第2曲目 第44小節目:ランニングハイ

 市川と英里奈さんと別れ、家路につく。


 さっきマックで見たamaneのノートの存在が、やけに脳裏のうりにこびりついていた。


『憧れ』に手を伸ばす、か……。


 電車の中で、ぢっと手を見る。(拓木たくぼく


 やっぱりおれは、amaneみたいな音楽が作りたいんだろうな、と改めて思う。


 うん、家に帰ったら、曲を作ろう。



「ただいまー」


 家についてすぐ、自分の部屋に入り、ドアを閉める。


 ギタースタンドから弦のびたギターを手に取り、ベッドに座った。


『憧れ』を見つめ直すために、おれはスピーカーから『わたしのうた』を再生する。


* * *

 ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?

 教室のすみっこ おりこうなだけの私

 ねえ、かけがえのない存在なんてものは たった一つだってあるのかな?

 遠い街に住む運命の人を 私は一生知らないままかもしれない


 私は何にも持ってないから自信がなくて

 私には自信がないから勇気がなくて

 「そばにいて」ってそんなことすら言えないまま


 痛みとか傷を避けて歩いてたら いつの間にか大切なものから遠ざかってた

 それはきっと大切なものの近くにいるのが 多分一番いたいからなんだろう


 苦しいことばかりで 痛いことばかりで

 今日を投げ出したくなるけど

 もしかしたら、もしかしたら

 60億人の人混みの たった一粒 何者にもなれない私に

 「いてくれてよかった」と言ってくれる人に

 いつか 出会えるかも知れない


 ねえ、自分にしか出来ないことなんて たった一つだってあるのかな?

 私が答える そんなことどうだっていいよ


 もし私がここにいたことで

 息を吸ったことで、笑ったことで、泣いたことで、歌ったことで、

 生まれたものがあるのなら


 それがどんなに小さなものだっていい

 私は誇りみたいに、勲章みたいに

 バカみたいな笑顔でかかげて生きていよう


 これが、わたしのうた

* * *


「なんつー曲だよ……」


 おれはギターを抱えたまま、脱力して、ベッドの上、へたりと壁によりかかった。


 この曲を超えるなんてことが、おれに出来るんだろうか?


 そもそも、この曲を超えるって、なんだ?


 この曲よりも良い曲を作るということか?


 じゃあ、そもそも、良い曲ってなんだ?


 その尺度はどこにある? 誰が決める?


 より多くの人が感動してくれれば、それが良い曲っていうことになるのか?


 そうしておれは、音楽の世界だけじゃない創作の世界でよく議論になる話題にぶちあたる。


 それは、

『作りたいものを作るか、大衆に迎合げいごうしたものを作るか』

 という議論だ。


 それを聞くたびに思うことがある。


「おれは別に、どっちも作れないんだよなあ……」


 そうなのである。


 その議論は本来、どちらも作ることができる、つまり選ぶことができる人向けの議論だ。


『作りたいもの』というのが文字通り、『自分の作りたいと望んでるもの』ということなのであれば、そんなものには全然まだまだ手が届く気がしない。


 何曲作ったって、いつまでも、「これがお前の作りたいものか? もうこれ以上はないか?」と聞かれたら、素直にうなずけるはずもない。言えても、「現時点では、まあ、そうです」くらいのものだろう。


 とりあえず出来上がったものを事後的に「これが自分の『作りたいもの』です」と言いながら差し出せばいいんだったら、誰にだって、まあ、おれにだって出来るだろうけど。


『大衆に迎合げいごうしたもの』なんて、もっと難しい。


 自分の中の評価では絶対に誤魔化ごまかすことが出来ず、明確な結果が出てしまうものだから。


 特に音楽界では見下されがちな考え方だけど、そんなことをそもそも出来ないおれからしたら、狙ったものを狙ったように作れるなんて、どんだけすげえんだよ、と思う。


『大衆に迎合したもの』と思って作ったって、そこに結果が伴わなければ、それが作れなかったということが明るみに出る。言い訳も出来なくて、かっこ悪さも全面に出てしまう。


 むしろ、『大衆への迎合』を見下してる人たちは、その、才能があらわになることにビビって、『大衆への迎合』をダサいものみたいに仕立て上げて自分を守ってるだけなんじゃないかとすら思う。そんなの、ただの言い訳だ。


「自分は出来るけどやらないんです」みたいな顔して、自分でもそんな顔をしていることに気づいてもいない。出来ないだけのくせに、本気で自分の意志でそうしていると、自分にまで嘘をついてる。


 嘘じゃないっていうなら、じゃあなんで。


『平日』を、聴いてもらえなくて、話題にしてもらえなくて、評価してもらえなくて、あんなにふてくされていたんだ?


