 こちらの席には、恨めしそうに少し離れた席を睨みつける英里奈えりなさんと、


「あー、あはは……。ねえ、小沼おぬまくん?」


 笑っているだけなのになんかこちらに同意を求めてくる市川いちかわと、


「それな……」


 何がどれなのかもよく分からないままとりあえず同意する小沼の3人が座っている。


 英里奈さんの視線の先を追うと、向こうのソファ席には沙子さこはざまが向かい合って座っている。


「あそこって3人以上のための席じゃないー……?」


「いや、今気にすべきはそこじゃないだろ……」


 先に入っていたおれたちの前に姿を現したくだんのペアは、


「あ」「マジかっ……」


 と気まずそうに声をあげたあと、沙子が、


「……ちょっと待ってて、あとでうちは合流するから」


 などと言い、少し離れた席へと向かい、何やら真面目まじめな顔(ていうか無表情)をして話している。こちらに背を向けているはざまの表情はうかがい知ることが出来ないが、背筋せすじをピンと伸ばしており、少なくとも真剣に話をしていることは間違いなさそうだ。


「何話してるんだろね? あの2人」


「さあなあ……」


「えりなをほうって、おデートなんじゃないですかぁー?」


 ねてこじらせていじけ放題の英里奈姫は口をとがらせてぶすぅーっとしている。おデートって……。


「ねえねえ小沼くん、沙子さんの表情から何考えてるか分からない?」


 おれの制服の腕のあたりをくいくいと引っ張りながら市川が訊いてくるが、おれはどこぞの青春系ベーシストではないのだ。過度な期待はしないでいただきたい。


「いや、不機嫌ふきげんでもなく、怒ってるわけでもないけど、ただただ真剣に何かをさとしているってことくらいしか分からん」


「それだけ分かれば充分だと思うけど……んんー……」


 市川がふと雰囲気をかがませる一方で、英里奈さんが能天気な声を出す。


「『さとす』ってなにぃ? ポケモン?」


「それサトシ……。英里奈さんって帰国子女じゃないの? 海外ってサトシじゃないんじゃなかった?」


 などと、超無意味な会話をしていると、沙子が席を立ち、こちらへと近づいてきた。


「よっす」


「何その挨拶あいさつ、初めて聞いたけど」


「そうだっけ」


 おれのツッコミに小さく首をかしげながら、おれの正面、英里奈さんの隣に座るさこっしゅ。


「つぅーん……」


「えーっと……はざまくんは?」


 そっぽを向いている英里奈さんの代わりに、市川が苦笑いで頬をかきながら質問した。つぅーんって口に出すなよ英里奈さん……。


「んん、シンキングタイム」


「その発音だと沈んでる時間sinking timeなんだけどぉ……」


 うなずきながら答える沙子の横でいじけ英里奈さんがいらんツッコミを入れた。


「は、なんなのこいつ」


 ほらぁー、さこっしゅ怒っちゃったじゃんかぁー……!


「えっと……、何を考えてるって?」


 その場をなんとか取りつくろおうとおれが質問すると、沙子はおれを一瞥いちべつして、


「……別に」


 という。


 いや、別にってことはないだろうよ……。


「とりあえず、もう、今日は別行動だから。健次は勝手に帰るし、うちらはうちらで何しても大丈夫」


「そうすか……」


 横目ではざまの席を見やると、なんか頭を抱えながら机にひたいをつけて今にもテーブルにめりこんでしまいそうだ。何をシンキングさせられてるのかはよく分からんが、考えすぎて思考の沼に沈んでしまわないように健闘を祈ります……。


「ていうか、3人でいるの珍しくない」


 沙子がわずかに首を傾げて質問してくる。(多分)


「ううん、だって、私たち3人とも6組だよ?」


「ってゆぅか3人でいないよぉー? えりなは1人でいて、そっちの2人は2人でいるだけだよぉー」


「そんな小沼くんみたいなこと言わないでよ英里奈ちゃん……」


「おれそんなこと言ったことねえよ……」


 すると沙子は、ふむ、と考えるような顔をして、


「……そっか。ごめんね英里奈、ほっといちゃって」


 と静かにその頭を撫でる。


「べぇーつにぃー」


 すげなく返しているふうだが、その声音こわねが少し上向いた。


「英里奈のため……っていうか、うちら3人のために、ちょっと健次と話してた」


「ふぅーん、そっかぁー……。どんな話ぃ?」


 机に伏せたまま、クロールの息継いきつぎをする時のように沙子を見上げる。


「英里奈には今度ちゃんと話すよ」


 優しくその髪を撫でながら、沙子は言う。


「……今度じゃなくてぇ、今がいい」


「……そっか」


 沙子はうなずくと、そっと立ち上がる。


「じゃ、カラオケでも行こっか、英里奈」


「……うんっ」


 へへっと笑って同じように立ち上がる英里奈さん。機嫌治るのが早くて結構なことだ。どこかの天使さんにも見習ってもらいたい。


「じゃねぇ、たくとくんと天音ちゃんっ!」「じゃ」


 ダンス部女子コンビはこちらに背を向けて立ち去ってしまう。


「英里奈ちゃんの扱い方を心得てるなあ、沙子さん……」


 市川が感心している。


 まあ、君たち2人はあまり仲良しじゃないもんね……。


「それにしても、沙子さんがはざまくんに話したことって、なんなんだろうね」


 存外ぞんがい湿度しつどを持って、そんな風に問いかけられたその言葉。


「さあなあ……」


 とにかく、沙子がおれと市川にそれを伝えない理由があるのだろうな、ということだけはなんとなく分かった。


 ふとはざまの方を見やると、まだ机に頭をめり込ませている。




「……ねえねえ、小沼くん」


 声をかけられて振り返ると、隣に座っているのに市川がおれの顔をじっと見てくる。


「なんだよ……?」


「私が今何考えてるか、分かる?」


 うわー、何その質問……。怒ってるの? なんかした?


「すまん、分からない……。し、心当たりがありません……」


「だよねえ……」


 少しだけ残念そうに笑う市川。


「えーと……答えは?」


 自分でも早いとは思いながらギブアップして尋ねると、市川は小さく頬を膨らませた。


「……別に。ただ、『さっき沙子さんを見た時みたいに、私の考えてることも表情で分かってくれるくらい私のこと見てくれたらいいな』って思っただけ」

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