第2曲目 第48小節目:飛行機

 曲が完成した数日後。


 おれは、市川と沙子と、学校のスタジオにいた。


 まだ歌詞の付いていないおれの新曲を、ラララで合わせるために。


「小沼くん、やっぱりこの曲すごいよ! 私、送ってもらった日からこれしか聴いてないもん!」


 ギターを弾き終えた制服姿の市川が、にこにこと笑いながらぴょんと飛び跳ねて、顔の前で小さく拍手する。


 こんなに素直に褒めてもらえると、なんか照れますね……。


「だから、拓人は出来るって、言ったでしょ」


 Tシャツに短パンの沙子がベースを抱えたまま、市川の肩によりかかるみたいに自分の肩を押し付ける。


「いや、だから、小沼くんの力でしょ? なんで沙子さんがドヤ顔するの?」


 市川がそれを優しく押し返した。


「それは……教えない」


「ええ!? 沙子さん、初めて見る表情してる!」


 いきなり笑みを嚙み殺すようにした沙子の顔を、市川がのぞき込む。


「ちょっと、市川さん、近いから……」


「ええー? 何その顔ー!」


「くっつくなっての……」


 ……うん、この組み合わせもだいぶありだとは思うんですけど、こればかりは、おれはなんかちょっと反応しづらいですね。


 あと、「くっつくなっての……」とかクールっぽく言ってるけど最初にくっついたのは沙子さんだよ?


「それで、由莉がいま、歌詞を書いてくれてるんだよね?」


 じゃれあいが終わったのか、こちらを振り返り、天井てんじょうを指差しながら、市川が言う。(ロック部のスタジオ(2階)のちょうど上に、器楽部の練習部屋があるのだ。)


「うん、吾妻も部活忙しいだろうから、すぐにとはいかないだろうけど」


「うんうん!」


 ちなみに、吾妻からは、曲を送ってすぐ、個別ラインが来た。


由莉『小沼! この曲、小沼をめっちゃ感じる!』


小沼拓人『ややこしい言い方すんなし……』


由莉『あたしも全身全霊で書くから、ちょっと待ってて!』


 と。



「そしたら、じゃあ学園祭までに目処めどが立ってないのは、私の歌詞だけ、か……」


 市川がトーンを落として、少しうつむく。


 沙子はその姿を見てから、


「……市川さんも、出来るよ」


 小さくつぶやいてそっぽを向いた。


「え、沙子さん?」


「もう言わない……」


「う、うん、ありがと……嬉しい……」


 二人して、頬を染めちゃってもう……。……おれ、退室しようか?


 ドラムイスから腰を浮かせかけたその時、沙子のスマホがアラーム音を鳴らした。


「あ、時間だ。ごめん、また次回」


 そう言って、沙子はベースをケースにしまってスタジオを出ていった。


「なんか、だいぶそのこと忘れてたけど、沙子さんはダンス部もあるもんねー」


「そうなあ……」


 沙子は、ダンス部の練習もあるため、その合間をぬってスタジオに来てくれていた。だから体操着代わりのTシャツを着ていたのである。


「それじゃ、私たちは帰ろっかー、小沼くん」


「そうだな」



 

 市川と二人で新小金井駅までの道を歩く。かなり久しぶりで、なんか妙に緊張しますね……。


「あーあ、負けちゃったなあ、競争」


 車通りのほとんどない道で、市川がぼやながら、縁石えんせきにぴょいっと飛び乗る。平均台みたいに両手を広げて、バランスをとって歩きはじめた。


「競争? おれと吾妻で『わたしのうた』を超える曲を作るってやつか?」


「違うよー、それは『勝負』でしょ。『競争』は、私の歌詞と小沼くんの新曲、どっちが先に出来るかって話」


「ああ、なるほど」


 どっちが『競争』で、どっちが『勝負』かちゃんと覚えてるあたり、日本語への意識が高いってことなんだろうか。吾妻ねえさんとかもそうなんですかね。どうなんでしょう。


 まあ、それはともかくとして。


「あのさ、市川」


「んー?」


「その『競争』って本当に、おれの勝ちか?」


 市川の動きが一瞬だけにぶる。


「……えー? どういうこと? 小沼くんの勝ち、でしょ?」


 おれは、日本語への意識は吾妻や市川よりも低いかもしれない。


 だけど、一つだけ、沙子に引かれるくらい、得意な暗記科目がある。


「あの日、市川が言ってたのは、市川の歌詞とおれの曲、どっちが先に持って来れるかじゃないだろ」


『そしたらさ、小沼くん、競争ね!』


「……そうだっけ?」


「市川が言ってたのは、『私が歌詞を書けるようになるのと、小沼くんが曲を書けるようになるの、どっちが早いか』だ」


 市川は、広げていた手をそっとおろす。


「なあ、市川」


 この質問で、嘘が嫌いな市川は、もう、誤魔化ごまかせなくなる。




「本当はもう、歌詞、書けてるんだろ?」





「……小沼くんは、鈍感どんかんが売りなんじゃなかった?」


 くしゃっと自分の黒髪を握って、情けなさそうに笑う。


「そんなもん、売りにした覚えはねえよ……」


 あきれたおれが言うと、市川は「あははー」と笑って。




「うん……書けてるよ、歌詞」




 そう、はっきりと宣言した。


 やっぱりか……。


「なんで、そんなこと隠してたんだよ……?」


 市川は、そっと縁石からおりる。


「なんでだろうねー……」


 もしかして……?


「競争で負けたら、おれが目標をなくしてやる気もなくすと思ったのか? そんなことまでおれは市川に気を遣わせて……」


「それは違うよ、小沼くん」


 おれの言葉はさえぎられ、きっぱりと、否定される。


「じゃあ、どうして……?」


 市川は諦めるみたいに、はぁーと息をはいた。


「私ね、怖いんだよ、小沼くん」


 その瞳がかすかにうるむ。


「歌詞を聞かせて、なくしちゃうのが、まだ、怖いんだよ」


 おれは首をかしげる。


 うまく理解ができない。『なくしちゃう』って、なんだ?


「でも、『わたしのうた』も『ボート』も、自分の曲だけど、もう歌えるようになっただろ?」


 だったら、新しい曲だって、歌えるんじゃないのか?


「それは、小沼くんにも、由莉にも、沙子さんにも、出会う前の曲だから。うしなうものなんかなかった時に、作った曲だからだよ。その曲を、みんなが好きだって言ってくれてる状態で歌った歌だから」


「いや、次の曲だって、好きかもしれないだろ。っていうかメロディ自体はめっちゃいい曲だったじゃんか」


 amaneの書いた歌詞をおれや吾妻が嫌いになる確率の方が、圧倒的に低いはずだ。


「あははー、ありがと。でも、さ、歌詞はまだ怖いんだ。この歌詞で……何かを無くしたらって、壊しちゃったらって……。失いたくないものが、出来ちゃったから」


「失いたくないもの? それは、ファンとか、そういうことか?」


 おれが尋ねると、


「ちがうよ」


 と、市川は首をふる。


「あのね、ホタル池でも言ったんだけど、」


 市川はそっとおれの制服のすそをつかんで言った。





「私、小沼くんと出会うあの日まで、『ぼっち』だったんだよ」

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