 つまるところ。


 おれには、おれに作れる曲しか出来ないのだ。


 じゃあ、おれ自身が市川天音を超えるほかに、amaneを超える方法なんてないんじゃないのか?


 考えれば考えるほど、どの側面でも、わからなくなっていく。


『じゃあ、小沼くんと由莉で、「わたしのうた」を超える曲を、作ればいいんじゃない?』


 音楽の素晴らしさが得点化されているわけでもないこの世界で、『amaneを超える』っていうのはどういうことなんだろう……?


 左脳の兵隊が何周も脳の周りを行進する。


 行進しているそいつらはやけに偉そうだけど、お前ら何なんだよ……なんでそんなに胸が張れるんだ?


 それとも。


 中身がないから、自信がないから、虚勢きょせいを張ってんのか?


「うううううううううんんんんんん……」


「ちょっと、大丈夫?」


 ハッと我に返り、声の方を見ると、内側に開かれたおれの部屋のドアに寄りかかって、ゆずがアイスの棒をくわえて座っていた。


「……っていうかたっくん、何してんの?」


「いや、ギター弾いてるんだけど……」

 

「いやいや、弾いてないじゃん」


 ゆずがアイスの棒でおれの手元をす。


「え……?」


「いや、だから、抱えてるだけで、ここ30分くらいずっと一回も弾いてないじゃん」


「そうだっけ……?」


「そうじゃん」


 ゆずが眉間みけんにしわを寄せている。


「……ていうか、ゆず、30分もそこにいたのか?」


「はあ? い、いや、別にそんなんじゃないんだけど! 勘違いしないでよね! くそ兄貴!」


「はあ……?」


 おれの妹がこんなにツンデレなわけがないんだが……。


 桐乃きりの、間違えた、ゆずは、ちょっと頬を赤らめて、「こ、こほん!」と咳払いをしてから、


「たっくんさー、」


 ゆずが首をかしげながら言ってくる。




「脳みそじゃ、楽器は弾けないんじゃない?」




 ……うちの妹はいきなり何言ってんだ?


「そりゃ、そうだろ……」


「いや、その顔めっちゃムカつくんだけど……。ゆず今結構良いこといったんだけど……!」


「そうか?」


 おれは首をかしげる。物理的にめっちゃ普通のこと言ってるだけなんだけど……。


 ゆずが、「はあー、だから愚兄ぐけいは……」とため息をつきながら、アイスの棒を指揮棒みたいにぷらぷらとさせながら話を続ける。


「ま、たっくんが何をしたいのか知らないけどさ。たっくんはめんどくさい思考してるんだから、とりあえずやってみるしかないよ」


「めんどくさいって……」


「そんで、どーせ、たっくんのことだから、見当違いのものが出来上がるんだと思うよ。『いや、気にするとこ、そこじゃないんだけど!』みたいなやつ!」


 失礼な妹はケラケラと笑った顔のまま、


「でも、もう、たっくんって、1人じゃないんでしょ?」


 と訊いてくる。


「そう、だな……」


 おれは先月ぼっちを卒業した。


「だったら、きっと誰かが正してくれるからさ」


 二ヒヒ、と笑って、


「だから、とりあえずまあ、やってみなよ」


 と、言った。


 いつの間にか、ゆずがそんなまともっぽいことを言えるようになったことに驚いて目を丸くする。


「それじゃーねっ」


 そう言って、ひらひらと手を振って、ゆずはリビングの方に立ち去った。


 なんだあいつ、わかったようなことを……。


 ていうか、そもそも何の用でおれの部屋に来たんだ……?


 でも、まあ。


 それもそうかもな。


「よしっ」


 とりあえず、おれは曲を作ってみることにする。


『憧れ』に手を伸ばすために。


 抱えていただけのギターに指を添える。


 耳に馴染んだコードを選んで、曲を構成していく。


 ……うん、悪くない。


 少なくとも絶対に、悪くはない、はず。





 数時間後。


「ふう、出来上がった……」


 レコーディング用のヘッドフォンを外すと、涼しい風がおれの頬を冷ます。


『小沼、曲できたら、すぐに送ってね』


 まずは吾妻に送る。


 すると、ほんの数分後、吾妻からメッセージがくる。




由莉『明日、学校来られる? 曲の話、したい』


 え、明日、学校いてんの? おれの予定は空いてるから、大丈夫だと返事をしようとしたところ、もう一つ吹き出しがぴょこんと現れた。


「おお、まじか……」


 そのメッセージは。


由莉『この曲じゃ、あたしは歌詞をかけない』

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