第2曲目 第46小節目:二人

 おれは、ことの顛末てんまつを、吾妻に話した。


 市川と吉祥寺に行ったこと、花火大会でのこと、沙子から言われたこと、英里奈さんと話したこと、市川と話したこと、昨日考えたことと、ゆずから言われたこと。


「ふーん、なるほどね……」


 ずっと唇を結んで聞いていた吾妻が、そっと、口を開く。


「まずは、小沼」


「はい……」


 目を細めた吾妻が、低い声を出す。


「歯を食いしばりなさい」


「はい?」


 あほみたいな声を出した次の瞬間。


っったいっ!!!」


 おれのひたい鈍痛どんつうが走る。


 おでこを押さえながら正面を見ると、


「ベーシストの右指をはじく強さを思い知った?」


 自分の右手に吾妻がふっと息を吹きかけている。


はじく方向ちげえだろ……! え、なんでおれ、デコピンされたの……?」


 おれがたずねると、吾妻は眉間みけんにしわをよせて、


「小沼が、さこはすのこと、ベラベラと話したから」


 と、言う。


「沙子のこと……」


 あの日の花火がフラッシュバックする。


「そんな大事なこと、勝手に話しちゃダメでしょ? まあ、聞き出そうとしたあたしにも多少責任はあるかも知れないけど……。てか、英里奈に言う意味は微塵みじんもなくない?」


 吾妻は、本当に怒っていた。


 その表情を見て、おれは息を呑む。


 よく考えてみると、それはそうだな……。圧倒的に配慮はいりょが足りてない……。思い返すと、本当に申し訳ない……。


「まあ、英里奈には、花火大会に行く話をしてたからってことね? 分かったけど、それでもだわ」


 ていうか、またしても心を読まれている……。


「……まあ、さこはすも多分怒ったりはしないと思うけど。さこはすの覚悟はそんなもんじゃないだろうから……。でも、それ、結果論だから! 反省しないと!」


「そうだな……」


「分かった?」


「うん、分かった」


 おれはしっかりとうなずく。あとで、沙子に謝らないとな……。


 すると、吾妻は、


「まあ、よしとする。いや、あたしがよしとしても全然しょうがないんだけど」


 と、やっと少し笑ってくれた。


 はあ、怒られた後の笑顔、安心するなあ……。


「じゃあまあ、本題ね。もしかしたら、割と辛辣しんらつな話になるかも、ごめん」


「あ、はい……」


 全然まだ安心するところじゃないみたいでした……。


「ねえ、小沼。小沼の『憧れ』って何?」


「それは……、amaneの『わたしのうた』かな、と思うけど……」


 おれが、曲を作ろうと思ったきっかけ。


 それは昨日考えて、もう一度見つけなおしたことだった。


「うん、その気持ちはあたしも分かる。むしろあたしの方が分かると言っても過言かごんじゃない」


「そうなあ……」


 変なところで圧が強いです、吾妻ねえさん……。


「じゃあ、小沼が、本当に憧れていたのは、何? amane様の歌声? コード進行? フレーズ? 歌詞そのもの? 演奏技術?」


「それは……」


『メロディも、コードも、リズムも、歌詞も、その感情を表現した時の結果でしかないんだよ』


 いつかの、市川の言葉が浮かんだ。


「どれか一つじゃ、ないと思う」


「うん、そうかもね。たしかに、全部が正解だけど、全部が不正解」


 吾妻は、うんうん、とうなずく。


「これは、あたしの場合だけど、」


 そう言って話を続けた。


「あたしが『わたしのうた』に憧れたのは、そこに存在する『思い』だよ。表現しようとした『意思』そのものっていうか。そんで、その意思の源泉である、amane様、ううん、市川天音という人間に憧れた」


「そう、だよな……」


 音楽が生まれた、源泉。


「じゃあ、さ」


 吾妻は、ふう、と息をつく。


「小沼のこの曲に、意思はある? 小沼拓人は、そこにいる?」


「それは……」


 おれがこの曲に込めた意思。


「amaneみたいな良い曲を作りたいって、思いが……」


「……その結果が、『わたしのうた』と似たコードで作った曲ってこと?」


「うん……。んー、いや、そう言われると、おれのやったこと、悪趣味にもほどがあるな……」


「まあ、ね」


 あはは、と吾妻は笑う。


「良い曲には、意思があると思うんだよ。本来、意思があって、それを表現するために音楽は存在するんだもん。『amane様みたいな良い曲を作りたい』は、立派な意思かもだけど、それでもその表現は、多分、これじゃない、でしょ?」


