第2曲目 第51小節目:progress
何回か練習を繰り返したり、たまに出かけたりを経て、夏休みもだいぶ後半に差し掛かっていたある日。
「あづい……」
残暑先輩に揺り起こされたおれは、冷気を求めて部屋を出る。(クーラーつけると風邪引く派なんです)
リビングの扉を開けると、
「おはよ、拓人」
テレビの前のソファに座った制服姿の沙子が、朝の
「おう、おはよう」
おれは挨拶を返し、目をこすりながら、眠気覚ましのコーヒーでも
「はあ!? 沙子、なんでいんの!?」
「あ、拓人、髪後ろ、
「ほんとだ、ありがとう……。いやいや、そうじゃなくて!!」
かなりの衝撃に、コーヒーなんかいらないほどに一気に目が覚めた。
いやいや、幼馴染って言ったって、そういうのはそんなになかったじゃん! あだち充作品かよ! いや、この前曲が出来た日にも沙子は来てたけど……!
「あ、たっくん起きたんだ。おはよっ!」
混乱していると、後ろから声をかけられる。
振り返ると、濡れた髪のゆずが立っていた。シャワーを浴びてきたらしい。
「おう、おはよう……」
「沙子ちゃんは、ゆずが呼んだんだよ。今日、ひなたさんのお姉ちゃんがテレビに出るらしくて、一緒に観ようと思って」
「あ、そうなの……?」
そういうことは先に言っておいてくださいよ……。ていうか、お客さん来てからシャワー浴びんのやめなさい。
「で、新婚さん体験はどうだった?」
ニヨニヨと笑うゆず。
「「ちょ、ゆず、ばか」」
焦った二人がハモって、「「あ、あわわ」」と、
コホン……仕切りなおさないと。
おれは、軽く咳払いをして、ゆずに向き直った。
「で、水沢のお姉さんはなんのテレビに出るんだ? 街頭インタビューかなんか?」
「なんかねー、CMに出るんだって」
「え? 水沢のお姉さんって芸能人なの?」
「いや、違うと思うけど。ゆずもよく分からない。エキストラみたいな感じじゃない?」
「ほーん……」
ま、そういうこともあるか。でも、そんなのわざわざみんなで見なくてもいいんじゃない?
すると、沙子がソファから、新しい情報を教えてくれた。
「監督は
「はあ!? 西山青葉って、あの西山?」
その事実に声がひっくり返る。
「そう、うちらの中学の同級生の、あの西山青葉」
「まじかよ……」
つまり、同い年の西山がTVで流れるCMの監督をしているということらしい。(情報量増えてない)
「あ、ほらほら、始まったよっ!」
動揺しているおれを差し置いて、TVではそのCMがはじまった。
軽快で青春なロックと共に、映像が流れる。
女の人がテトラポットに登ってこちらに向かってピースしたり、バス停に並んでこちらに話しかけて来たり、夕暮れの駅で泣きそうな顔でこちらに微笑んできたり。
この映像の主人公はきっと、この女の人じゃなくて、撮影している『誰か』なんだろうな、と直感的に分かる。
そして、その主人公がおそらく10代の男子で、映っている女の人に強い憧れを抱いているということも。
「ぷはー!」
画面の中では、女の人が炭酸の飲み物を飲んで、そこに大きく、手書き文字のキャッチコピー。
『夏が終わる前に、大人になる前に、やらなきゃいけないことがあるんだ』
「「へえー……」」
沙子とゆずが2人で息を漏らした。おれは、キュッと唇を引き結ぶ。
これを、西山が、おれと同い年の同じような育ち方をしたやつが作ったってことか……。
市川といい、西山といい、おれのまわりの同い年はみんな、どうしてこうも…… 。
「すごかったね!」
「うん」
「ていうか、ひなたさんのお姉ちゃん、全然エキストラでもなんでもなかったなあ、いつの間に女優さんデビューしたんだろ?」
「さあ」
ソファでは女子2人がやいのやいのと語り合っていた。いや、やいのやいのはゆずしか言ってないけど。
