第2曲目 第57小節目:月花

 市川と共に徳川さんを回避し、amaneの練習をした翌日の昼休み。


 売店にお茶でも買いに行くかーと教室を出て廊下を歩いていると、


「ちょっと、小沼」


 肩を軽く叩かれる。


「おう」


 振り返ると、吾妻ねえさんが立っていた。


「ちょっと付き合って、こっちこっち」


 手招きをしながら廊下を進んで行く吾妻について行くと、あんじょう、なんだかお決まりの場所になった視聴覚室の前まで連行された。


「聞いた? 走詞そうじさんの話」


「そうじさん?」


 誰? 沖田?


「ああ、そっか、ごめん。徳川とくがわ走詞そうじさん。『詞』が『走』る、で走詞そうじさんね。去年から一年間留学に行って、帰って来た先輩。あたしとさこはすと同じ4組なんだけど」


「ああ……」


 徳川さんのことなら、昨日散々話題に上がった。下の名前、走詞そうじさんていうんだ。ふーん、かっこよろしいですね。


「なんか、市川に告白した人なんだろ? 昨日、市川に聞いたけど」


「あ、やっぱりそうなんだ……」


 吾妻が若干じゃっかん気まずそうに口をへの字にする。そっか、合宿でホタル池の話ししてた時、吾妻はいなかったんだっけか。


 いや、だとしたら。


「そんなことまでよく分かるな……」


 おれが感心していると吾妻は、


「あはは、さすがに告白とかまでは分かんないけど」


 と前置きをして、


「昨日ホームルーム終わって教室出てく時、あたしがベースをかついでたからだと思うんだけど、『吾妻さんはロック部?』とかって話しかけられてさ。なんか、天音と話がしたいんだけどどこにいるか分かるかって訊かれたんだよね」


 と、頬をかく。


「あたしもちょっと急いでたからそのときはパパッと『6組かロック部のスタジオにいるんじゃないでしょうか』って言ったんだけど、あとで思い返してみるとその時の表情がちょっと決意というか覚悟というかそういうのを抱えた人の表情してたなあ、と……」


「ほーん……」


「小沼、あいづち、久しぶりに出てる」


「ああ、すまん……」


 謝ると吾妻は軽く息をつきながら笑った。


 じゃあ、徳川さんは昨日の放課後、6組を一回のぞいてからスタジオに行ったってことか。


 ……そしたら、市川の昨日の動線は完璧だったんだな。


 徳川さんを避けるためだけの市川のそんな作戦に、たまたまそこに居て、そのあとの用事が一緒だったというだけの理由で誘われて、何も知らない自分が勝手にどんな気持ちになっていたかを思い出して、身悶みもだえしそうになるのを、奥歯で噛み殺した。


 とはいえ、吾妻におれの表情の変化が読み取れないはずもなく、


「どー、どー」


 と二の腕のあたりを2回、ポンポン、と優しく叩かれる。


「なに」


「もー、さこはすじゃないんだから質問するときは語尾上げな?」


「ああ、すまん……」


 たかぶりそうになる感情を抑えつけたらついつい、語尾がさこはすになってしまった。


「ま、いいってことよ」


 それでも吾妻は優しく、もう2回、ポンポンとしてから、その手をグーにして握ってからポケットに入れて、壁に寄りかかる。


 どちらかと言えばボーイッシュではあるものの、普段そんなにポケットに手を入れるようなやつじゃないから、なんとなく意外な感じがした。


「……まあー、もしかしたら、走詞そうじさんが天音を探してる今回の用事もそれかもね」


「それ、って?」


 首をかしげると、


「告白」


 と、スパッと答えが返ってくる。


「ふーん……」


 スキル《読心術どくしんじゅつ》を持つ吾妻の言うことだ。多分、大きく外れてはいないのだろう。


 一年間、海外にいても、気持ちは変わらなかった、ってことなんだろうか。


『1年間も話せなかったら、話せなかった分、そのことばっかり考えて、気持ちが大きくなってる可能性が高い。いや、むしろ絶対そう、確信がある』


 沙子の昨日の言葉が思考を横切っていった。


「まあ、多分、だけどね……」


「そうかあ……」


 もう一往復だけやりとりがあって、しばし沈黙の時が流れる。


 吾妻もモジモジとしている。


 ……これ、何待ち?


「……え、それで?」


 意味不明の時間に耐えかねておれが質問すると、吾妻が「はあ?」と顔をしかめた。


「いやいや、『……え、それで?』じゃなくて。小沼はどうするのかな、って」


 おれのモノマネをする顔が本当にアホみたいで若干じゃっかん腹が立たないこともなかったが、それよりも疑問が勝った。


「どうするって、おれが、なにを、どうすんの……?」


 吾妻が何を言っているのか、何をうながそうとしているのか、まったく意味がわからない。


 おれが眉間みけんにしわを寄せていると、吾妻の大きな瞳があきれと驚愕きょうがくでさらに見開かれていく。


「小沼あんた、まさか……まだ、自覚ないの……?」


「はあ、なんの……?」


 おれが聞き返すと、


「まじかー……」


 と、唖然あぜんとする吾妻。


「って、こればっかりは、あたしも人のこと言える立場じゃないか……」


 そう、小さくぼやいた。


 なんの話だ……?


「んー、じゃあ、質問を変えるわ。小沼、今、どんな気持ち?」


「どんな気持ちって……吾妻はなんか辛そうな顔してるけど大丈夫か、とは思ってるけど……」


「あ、あたしのことはいいの! ていうか、何? あんた、敏感びんかんなのか鈍感どんかんなのかハッキリしてよ、やりづらい!」


 吾妻が赤面しておれの左胸の少し上のあたりをペチンと叩く。やりづらいって言われた……。 


「そ、そうじゃなくて……なんか、もやもやとか、しない?」


「……別に」


 おれがそう答えると、吾妻は盛大せいだいにため息をついた。


「はあー……、一進一退いっしんいったいっていうかなんていうか……まあ、あたしもそんなにお人好しじゃないから、あんたがそのままならそのままでもいいんだけど……。いや、それでいいのかあたし……? 決心はどうなる……?」


 謎の自問自答。とるべき行動を迷ったように吾妻があごに手を添えてうなっている。


「どうした、吾妻?」


 おれが声をかけると、チラッとこちらを片目で見上げて、諦めたように再度ため息をついた。


「はあー、もー、世話が焼ける……」


 吾妻はくっと下唇を噛んで、おれの胸元にそっとグータッチをする。


「小沼、本心を見逃すと、取り返しのつかないことになるよ」


 そして真剣な顔でこちらを見上げて、言った。


「……あたしみたいに」


 小さく呟いた言葉を、それでも、おれの耳は聞き逃さなかった。


「……どう言う意味?」


「聞こえてるパターン……!? 言ったでしょ、あたしもそこまでお人好しじゃないの!」


 ふいっと顔をそらしてしまう吾妻。


「もー、お昼食べる時間無くなっちゃうじゃん! 小沼、戻ろ!」


「お、おう……」


 最後まで吾妻が何を言いたいのか、伝えたいのかはよく分からなかったが。


『そ、そうじゃなくて……なんか、もやもやとか、しない?』


『……別に』


 あの吾妻に対して、咄嗟とっさについた見え透いた嘘の理由を、おれはきっと認識しないといけないのだろうと、それだけは、なんとなく分かった。


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