第2曲目 第50小節目:ブルー
「私、小沼くんと出会うあの日まで、『ぼっち』だったんだよ」
それは、おれからすると衝撃的な告白だった。
「市川が、ぼっち……?」
「うん、そうだよ」
たしかにホタル池でもそんなことを言っていた気はするが、あの時はかなり冗談っぽく言ってたから流してしまっていたのだ。
……いや、でも、そんなはずあるか? ぼっち男子×リア充女子がどうこうするというようなことを言っていたような……? いや、その件はこれ以上触れませんけれども。
おれが困惑してるのを見て、市川が「あはは」と笑う。
「小沼くん、そんな顔しなくても!
そう言って、おれの
なんですか、ナチュラルなボディタッチはありになったんですか……。おれの方はまったく慣れないのですが……。
なんとなく身をよじっていると、そのきれいな指がそっと離れた。
「だって、考えてもみてよ。あの日から、基本的に毎日小沼くんと帰ってるでしょ? 一緒に帰るような友達がいるなら、『あまね、今日はぁー、友達と帰る約束あるんだぁー、ごめんねぇー?』とかって言って他の人と帰ってるでしょ?」
「た、たしかに……」
一緒に誰かと下校するということ自体がおれの常識の範囲外にあったから、まったく疑問にも思わなかったが、市川の言うとおりかもしれない。
……その友達がいるバージョンの市川(あまね)の
「いや、でも、あれ……?」
おれは、市川のぼっちっぽくないポイントを思いつく。
「でも、市川は、ロック部の部長じゃんか。ぼっちが部長なんかやるか? え、友達いないやつが学級委員長押し付けられるみたいなパターン……?」
「もう、それ、うちのクラスの委員長に言ったら怒られるよー?」
市川がそう言いながら、再び歩き出す。いや、市川さん、さっきよっぽど
「部長になったのは、ただ単純に、私が一番適任だったってことかな。あ、技術がどうとかじゃなくてね。ほら、ロック部にしか入っていない2年生って、私しかいないんだよ、みんな兼部してるから。……あっ!」
「どうした……?」
突然にこぱっと笑って手を打つ市川。
「今は、もう一人いるね?」
そう言ってもう一人の専任ロック部員(おれです)の顔を覗き込んでくる。
「そうなあ……」
「小沼くんと私、ぼっち仲間だね!」
意味不明なワードを出すなよ、あと近いよ、良い匂いするよ。
「ぼっちは仲間がいないからぼっちなんだろうが……」
「あはは、それもそうだね」
ていうか、ぼっち仲間って、たった5文字で
「でも、そういうこと、だよ」
市川は優しく、だけどちょっと寂しそうにほほえむ。
「私にはもう、小沼くんがいて、由莉がいて、沙子さんがいて、他にも友達って呼んでもいい人が出来て。もう、ぼっちじゃないんだよ。ぼっち仲間が出来たから、もう、ぼっちじゃなくなったんだ」
「なるほど、な……」
複雑なことを言っているようだけど、話は単純だ。
「ぼっちじゃなくなったら、大切なものが出来て、失いたくないものができて、それで、曲とか歌詞を
「うん、そういうこと……かな」
「そうかあ……」
うーん、とおれはうなる。
それは、おれが曲を作れなかった理由とほとんど同じだった。
「多分だけど、おれもその気持ち、分かると思う」
「え、ほんと?」
すると、市川は意外そうにおれを見る。
「じゃあ、小沼くんも……?」
意味ありげな質問と共に。
「うん、おれも、いつの間にか安定を求めてるってことに気づいたっていうか。手を伸ばすのを無意識のうちに諦めそうになってたっていうか……」
「えっと、小沼くんも、そうなんだ……」
くしくしと自分の前髪を触る市川。頬が赤いのは夕陽に照らされてるからだろうか。
「じゃあ、さ。小沼くんはどうして曲作れるようになったの?」
一呼吸置いて、市川が質問してくる。
「んんー……」
どう答えたものか。
いろんなこと、本当にいろんなことが絡み合ってやっと、おれは一歩踏み出すことが出来たって感じだからな……。
でも、今、市川に伝えられるとしたら。
「そうだな……。色々考えまくった結果、『おれが世界で一番聴きたい曲を作るしかない』って思った時に、視界が開けたって感じかな」
すると、市川はまじめな顔をしてうなずく。
「なるほど……小沼くんの場合は、そういうことだったんだね」
「うん、そう。おれの場合は」
きっと、スランプから抜け出すために導く理屈とか感覚とか方法論っていうのは
おれだって、次にまたスランプが来た時に、同じ言葉でそこから抜け出せるかは分からないんだから。
じゃあ、市川にとっては、どんな言葉が響くんだろうか?
