第68.2小節目:Magical Mystery Tour

 四時間目の体育の授業が終わり、ジャージから制服に着替えて教室に戻ると。


「たくとくんー」


 と、制服姿の英里奈えりなさんがおれの席までトコトコとやってきた。


「えりな、ボール持って帰ってきちゃったぁー……」


「はあ、そうですか……」


 その右手には黄色いテニスボール。今日の体育、女子はテニスだったらしい。


 なんか、市川も英里奈さんも、テニスウェアとか似合いそうだね。なんつーのああいうの。スコート? まあ実際はジャージとTシャツなんだけど。


「……で?」


 おれが先をうながすと、


「これを体育倉庫に返しに行くからたくとくんも一緒に行こぉー!」


 と笑顔で返って来る。


「え、今から昼飯食べるんだけど……」


「お昼ご飯は逃げないよぉ!」


 と、謎理論を展開しながらおれの腕をとった。


「お昼ご飯は逃げなくてもお昼休みの時間は逃げるだろ」


「まぁまぁ、いいからいいからぁ!」


 不思議と強い力で引っ張られて、おれも席を立つ。


 というか、実際どうせ断ることなんか出来ないのだ。変に抵抗せずとっとと済ませた方が早い。


「ほお……?」


 教室を出るとき、背後からなんかラスボスみたいな声が聞こえた気がしたけど。





 ということで、おれと英里奈さんは、校庭の端っこにある体育倉庫に向かう。


「たくとくん、最近元気ぃー?」


「うん、普通に元気だけど……なんで?」


「うぅーん、二学期始まってから、たくとくんとお話する時間少なくなったなぁーって思って」


「そうか?」


 おれが首を傾げると、ねたように唇をとがらせて、こちらを見る。


「たくとくんにとっては、えりなとの時間なんて、そんなもんなんだぁー。ふぅーん」


「そういうわけじゃないけど……」


「放課後はいぃーっつも天音あまねちゃんと一緒に帰ってるでしょぉ? えりなたちダンス部が休みの日は、さこっしゅも休みだからバンドの練習あるでしょぉ? えりなたちもチェリーボーイズの練習あるしぃ……」


