第2曲目 第47小節目:世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

 帰ってすぐさま、靴を脱ぎ捨て、自分の部屋にはいる。


「こらー、たっくん、ただいまくらい言う!」


 すると、閉めようとしたドアの外からアイスを食べながらゆずが声をかけてきた。


 ていうか、おれの妹は、おれが帰るとき絶対家にいるな。そんでいつもアイス食ってんな。


「おう、ただいま、ゆず」


 廊下に顔だけ出して言うと、


「うん、おかえり、たっくん!」


 にこぱっと笑う。チョロすぎる。


「それじゃ」


「はーい、がんばー。あ、そうだ、今日パパとママ両方出張だから!」


「はいはい」


「『はい』は一回!」


 本当に挨拶あいさつを大事にしてるんだな、こいつ。吾妻と仲良く出来るよきっと。


「……あっ」


 おれは、一度部屋に身体を引っ込めてから、もう一度上半身だけ部屋の外に出した。


「ゆず!」


「ほえ?」


 振り返る妹に、


「ありがとう!」


 そう言って、改めてドアをバタンと閉める。


「……どーいたしまして!」


 多分、他の誰から見ても失敗を重ねまくっているおれだけど。


『でも、もう、たっくんって、1人じゃないんでしょ?』


 ゆずのおかげで、おれは正面切ってもう一回、大きな失敗をして、そして、正面から叱ってもらえた。


『だったら、きっと誰かが正してくれるからさ。だから、とりあえずまあ、やってみなよ』


 本当にどこまでもおれは、もらってばっかだな。




「よし、じゃあ、やりますか」


 パソコンを起動する。


 オーディオインターフェイスにギターをつなぐ。


 ヘッドフォンを耳にかける。


 そして、そっと目を閉じた。





 さて、どうする?


 いや、違うな。どうしたい?


 他の誰でもない、お前に訊いてるんだ、小沼拓人。


『小沼くんは、何を音楽にしたいの?』


 そうだ。おれは、何を音楽にしたい?


 まず、初めて曲を作った時のことを思い出す。


 amaneの音楽に心を揺さぶられて、おれも音楽が作りたいと思ったあの日。


 その時、おれは何を思っていた?


『amaneになりたい』『amaneを超えたい』『amaneよりもいい曲を作りたい』


 いや、そんなこと、一回も思ってないだろ。


 とにかく、良い曲が作りたかったんじゃないのか?


『……良い曲の定義って、なんだよ』


『わたしのうた』はそりゃあもう、すごい曲だ。


 大切なことはだいたい、おれはあの曲に教わった気さえする。


 だけど。言葉遊びの域を出ないかもしれないけど。


 あれは『市川わたしのうた』なんだ。


 おれはおれ自身の作りたい曲を作る。


 じゃあ、おれが一番作りたい曲ってなんだ?


『作りたいものを作るか、大衆に迎合げいごうしたものを作るか』


 そんな議論、クソだ。やりたいやつは一生いっしょうやってればいい。




 おれが一番作りたい曲は、「おれが世界で一番聴きたい曲」に決まってんだろ。




 だからこそ、めちゃくちゃ、ハードルが高い。


 なんてったって、『わたしのうた』を超える必要がある。


 大のamane好きである、もはやamaneの信者であるおれが『わたしのうた』よりも聴きたいと思うような曲を作らないといけない。


『じゃあ、小沼くんと由莉で、『わたしのうた』を超える曲を、作ればいいんじゃない?』


 でも、それをやるしかないって話をしてるんだよ。




 おれには、amaneみたいな才能はないかもしれない。


『えりなは、健次の好みの顔じゃないだろうし、健次の好みの身体からだじゃないみたいだけど、それは、そういう風に生まれてないし、そういう風に育ってないから仕方ないよねぇ』


 おれは、みんなに好かれるような曲が作れる天才なんかじゃないかもしれない。


『でもさぁー、そんなの、関係ないんだよぉ』


 そう、そんなの関係ないんだよ。


『だって、えりなは、健次のことが好きなんだもん!』


 だって、おれは、それでも良い曲が作りたいんだ。


 好きこそものの上手なれでも、下手の横好きでもいい。なんでもいい、どうだっていい。


『えりなは、何をどうしても、健次の特別になるんだ』


 おれは、何をどうしても、おれが世界で一番聴きたい曲を作る。


『僕はね、才能云々うんぬんって、ないとは思わないけど、そんな話を出来るのは、本当に一部の人だけだと思うんだよ。毎日血がにじむほど練習して、精根せいこん尽き果てて、それでも越えられない壁のことを、『才能』って言うんじゃないのかな』


 そうだよな。その通りすぎる。


 じゃあ、おれはこれまでに何をした? 


