第3曲目 第3小節目:ずっと近くに

 学校帰り、吉祥寺きちじょうじ駅から2人連れ立って外に出る。


「ど、どうしましょうか……?」


「う、うん、そうだね……」


 沙子さこは、今日は水曜日なのでダンス部は休みのはずだが、『うち、予定あるから』と言って学校のスタジオを出て行った。


 それじゃあおれたちも帰ろうか、というところだ。


 きっと、そろそろ、おれと彼女の話をしなければいけない。


 いけない、のだが……。


「い、市川いちかわ天音あまねさんは、何かしたいこととかありますか?」


「あっ……。んと、私は特には……小沼おぬま拓人たくとくんは?」


 ……2人ふたりしてこのていたらくである。


 しばしの沈黙ちんもく合間あいまにおれは、約一週間前、あの学園祭の次の登校日とうこうびの帰り道のことを思い出していた。


 そうだ、あの日もこと発端ほったんは吉祥寺駅だった。


* * *


 2人並んだ電車の中。


 文化祭のミスコンの結果が出たりなどしていたので、そんな話を雑談ざつだん的につなぎながら、何故なぜか今までよりも少しぎこちなくなっている自分に内心首をひねっていた。


『次は、吉祥寺、吉祥寺』


 ほどなくして、録音された音声で市川の家の最寄駅もよりえきへの到着が告げられる。


 そりゃそうだ、武蔵むさしさかい駅からたったの2駅である。


「ああ、じゃあ、えっと……また明日、だな」


 席を立つ準備をする市川におれはそっと別れの言葉を告げる。


 すると、


「あの、ね」


 ぎゅっとおれの左袖ひだりそでがつままれる。そのあたりから左半身にじわりとしびれるような感覚が走った。


「もうちょっとだけ、一緒に、いたいな……って」


 彼女はうつむきがちに顔を赤くしながらも、おれの方を見ずに、そっと、


「そんなこと言ったら、困らせちゃう、かな?」


 とおれにそんなことをいかけてくる。


 その時のおれの純粋じゅんすいな気持ちをそのまま声にして市川さんに伝えたのがこちらです。


「あっ……お、ああ、おおお……」


「……へ?」


 うん、何も伝わってないですね。


 いやだって、ほら、分かるでしょ? ここまで砂糖さとう吐くような状況になったことはなかったじゃないですか?


「と、ととととりあえずおりもおります」


「えっと、下りてくれるの?」


「ひゃい」


 そう伝えて、ロボットみたいになりながらホームへり立った。


「そしたら、どう、しよっか?」


「い、市川・・、行きたいところとか、あるか?」


「……行きたいところはないけど、今、ちょっとお話しておきたいことが出来た」


 突然少しむっとした表情に、おれは冷や汗をかく。




 おれたちはかしら公園へと場所を変えて、手頃なベンチに座った。ボートの浮かぶ池を眺める形になる。


「あの、ね。呼び方のこと、なんだけど……」


 もじもじとうつむきながら、彼女はそんな風に切り出す。


「もう、下の名前では、呼んではもらえないのかな……?」


 そして、上目遣いで訊いてきた。


 その表情の中に元天才シンガーソングライターamaneの面影おもかげはない。


「そ、そうなあ……」


 曖昧あいまいな返事をしながら、少し考えていた。


 正直な胸中きょうちゅうを告白しよう。


 まず、非常に照れくさい。恥ずかしいというのとは少し違う。とにかく照れくさい。


 次に、有賀ありがさんに言われたことも少し気になっていた。


『バンド内に恋愛なんてご法度はっと


 そんなの関係ねえ! と、往年おうねんの芸人の気分で啖呵たんかを切ったわけだが、それはさておき、恋愛ごとをバンドに持ち込むのはやはりバンドにとってメリットにはならないような気もする。


 呼び名を変え、関係性の違いが顕在化けんざいかした時に、4人は今までのままでいられるだろうか。


 よって、導き出せる解決法は。


「……2人の時は、あ……『天音あまね』って呼ばせてもらえたら、嬉しい」


 そう、なんとかつぶやいた。池を見ながら。限界。


「…………!」


「あのー……?」


 なんの声も返ってこないので、不安になって横を見やると、感動とも驚愕きょうがくともつかない表情で市川は目を見開いていた。


「……どうかしましたか」


「あの、私、ちょっと、ううん、すっごく、困ったかも……」


「困った……?」


 いかん、困らせてしまっているらしい。2人の時だけというのが嫌なのだろうか? それとも下の名前で呼ばれるのを実際に久しぶりにされてみたら嫌だったか?


「なんていうか、ね? あの、その……」


「はい、なんでしょう……?」


 市川はカーディガンのそでを口元に当てて、ぽしょりとつぶやく。


「すっごく、好きだなって……。そんな特別扱いされたら、心臓が持たない……」


「……!?」


 今度はおれが困る番だった。なんだよそれ、どうすりゃいいんだよ!?


「ねえ、たく」「ちょっと待った」


 おれは両手のひらを相手に向ける。


 それはまずい。実にまずい。


「おれを下の名前で呼ぶのは、ちょっと待ってくれ」


「どうして……?」


 なんだかほうけた表情の市川に言う。


「おれ、それをされると、こないだみたいに昇天するらしい」


 おれが耳を熱くしながらそんなことを言うと、一瞬キョトンとした顔をしたあとに、


「ん? 気を失っちゃうってこと?」


 と、少し意地悪そうな顔になって訊いてきた。


「いや、見ただろ、こないだのおれを」


「うん、見た見た」


 にやけている市川の目。おれの弱みに、いきなり余裕を取り戻しやがった……。


「でも、私も2人の時、何か特別なことがしたいな。私のことを名前呼びしてくれるのだって、本当はあんまり納得いってないんだよ?」


「なんでですか……?」


英里奈えりなちゃんも、沙子さこさんも、名前呼びだから」


「あー、そうなあ……」


 おれは、ふむ、と考える。


「でも、とりあえずはいいや!」


 彼女は嬉しそうに笑う。


「段々、慣れていけばいいよね! ……だって、」


 はにかんだように笑って彼女は言う、


「これからずっと、一緒にいるんだから。ね?」


 なあ、吾妻。今なら出会ったばかりの頃の吾妻の気持ちが分かるよ。


 この天使の可愛さを前にしたら、誰だって気をうしな


* * *


 ……こほん、時を戻そう。回想の表現に乱れがございましたが誤植ごしょくではございません。


「えーっと、小沼くん、特に行きたいところなければ、私、マック行きたいなあ……」


「マック? もちろんいいけど……」


 それはなんだか、久しぶりにどこかの小悪魔に遭遇しそうなご提案ですね……。


「じゃ、行こっか、小沼くん」


「おう、そうだな」


「んー……?」


 何かをせがむように市川が顔を覗き込んでくる。


「そうだな……えーっと……天音」


「はい、よろこんで! えへへ、ありがとね?」


 そのはにかんだ笑顔におれは今日も今日とて気を

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