 チェリーボーイズの練習って……。いつまでもその微妙にいらやしい表現に慣れないチェリーボーイが僕です。


「えりなとも遊んでくれないと、ワガママかまちょになっちゃうからねぇ?」


「ワガママかまちょってなんだよ……」


「たくとくんが気づいた時にはもうなってるからぁ!」


「はあ?」


 ちなみに、『かまちょ』とは構ってほしがる行為または構ってほしがる人のことらしいです。こないだ平良たいらちゃんが嫌そうな顔しながら教えてくれました。





 そんな話をしているうちに、体育倉庫にたどり着いた。


 おれは、倉庫の大きな引き戸に手をかけて、引っ張る。


 が、しかし。


かない……?」


 どうやら、鍵がかかっているらしい。数ミリだけ動いた後、ガタン、という音を立ててそれ以上進むことがなかった。


「あれれぇー?」


 英里奈さんが口をタコみたいにして言う。なんか言い方わざとらしいな。コナンかよ。身振り手振りも、舞台俳優かよってくらい大仰おおぎょうにつけている。


「じゃあ、職員室に鍵取りに行かなきゃだねぇー?」


「まじかよ……」


 おれは深くため息をつく。


「まぁまぁたくとくん、英里奈と一緒に歩けると思って!」


「ういー……」


 おれは肩を落として、トボトボと職員室の方へと歩き出した。その後ろをトコトコと英里奈さんがついてくる。


 武蔵野むさしの国際こくさい高校を上空から見た時、体育倉庫と職員室はほぼ対角線上に位置する。端的たんてきに言うなら、めっちゃ遠い。


「お腹すいた……」


「まぁまぁ、いい腹ごなしになるでしょぉー?」


「腹ごなしっていうのは普通食った後にするんだよ……」


 ぼやくおれの横で、英里奈さんはなんだか上機嫌じょうきげんに鼻歌を歌っている。その舌の上では最近お気に入りらしい飴玉あめだまが転がっている。


「えりなねぇ、最近YUI聴いてるんだぁー。たくとくんってYUI好きでしょぉー?」


「おれっていうか、市川が好きみたいだけど。カバーとかしてるし」


「そぉなんだぁー。でも、もぉやらないよねぇ?」


 なぜか英里奈さんがそんなことを確認してくる。


「んー、まあ、直近でやる予定はないな。でも市川にYUI聴いてるよって言ってやったら、きっと盛り上がるんじゃないの」


「ふぅーん、まぁ別にいいやぁ……」


「何、仲悪いの……?」


 たずねてみると、英里奈さんはあざとくほっぺに指をあてて小首をかしげる。


「うぅーん、仲悪くはないけど、天音ちゃんはえりなのことあんまり好きじゃないんじゃないかなぁ?」


「なんだそれ……」


 なんか、女子のそういうの怖いな。『うんっ! 大親友だよぉ!』みたいなことは意外と気軽には言わないんだな。いやまあ、言う方が怖いか。


「さこっしゅはYUI、あんま聴かないもんねぇ。オウェイシスが好きだって言ってたもん」


「おうぇいしす……?」


 何その遊戯王の神のモンスターみたいな名前のバンド。ウェイとか言ってるあたりちょっとリア充っぽいし……。


「えぇー、たくとくん知らないんだぁ? イギリスだとすっごく有名なバンドだけどねぇ! 健次けんじだって知ってるよぉー?」


「ほーん……」


 はざまのことでなぜか英里奈さんが胸を張っているのはいいとして、なんかはざまは知ってるのにおれは知らないってのは謎の敗北感があるな……。ていうかそこでけたらおれの強みないっていうか……。まあいいけど……。





 と、バンドの話などしながら、校舎の2階、職員室の前までたどり着いた。


「じゃぁ、たくとくん、鍵もらってきてぇー?」


「いや、英里奈さんが自分でいきなよ」


「いいからいいからぁ! 一生のお願いだよぉー!」


「その『一生のお願い』、あと何回も使うだろ……」


 おれは釈然しゃくぜんとしないものを感じながらも、職員室に入り、近くにいた先生に鍵を貸してもらえるよう頼んでみる。


 すると、その先生の言うことには、いつも鍵が掛かっているところに体育倉庫の鍵がないらしい。


「え、でも、たった今、行ってきたら開いてなかったんですけど」


 と訴えると、


「陸上部あたりの生徒が入れ違いで持って行ったんじゃないか?」


 とのこと。


 なんだその空振り感。無駄足もいいところじゃないか。


 再び肩を落として職員室から出ると、英里奈さんが後ろに手を組んで待っていた。


「どぉだったぁー?」


 と問われ、かくかくしかじかと説明すると、


「そっかぁー、じゃぁもっかい体育倉庫に行こぉー!」


 と嬉しそうにテニスボールをかかげた。


「まじっすかぁー……」





 歩き出すと、


「あ、小沼と英里奈」


 ベースをかついだ吾妻あずまねえさんが通りがかる。


「おお吾妻。昼練?」


「うん、学祭近いから」


 うなずいて頭上ずじょうを指差す。上の階にある器楽部の部室に向かっている、ということが言いたいのであろう。


「そっちは二人でどしたの?」


「なんか英里奈さんがテニスボールを体育倉庫に忘れたんだと」


「そぉなんだよぉー!」


「ふーん……小沼はなんで?」


「たくとくんに、ついてきてもらってるんだよぉー!」


 にっこり笑う英里奈さんの顔を数秒ジーッと吾妻が見つめた。


 ややあって、ふふっと笑う。


「……そっか」


「うん、そうだよぉー!」



 何? 何がわかったの?


「小沼もなんというか……災難だね」


 おれの肩に手を乗せてくる吾妻。そうなんですよお腹空いたんですよ。


「そんなことないよねぇー? えりなとの校内デート、楽しいよねぇー?」


 そう言って身を寄せてくる。あざといなあ……。


「デートなんだ、ふーん……?」


 吾妻が大きな瞳でおれの目を見ながら首をかしげるから、妙に居心地が悪い。


「と、とにかく早く行こう。昼飯が逃げる」


「もぉ、たくとくん、もぉーっと楽しもうよぉ!」


 頬を膨らませる英里奈さんと共に、急ぎ足で再び体育倉庫へと向かう。


「小沼、気をつけてねー、いってらー」


 後ろから気遣ってるんだか気遣ってないんだかよくわからないトーンで声をかけられる。……気をつけてってなに?