その時おれは、ロックオンの前に市川が言っていたことを思い出していた。
『今日、今、この瞬間なら、デビューしてよかったんだって間違いなく言えるよ。だってさ。私がデビューしてなかったら、小沼くんは曲を作らなくて、由莉は歌詞を書かなくて。そしたら、『平日』は出来なかったでしょ?』
もしかしたら、市川が歌詞を歌えるようになるカギはそこにあるのかもしれない。
ちょうどおれたち二人は、踏切の前で立ち止まる。
警音がカンカンカンカン……と、こだました。
「なあ、市川、もし、もう一回デビュー出来たら、もっと沢山の人にamaneの音楽を聴いてもらえるよな?」
いきなりの問いに少し戸惑ったのか、
「んー、それはそうだと思うけど……?」
市川は首をかしげた。
「そしたらさ、おれとか吾妻みたいに、amaneの曲を好きだってやつが絶対にもっとたくさん出てくるだろ? そしたら、もっと、多くの人が、amaneの音楽に人生を変えられてさ、そんなのおれとか吾妻とかそんな人数の比じゃないんじゃないか? そうなれば、市川は今よりも、もっともっとひとりぼっちじゃなくなるだろ?」
一つの仮説だけど。
その状態に近づくためなら、多少のリスクは乗り越えられるかもしれない。
「だから、もっとたくさんの人に聴いてもらえる可能性のために、歌を頑張って歌ってみたらどうかってこと……?」
おれはうなずく。
市川の
市川が一瞬唇を引き結んでから、そっと、口を開く。
「私は、ただ、……」
そこまでをおれの耳に届けて、踏切を電車が
その時に動いた市川の唇を、おれは読み取ることが出来なかった。
「すまん、もう一回言ってもらえるか?」
立ち去った轟音を見送って、踏切が開く。
「……ううん! ……小沼くんはやっぱり、変わってないなあって言っただけ」
そう言って微笑んで、市川は歩みを進めた。
そうなのか……? まあでも市川がそう言ってるならそうなんだろう。おれの何が変わらないのか、それがいいことかどうかもよく分からないけど、とにかく、おれは伝え途中だったことを続ける。
「それにさ、」
おれからしたら言葉にする意味もないほど当たり前のことだけど、きっとそれでも、伝えなきゃいけないことを。
「吾妻も、沙子も、amaneの歌詞がなんだって、市川から離れることなんか、ねえよ。少なくとも、おれは絶対に、離れない」
おれがそう言うと、市川が振り返る。その瞳がわずかに揺れていた。
「……ほんと? 約束してくれる?」
どんだけ信用されてないんだ、おれは……。
「うん、約束する」
おれは、その揺れた瞳を見て言い切った。
すると市川はやっと、照れくさそうにはにかんでくれた。
「そっか……、うん。わかった。ありがと……。ごめん、ちょっとだけ待っててね。すぐにとはいかないけれど、なんとか、文化祭までには、歌えるようにするから」
市川がそっとうなずいて、
「おう、きっと大丈夫だろ。市川は、amaneなんだから」
おれはうなずき返す。
……。
…………。
えーっと……。
なんかこっぱずかしい空気流れてない?
おれは、空気を変えるためにとっさに冗談めかして、
「で、でもま! そんな状態ってことは、まだ歌詞を書けるようになってないのと一緒だから、競争はおれの勝ちだな!」
と言うと、
「あはは、そうだね」
市川はそう笑った。
「……でも、競争はともかく、『勝負』は、絶対に負けないからね」
市川が一転して、挑戦的な瞳でおれを見てくる。
『じゃあ、小沼くんと由莉で、『わたしのうた』を超える曲を、作ればいいんじゃない?』
「ん、なんで?」
おれが尋ねると。
すぅーっと、いつもみたいに息を吸って、
「だって、小沼くんにとっての『世界で一番聴きたい曲』は、いつだって私の曲が良いもん!」
夕陽の駅前、市川はそう笑った。
「そこだけは、誰にも渡したくないんだ」
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