おれは壁に寄りかかり、腕を組んだまま。
「拓人」
しばらくやりとりをしていても、全く話に入ってこないおれを不審に思ったのか沙子がこちらを振り返る。
「あ、すまん」
沙子は小首をかしげた。
「シャワー浴びて来たら。家、一緒に出ようよ。今日練習でしょ」
「お、おう」
そうだ、今日は、練習の日だった。
「『一緒に家出ようよ』だって! 本当に新婚さんみたいだねっ!」
「「ちょ、ゆず、ばか」」
すぐにシャワーを浴びて本当に一緒に家を出る。(沙子はもともとそのつもりだったのか、ベースを持って来ていたらしい。)
電車の中では、お互いほとんど言葉を発さず、だけど気まずいわけでもない、不思議な時間が流れていた。
新小金井駅で電車をおり、照り返しで
金切り声をあげる蝉たち。遠くで揺れる
夏が、残暑を惜しんで、終わるのを
つまり、めっちゃ暑い。
「拓人、あのCMのこと考えてるの」
「んん、まあ……」
沙子の質問に、口ごもってしまう。
すると、沙子は質問を変えてきた。
「拓人は、あのCM、どう思った」
そういう聞き方をしてくるあたり、沙子は本当によく分かってるんだな、とおれは苦笑いする。
はっ、と息を吐き捨てて、
「おれ、あのCMそんなに良いと思わなかったんだよなー。CM作る会社にコネかなんかあったのかなー。そう言う意味で、運がよかったんだろうなー。あんな、西山のポエムが売り物になるなんて、日本の映像業界って
「ふーん」
おれがつらつらと
沙子は、続きを待っていた。
「……とか言い出しそうになるのを、必死に噛み殺してた」
「そっか」
沙子のあいづちに、
実際、あのCMは、多分、素晴らしい。
CMとしての機能を果たしてるかどうかとか、そういう専門的なことはおれにはよく分からないけど、映像としてはすごいと、思う。
本当は、感動もしたんじゃないだろうか。
だけど、おれはどうにもそれを受け入れることが出来ない。素直に
他の誰か、遠い世界の有名人が作ったものと同じようには、どうしても見られない。
なんで、おれはそこにいられないのか? せめて、あのCMの音楽をおれが作るという可能性がなかったのか?
自分の名前を出しての音楽活動すらしていないくせに、そんなことをぐちぐちと考える。
そしてそのどろっとした嫌な感情を、相手を攻撃することでバランスを取ろうとする。
そんな
その感情の名前は、
「おれ、
「そう、だね」
沙子はゆっくり、おれに
「でも、それが分かってるなら、大丈夫だよ」
沙子はいつになく、悟ったように、そう言った。
「そうか?」
「うん。嫉妬も、使い方次第だから。うちらがやらないといけないことは、成功している人を引きずり下ろしてなんとか自分の立ち位置を確保しようとすることじゃなくて、自分がそこまで行くために、ギャップをいかに埋められるか努力することだよね」
「そうだよなあ……」
おれはその正論をうなずいて飲み込む。
「……って、うちが言うと、説得力あるでしょ」
口角を0.数ミリ、ニヤリとあげて、沙子が言う。
「そうなあ……」
おれもつられて笑った。
それは、嫉妬から相手を引きずり落とすための
そして、今はそれを、冗談に出来るようになってよかったな、と本当に思う。
さっきまでの嫉妬の感情を闘志にそっと変換する努力をしながら、学校についたあと、
「あーっ! 小沼先輩と波須先輩! 師匠という人がありながら浮気ですかー? スミに置けませんねーっ! このこのっ!」
それでもまだ、あの事件をみんながみんな冗談に出来ているわけではないのだと、おれは痛感することになる。
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