 何をどうしても、って本気でいうなら、諦めるには早すぎるだろ。


 何、こんなに手前の段階で音階なんか無くしてんだよ。思い上がんのも大概たいがいにしろよ。


『『憧れ』に届かなかったら、不安なんだよ。苦しいし、負けそうになる。多分、拓人が曲を作れなくなったのも、そういうことなんだよね』


 沙子、ごめん。きっと、そんな前向きなものですらなかったんだ。


『小沼くんの曲、私に一つだけくれないかな?』


 市川に求められて、


『だから、たくとくん、協力してねぇ?』


 英里奈さんに求められて、


『だけど、小沼だけは覚えておいてくれると嬉しいなあ』


 吾妻に求められて、


『拓人のそばにずっといたい。誰よりも先に、誰よりも強く、そう思ってる』


 沙子に求められて。


 それで、そのままでいいような気がしちゃってたんだ。


 どんどん大切なものが増えて、どんどんくしたくないものが増えて。


 そして、どんどん臆病おくびょうになっていく。


 変わってしまうのが怖かった。離してしまうのが怖かった。終わってしまうのが怖かった。


 気づいたら、おれはこのゆるい幸せにかっていたくて、ひたっていたくて、文字数稼ぎの読書感想文みたいに、だらだらと、延々と、世界を引き延ばしていた。


 いつの間にかもう、『憧れ』に手を伸ばしてすらいなかった。




 でも、そうじゃないだろ。


 作り始めた時って、そうじゃなかっただろ。


 自分の持ってるもの全部使って、それで、とにかく、『誰か』を感動させたいって思ったんだ。


 おれがamaneの音楽に感動したみたいに、泣いたみたいに、笑ったみたいに、人生変えられたみたいに。


 そんな風に、自分の作ったものが『誰か』の人生に影響を与えたら、どんなにすごいことだろうって、それだけだったんじゃないのか?


 見失うなよ。


 ビビってんなよ。


 全力で、取りに行けよ。



『「憧れに手を伸ばす」んだったら、これくらい本気でいかないと、だよ。拓人?』


 そうだよな。


 一番の願いを、口にするんだ。


 一番の願いを、音にするんだ。


『「本当の気持ち」から、目をそらすな、小沼』


 一番最初にamaneの音楽を聴いた時、思ったことを言えよ。


 感動させたい『誰か』って誰だ?


 おれが世界で一番聴きたい曲を聴かせて、感動させたい『誰か』って誰なんだよ?


『ねえ、自分にしか出来ないことなんて、たった一つだってあるのかな?』


 そうだよ、おれは。





「おれの人生を変えてくれたamaneの、その人生を変えるような曲を作りたい」






 その瞬間。


 ヘッドフォンの中で何かが鳴り響いた。


 おれは、いつの間にか動いている指がかき鳴らす音を、ただ、聴き取っていた。


 なんのコードを弾こうかなんて考える前に、腕がストロークし、鼓膜こまくを震わせる。


 もはやなんのコードかも分からない、音楽理論にのっとっているのかも分からない。


 ただ、それは、間違いなく、おれの心が、おれの意思が、おれ自身がそのまま音になっていくような。


 そんな音楽が生まれていく。


 これでダメならもう仕方ないだろ、ってそう思えるくらいの、全身全霊のおれの音楽が。





 全パートに、命を吹き込んでいく。


 納得行かないところは何テイクも録り直しながら、一つ一つ。


 気づくと、例によって窓の外には、朝日がのぼっていた。


 髪の毛も、Tシャツもびちょびちょだ。


 そりゃ、夏の暑い中、冷房入れないでやってたらそうなるわ。ていうか、熱中症とか危ねえよ、おれ。スポドリ飲まなきゃ……。



 少しでも風を取り込もうと窓を開けると、蝉時雨せみしぐれが部屋になだれ込んでくる。


「うるさいな」


 おれがつぶやくと、


「うるさいのは、拓人の方だよ、朝まで何やってんの」


 ドアにもたれかかる金髪女子。


「は? 沙子、なんでいんの?」


「拓人、曲、出来たんだ」


 沙子は、おれの質問には答えないらしい。


「おう、出来た」


「聞かせてよ、拓人」


 沙子が右手をこちらに差し出してくる。


「今回は、かなりの自信作だ」


 おれはヘッドフォンを渡した。


「当たり前じゃん、」


 ヘッドフォンを耳にかけながら、沙子が言う。


「あれだけのことさせといて、そうじゃなかったら、死刑だっての」


 沙子がヘッドフォンをしたのを確認して、おれは、再生ボタンを押した。


 1曲分、数分間が流れる。


『ぶっちゃけ、amane? とかいう人のパクりって感じでクソだと思った。てか、キモい』


 黒髪時代の沙子の言葉を思い出すが、おれはそれでも、まったく動じてなかった。


「自信なんて言葉が、おれから出てくるとはなあ……」


 天井を見上げながら勝手に感慨かんがいに浸っていると、沙子がヘッドフォンを外す。


「拓人ってさ……」


 沙子が満面の笑みを見せる。


「もしかして、天才なんじゃない?」


 語尾をあげた沙子に、


「当たり前だろ、」


 おれはニッと笑って答える。


「おれは、小沼拓人だよ。」

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