第2曲目 第58小節目:You Know You’re Right

 吾妻と話したあと、悶々もんもんとした思いを抱えたまま5限、6限が終わる。


 もともと別に成績がいい方ではないが、いつにも増して教師の言っていることが頭に入ってこなかった。


 何に悶々としているのか、もやもやしているのか、……イライラしているのか。その正体を探ることに脳細胞を総動員していたら、外界から聞こえる音はただの雑音でしかない。


 脳細胞を総動員、なんていいつつも、それがすなわちしっかり思考出来ているということになっているのか怪しいものだ。


 うん、こういうのは、分解して整理すべきなんだ。


 そもそも、おれはなんの『事象』に腹を立てているんだ? 何か、怒るようなことあったか? おれが怒るべきなことなんか、一つでも? だいたいなんの権利があって……。


「あ、忘れてたぁーっ。天音ちゃん天音ちゃん」


 そんなに大きいわけではないその声量で、おれはハッと我に返る。自分のことを呼ばれたわけでもないのに、何故だろうか……?


 見渡すと、いつのまにかホームルームまで終わっていたらしい教室は、人もまばらになりかけていた。


 市川の席へとトコトコと駆け寄っていく英里奈さんの背中が視界に入る。


 英里奈さんと市川が2人だけで話してるのは珍しいな、と、ぼーっと何の気なしにそちらを見ていると、振り返った英里奈さんと目が合った。


 すると英里奈さんは、


「じゃね、天音ちゃん! えりなは伝えたからねぇー?」


 と言って手を振りながら、今度はおれの席へと近づいて来た。


 その向こう側から市川が唇を引き結んで眉間みけんにしわを寄せてコクコクとこちらを見てうなずいている。おれは何故かその視線をふいっとかわしてしまう。


「あれあれぇ、たくとくーん、そんなにこっち見てどうしたのぉー? そぉーんなにえりなのことが気になるのぉー?」


 おれの隣まで来た英里奈さんがにやにやと訊いてくる。


「いや、なんでだよ……」


「うぇー、想像以上に塩対応だぁー……。ふぅーん、じゃぁー……」


 そして、猫のような眼をキラリと光らせて。


「天音ちゃんが気になるのかなぁ?」


「……別に」


 自分でも分かるほど、先ほどとは違う温度で返事をしてしまう。


「ふぅーん? 束縛そくばくの強い男の子は嫌われちゃうよぉー?」


 ニヨニヨと含み笑いをしている英里奈さん。


 それから少しだけ小声になり、訊いてもない情報をわざわざ教えてくれた。


「なんかねぇ、昨日ロック部のスタジオに来てた徳川くんって人が天音ちゃんとお話したいからって伝言預かったんだよぉー。今日の放課後だってさぁ。呼び出しってやつだねぇー」


 ……へえ。


 だとしたら英里奈さん、市川に伝えるの本当にギリギリ過ぎじゃない? 今日の放課後って、今がその放課後なんだけど。


 ……いや、別にどうでもいいか。うん、どうでもいいわ。


「ていうか、徳川『くん』って。あの人先輩なんだろ?」


「あれぇたくとくん、徳川くんのこと知ってるんだぁー。元先輩だったかもしれないけど、同級生になったんでしょー? えりなとはイギリス仲間だしさぁー」


 たしかに、イギリスまい経験者同士か。


「ねぇねぇ、たくとくん」


 すると、英里奈さんがきゅっとおれに近づいて、こしょこしょ声でささやいてくる。


「徳川くんって多分、去年天音ちゃんに告白したっていうあの人だよねぇー?」


 英里奈さんの吐息といきから甘い匂いがする。どうやら、柑橘かんきつ系のアメを舐めているらしい。いつもそんなの舐めてたっけか。


「そうなあ」


 気のない返事をすると、英里奈さんはあきれた声になり、


「……たくとくんは、まっだまだ、たくとくんだなぁー」


 と軽くため息をつくのだった。


 ツッコミを入れることも出来ずにムッとしていると、


「それよりも見て、これこれ!」


「んん……?」


 英里奈さんが嬉しそうにスマホをこちらに向けて来る。


 その画面には。


「これ、はざまか……?」


 やけにかっこよく写ったはざまが表示されていた。


「そぉー! これはぁ、ファッション雑誌のインスタアカウントで、街のおしゃれイケメン高校生特集的なのに載ったのぉー!」


「ほーん……え、なんだって?」


 日本語下手でよくわからんのだが。インスタって存在は知ってるけど実際に見るの初めてだし。人の写真なんか見て何が面白いの?