「この往復は結構面倒くさいな……」


「えりなは結構楽しいよぉー!」


 再び体育倉庫へ向かう道すがら、英里奈さんは自分の腕をブンブン振りながら、快活に笑う。


「まあ、英里奈さんが一人で往復してるとこ想像したら結構かわいそうだから一緒に来てよかったかもなあ」


 と、思ったことをこぼすと、


「うぅっ……!」


 と、なぜかダメージを受けた様に胸元をおさえた。


「何……? 言い方気持ち悪かった……?」


「ううん、そんなことないよぉ、えりなの心の中の天使がぁ……」


 と、謎のことを言い始める。


「英里奈さんの心の中に天使なんかいる?」


 おれは素直な疑問を口にした。


「……うん、今のでリセットした。ナイスだよたくとくん」


 と、サァっと無表情になり、進んで行く。言葉と表情が合致してない……。




 そして、再度、体育倉庫。


「頼む、いててくれ……」


 と引き戸を引っ張るが、しかし。


「くはぁぁ……」


 やっぱりガタンと音を立てて扉は止まってしまった。


「やっぱりいてない……」


 だよねえ、だって、校庭に陸上部らしき人たち見当たらないもん……。


 うなだれるおれの肩に英里奈さんが優しく触れる。


「たくとくん、ごめんねぇ……?」


「いや、もう乗りかかった船だし……つーか鍵はどっかにはあるのか? 紛失ふんしつとかされてないのかな」


「あ、うぅーん、それは大丈夫じゃないかなぁ?」


 英里奈さんはボールを持っていない右手をスカートにあてながらそっぽを向いて言う。いや、とはいえ、紛失されてたら結構な問題じゃない?


「えぇーっと、とりあえず、ボールは先生に預けておこーかな? お、お礼にさぁ、売店でアイス買ってあげるよぉ!」


 英里奈さんは汗を流しながら、そんな提案をしてくれる。


「これから飯食うからいらないよ……」


 ゆずにいつもおれがご飯の前にアイス食べるなって言ってるんだから破るわけにはいかないし。


「じゃ、じゃ、お茶! か、ジュース!」


「あぁ、うん、じゃあ、それはいただこうかな」


 おれマックでいつも謎におごらされてるし、そのお返しも兼ねて。


「うんっ! じゃぁ、売店にGOだよぉ!」


 はじけるような英里奈さんの笑顔につられて、売店へと向かう。


 ……ちなみに、売店は職員室(2階)のほぼ真下(1階)にあるため、体育倉庫ここからの距離は職員室とほぼ同じだ。つまり、めっちゃ遠い。






拓人たくと


 またまた長い道のりを歩いて他愛たあいない話をしながら売店の方まで戻ると、売店を出たあたりで、沙子さことすれ違った。


「なんか疲れてる」


 さこっしゅは軽く首をかしげた。質問をしてくれているらしい。


「英里奈さんに付いて学校内をかなり歩いたんだよ」


「ふーん」


 沙子は紙パックのジャスミン茶をストローで吸いながら興味があるんだかないんだかよく分かんないあいづちを打つ。


「で、なんで英里奈はそんなに上機嫌なの」


「たくとくんと久しぶりにデートしたからぁー」


「……ふーん」


 沙子は表情をピクリとも動かさないが、持っている紙パックが微妙にひしゃげている。


「いや別に、デートとかじゃないから……」


「別にいいけど。うちに関係ない死ね」


「……今、死ねって言った?」


 おれがたずねると、ふんっと小さく抗議の息を漏らしてくる。


「あ、そぉいえばぁ、たくとくん、さこっしゅの好きなバンドの名前知らなかったよぉ」


「は、なんで」


 沙子は射抜いぬく様な目でこちらを睨んで来た。デートがどうとかよりもよっぽど地雷だったっぽい。


「あのさ、うちが好きなのは……」


「オウェイシスでしょぉー?」


 えりな知ってるんだからぁ! と言わんばかりにドヤ顔になる英里奈さん。


 すると、


「……なにその遊戯王の神のカードみたいなバンド」


 と、沙子が0.数ミリ眉間にシワを寄せた。


 ほら、さこっしゅもそう言ってるじゃん!