「そう、だな……」


 本当は、分かってはいる。


 分かってはいるけど、他にどうしたらいいか分からなかったんだ。


 だって、おれには……。


「小沼。本当に、かなり、辛辣しんらつなこと、言うんだけど……」


「お、おう……」


 吾妻は一度目を閉じてから、ぱちっとこちらに目線を合わせる。


「あたしは、小沼自身の意思を見たことが一回も・・・ないよ」


「一回も……?」


 神妙にうなずく吾妻。


「小沼は、受け身すぎるんだよ。全部が全部、受け身」


「受け身……?」


 意味が、わからない。


 おれの何かが、理解を拒絶する。


「天音は、声が出るようになって、それでもまだ歌詞がかけなくて、もがきながら新しく詞を書こうとしてる。それはきっと、詞にしたい思いがそこにあるから」


「そう、だな……」


「さこはすは、これまでの全年月をかけて、小沼の背中を押そうとした。そこにある覚悟が、小沼の心を動かして、小沼に音階を取り戻した。でしょ?」


「うん……」


 吾妻は一呼吸置いて。


「じゃあ、小沼はどう?」


「おれは……」


 きっと。


 ここで、すぐに返せる言葉が出てこないのが、その答えになってしまっているのだろう。


 吾妻は、あくまで優しくおれに語りかける。


「小沼はさ、いつも、されるがままだよ。差し伸べられた手を握って、言われたことにうなずいて。頼ってくれた人を助けて、求めてくれた人に求められたものを差し出すだけ」


 そして、寂しそうに笑う。


「誰にだってできることじゃないことは分かってる。でも、それだけなんだよ」


「吾妻……」


「これまではそれでよかったかも知れない。だけど、もう、ダメなんじゃない?」


 吾妻の目を見つめるおれを、しっかりと見つめ返してくる、大きな2つの瞳。


「ねえ、小沼。自分で、考えなきゃ。自分で、選ばなきゃ」


 下唇を噛んでから、おれのほほを両手で挟んだ。


「意思を持ちなさい、小沼。小沼が、選びなさい。小沼は、自分なんかが選ぶ側に回るなんておこがましいって思ってるかも知れない。その気持ちも、すっごくよく分かる。でも、それも言い訳なんだよ」


 すぅーっと息を吸って、吾妻は言う。


「『本当の気持ち』から、目をそらすな、小沼」


 おれは、息を呑んだ。


 そっと、吾妻の手が離れていく。それでも、


「『本当』は怖いよ。『本当』は痛いよ。本当は……このままがいいよ。だって『本当』は、剥き出しの自分自身なんだから。だけど、」


 吾妻は、じっとおれを見て、微笑む。


「憧れられるくらいの意思を、見せてよ。小沼拓人の『本当』を、見せてよ」


「……!」


 吾妻の言ったことを、飲み込もうとする。


 まだ咀嚼そしゃくするにも大きすぎる、固すぎる、苦すぎる、その事実を。


 だけど、おれは飲み込まないといけない。


「吾妻、ありがとう、おれ……」


 そして、しっかり、形にしなくちゃいけない。


「やらないといけないこと、あるでしょ?」


「……うん」


「……あたしさ、器楽部の部室の戸締とじまり確認しなきゃだから、先に帰って?」


「おれ……」


「いいから! はやく!」


 吾妻は無理するみたいに笑う。


「時間、ないでしょ」


「……悪い」


 おれは、どこまでも助けられて、どこまでも受け身だ。


 ……でも、これで、最後にする。そう、決めた。


 おれはカバンを掴んで、教室を飛び出した。


 走る。走る。


 おれは、おれの向かう先へ。


* * *


 教室を出ていくダサい背中を見送り、あたしは、ひとり、ぽつんと、ため息をつく。


「はあーあ……」


 かっこよくもない、強くもない、情けない男子。


「ほんと、ばかだなあ……」


 あたしの好きな少年マンガだったら、確実に主人公にはなれないような、そんなやつ。


『あたしは、小沼自身の意思を見たことが一回も・・・ないよ』


 でも、そんなあいつが、本当は、たった一つだけ、自分の意思で伝えてきたことがある。伝えてくれたことがある。


『おれの曲に、歌詞を書いてくれないか?』


 あんなに受け身でどうしようもないやつだけど、たった1人だけ、あたしの大事なものを真っ向からすくってくれた人。


『おれの曲には、吾妻の歌詞じゃないと嫌なんだ』


「ばか、ばか、ばか……」


 今、選ばせたら。


 今、答えを出させたら。


 今の、あいつの『本当の気持ち』に、あたしがいるわけなんてないって、わかってるのに。


「あたしの、ばかあ……」


 あたしは、まだ、その選択肢・・・に入ってすらいないのに。


 いや、入ってすらいないからこそ。


「そんなの、あたしが言うしかないじゃんかあ……」


 ふにゃりと力が抜けてしまい、あたしはそっと、顔を伏せて、そのまま小沼の机に右耳をあてた。


『あんたも、市川さんの正体がamane様だと知ってたの? それでamane様の机に耳をこすり付けて『良いよお、良い音が聞こえるよう......』って言ってたってこと......?』


 すると、視線の先。


 窓際に、スポットライトみたいにの光を綺麗に浴びた、天音の席が見えた。


 その光は、その景色は、なんでだろう、全然分かんないけど、段々とぼやけて、にじんで、広がって、やがてあたしの視界の全部になる。


 


「あーあ」


 どうせ止まらなくなる思いなら。


 どうせ膨らみ続ける思いなら。


 だったら、なんで、もっと早く、気づかなかったんだろう。


 なんで、もっと早く、気づけなかったんだろう。


鈍感どんかんすぎだよ、ばーか」


 ガランとした教室に響く、ぐしゃぐしゃに濡れた声。


 その音の中にいるのは、もう目をそらせないほどの、もう言い逃れ出来ないほどの、『本当の気持ち』だった。

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