「だぁーかぁーらぁー! 健次のイケメンっぷりが日本中に見つかったってことだよぉー! いいね数もこの投稿だけめっちゃ多いんだからぁ!」


「ほーん……」


 そりゃよかったねえ……。


「うわぁ、反応うすくてつまんなぁー……。うすしおだねぇー……。」


「はあ」


 反応が薄くて塩対応ってこと……?


「もうー、どうしようもないなぁー……。あ、えりな、部活行かなきゃー。ほいじゃねぇー」


 本気で興ざめしたような顔をしてから、手をテキトーに振りながら、英里奈さんは教室から出て行った。


「はあ……」


 自分から漏れたそれがなんのため息なのかも分からず、とりあえず、机に散乱したままの荷物をカバンに乱雑に入れ込んでいると、おれ以外に唯一ゆいいつ教室に残っていた市川がおれの席におずおずと気まずそうにやってくる。


「小沼くん、あのね、今日なんだけど……」


「用事あるんだろ」


 なぜか食い気味で、なぜか無表情で、なぜか語気の強くなってしまった自分の声に自分で苛立いらだつ。


「う、うん……」


 そんな気弱なあいづちだけを打って、おれのかたわらでモジモジしている市川。


 全部がいちいち、なんだか、かんさわる。


「……それで?」


「あの……えっと、怒ってるの?」


「別に」


 おれなんかの顔色をうかがうように上目遣いで覗き込んでくるその表情に、おれの声は相変わらず冷たく響いた。


「……怒ってるじゃん」


「怒ってねえよ」


 なんでおれが怒るんだよ。


 


 何に対して、おれが怒る権利を持ってるんだよ。


 別に、一緒に帰る約束だってしてるわけじゃないのに、ちゃんと市川は言いに来てくれていて、それで、怒ることなんかなんにもないだろ。


 ……でも。


 なんでそんなこと、わざわざおれに言いに来るんだよ。


「おれはスティックだけスタジオ取りに行ったら先に帰ってるから、」


 こんな言い方するべきではないってことくらい、よく分かっているのに。


 分かっているはずなのに。


「どうぞ、ごゆっくり」


 その声は自分でも失望するほどぶっきらぼうに、おれの口から吐き捨てられていた。


「……何、その言い方」


 手元から顔を上げると、市川がこちらをじっとにらんでいた。


「……何が」


 分かっているくせに。


「ていうか、私の用事も学校のスタジオだから」


 市川の声が鋭くなる。


「は? そんなこと・・・・・でスタジオ使ってんなよ」


「そんなことって、何? 私の用事も知らないくせに」


 鋭くて、冷たくて、そして沸々ふつふつと熱を持った市川の言葉。


「先輩に呼び出されたんだろ? 市川こそ、自分がなんで呼ばれたか分かってんのか?」


「分かんないよ! でもそんなの小沼くんにだって分かんないじゃん!」


「分かんないし、分かる必要がねえだろ。おれに、……」


 一瞬、言いよどんで、それでもおれは、多分言ってはいけないことをとうとう口にした。


「……おれに、何の関係もないだろ」


 おれの言葉に、市川は目をつぶって、湧き上がる何かを我慢するように、何とか身体の外に逃すように、息をゆっくり吐いた。


「……小沼くんは味方って思ってたのに」


 そして、悲しみを怒りでコーティングしたみたいな表情がおれに向けられる。


「味方……とか、敵とかそういう問題じゃねえだろ」


 完全に引っ込みがつかなくなっている。


 おれだって、『味方』でいようとそう思っていたはずなのに、何かの感情がおれの邪魔をしている。


「別に、市川が、……告白するわけでもないんだから」


「そう、だけど……!」


『告白』という言葉が喉につっかえながらも無理して出てきて、そのことに市川も少なからず動揺したように瞳を揺らしていた。


「ていうか、そんなこと伝えて、おれにどうして欲しいんだよ、市川は」


「……別に」


 完全にそっぽを向く市川の横顔におれはまた苛立いらだつ。


「じゃあ、帰るから」


 カバンを肩にかけ、市川に背を向けて歩き出す。


「「……ばか」」


 そう口にしたのは、おれか、市川か、それとも。


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