「えぇ? さこっしゅ好きって言ってたじゃんかぁ!」


 と言われたあたりで、ようやく気づいた。


「英里奈さん、もしかして、オアシスのこと言ってる?」


「うん、そぉだよぉー?」


 なんだよ、そういうことか……。


「英里奈は、発音良いから……」


 沙子がいつものドヤ顔ではなく、呆れたような表情で息をもらした。


「はあ、まあ拓人が知ってるならいいや。じゃ、また放課後」


「うん! じゃぁねぇー!」


 何に納得したのかよくわからないままだが、英里奈さんと一緒に沙子に手を振り、それから売店でお茶をおごってもらった。




「ありがとう」


 お礼を言うと、英里奈さんはニコッと笑って


「いいえぇー!」


 と言う。


 さっきの英里奈さんネイティブ発音の件があったから、謙遜けんそん的な意味の「いいえ」なのか肯定の意味の「YEAH!」なのか審議の必要があるな。はい、必要ないですね。


「じゃあ、教室戻ろうか」


 なんか、長い旅だったな、と思いながら提案する。


「あ、えりなは、ちょっと職員室に言ってこのボールを先生に預けてから戻るから、たくとくん先に戻っててぇー?」


「いや、それならおれも一緒に行くよ、どうせここまで来たし」


「いぃからいぃから! そのあと用事あるしぃ!」


 英里奈さんは焦ったみたいに胸の前で両手を振る。


「用事? 何?」


「えぇーっと、……女の子に用事聞いちゃダメなんだよぉー?」


「そ、そか……」


 ……なんで用事を訊いちゃいけないかはよくわからんが、とりあえず英里奈さんがいうなら、そういうものなんだろう。


「んじゃあ、先に戻ってるわ」


「うんっ!」


 にっこり笑顔の英里奈さんと分かれて、おれは一人教室へと向かう。





 教室に帰ると、微妙にふくれっつらの天使さんがなぜかおれの席に座っていた。


「おかえり、小沼くん」


「た、ただいま……。なんでおれの席に座ってんの?」


「ずいぶん時間かかったね?」


 おれの質問を無視して、市川は見上げて来る。


 何ですか、この浮気を糾弾きゅうだんされるような感じは……。おれ市川と付き合ったりしてないんだけど……。


「いや、なんか、体育倉庫の鍵開いてなくて、そんで職員室行っても鍵なくて、もっかい体育倉庫行ってもやっぱり開いてなくて……で結局まるまる2往復くらいしちゃって……」


 そして何故なぜかおれもしどろもどろになって説明する。


 すると。


「え?」


 と、市川が目を丸くして首をかしげた。


「体育倉庫の鍵、ないはずないよ?」


「はい?」


 ないはずないってなに? どういう意味?


「だって、4時間目の体育の最後、英里奈ちゃんがクラス委員長だから『鍵はえりなが返しとくねぇー!』って言って鍵持ってってたから……」


「つまり、どういうこと……?」


 あまりにも意味不明で飲み込めない。


「だから、」


 市川は小さく息をついて、言う。





「体育倉庫の鍵は、英里奈ちゃんが持ってるはずだよ?」





「…………はあ?」


 つまり、英里奈さんは、鍵を持っていながらあそこを2往復もさせたってこと?


「なんで英里奈さんはそんなことすんの?」


「知らないよ、小沼くんはまたそうやってまんまとだまされて……」


「え、おれが悪いの?」


 理解の追いつかない頭で、おれはそっと思い返す。




『えりなとも遊んでくれないと、ワガママかまちょになっちゃうからねぇ? たくとくんが気づいた時にはもうなってるからぁ!』




「まじか……」


 おれは額をおさえてうなだれる。


 するとそこに、


「あ、種明かし終わっちゃったぁー?」


 と、ワガママかまちょさんが帰って来た。



「英里奈ちゃん、ご機嫌だね……?」


 市川は、多分呆れた感情が一周して、乾いた笑みを浮かべる。


 英里奈さんは、もはやわるびれもしない。




「うんっ! すぅーっごく楽しかった! また行こうねぇ、たくとくん!」


「今度からは予告してくれ……」


「何言ってるのぉ?」


 英里奈さんは、あざとく首をかしげる。


「ミステリーツアーだから面白いんじゃんかぁー!」

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