第2曲目 第42小節目:愛だけは

「んじゃまぁ、えりなのことは、えりなが猛アタックするとして! ……たくとくん、本題・・に戻ろっかぁ」


 本題、か。


 コトリ、と、シェイクの入っていたコップをテーブルに置いて、


「さこっしゅのこと、たくとくんは、どうするつもりなのぉ?」


 英里奈さんは打って変わって真面目な顔で問いかけてくる。


 ……それは、そうだよな。


 元々は、英里奈さんの悩み相談のために作った会う予定だったけれど、もう、『本題』はこっちだと、そう言ってくれているのだ。


 ありがたいことだなあ、と、そう思う。


 だけど、おれが返したのは、


「正直……よく分からない」


 そんな情けない答えだった。


 昨日の夜から、ずっとこのことばかり考えている。


 そのせいで、そのおかげで、せっかく沙子がおれに取り戻してくれた音階も、まだなんの役にも立てられていない。


「そっかぁー……」


「うん……」


「「はぁー……」」


 おれたちは同時にため息をつき、天井を見上げる。


『どうするつもりなの?』と、英里奈さんはたずねた。


 おれも、自分自身に、そう問いかけている。


 だけど、その、『どうする』の選択肢が、本当のところでは、一つも分かっていないみたいだった。


 沙子は、おれに何かをして欲しい、とは、言っていないのだ。


『付き合って欲しい』と言われたわけでもない。


『好きだ』と名言されたわけでもない。


 もちろん、おれにだって、それを言い訳に答えを出さないなんてつもりは毛頭もうとうない。


 ただ、単純に分からないのだ。


「沙子は、おれにどうして欲しいんだろうなあ……」


「……どうだろうねぇ?」


 英里奈さんは、答えをもったいぶるように、考えをうながすように、そうおれに伝えてくる。




 おれはもう一度、昨日の沙子との会話を反芻はんすうする。


 ……いて言うのなら、2つ、沙子がおれに求めているのかも知れないと思うことはあった。


「『拓人のそばにずっといたい』って、沙子は言ってくれたんだ」


「そっかぁ……」


 そして、あと一つ。最後に言いたかったことは。


「『憧れに手を伸ばせ』って、沙子は、言ってたのかも知れない」


「あこがれー……?」


 英里奈さんが首をかしげる。


 おれはうなずいて、続ける。


「沙子、き、キスのあと、『「憧れに手を伸ばす」んだったら、これくらい本気でいかないと、だよ』って、そう言ってたんだよ」


「そう、なんだぁ……」


 英里奈さんは、ふぅ……と息をついた。




「あのねぇ、これは、えりなの考え、だけど」


 一息入れて、


「『愛』なんだよ、たくとくん」


 そう、しっかりつぶやいた。


「愛……?」


 おれは、その言葉をそっと咀嚼そしゃくし、理解しようとする。


 他の誰かが言う『愛』ならおれは、『恋』の上位互換じょういごかんで使っている言葉くらいのことに思い、聞き流していたかも知れない。


 だけど、英里奈さんの言う『愛』は、明確にそれとは違う意味を持っているということを、おれは知っている。


 それはつまり……。


「さこっしゅがたくとくんに求めてること、それはね」


 優しく、だけど寂しそうに微笑む英里奈さん。


「たくとくんの幸せなんだと思うなぁ」


「おれの、幸せ……?」


 英里奈さんはうなずく。


「さこっしゅの気持ちが叶うとか、たくとくんが誰のことを好きとか、自分のことどう思ってるとか、そういうこと全部放り出して……たくとくんの、幸せを、求めてる」


「沙子が……?」


「そうだよぉー」


 英里奈さんは窓の外を眺める。


「ねぇ、たくとくん、さこっしゅがたくとくんにキスした理由、わかる?」


「キスした理由?」


 おれは腕を組む。


 眉間みけんにしわを寄せて、考える。


「おれの背中を押すため……?」


『「憧れに手を伸ばす」んだったら、これくらい本気でいかないと、だよ』


 それを、教えてくれようとしたんじゃないだろうか。


 だが、英里奈さんの採点は少しばかりからかった。


「んんー、それは半分だねぇ。50点だよぉ、たくとくん」


 半分……?


「ねぇ、たくとくん、さこっしゅの願いは2つなんだよねぇ?」


 沙子のくれた願い。


 1つは、『おれが手を伸ばすこと』。


 そして、もう1つは。


「おれのそばに、ずっといること……?」


 英里奈さんはそっとうなずく。


「たくとくんは、さこっしゅのキスで、もう一度、憧れに手を伸ばそうとするよねぇ。実際、たくとくんはまた曲が作れるようになったんだもん。そしたら、背中を押されたたくとくんは、どこにいくかなぁ?」


「どこにって……」


「たくとくんは、さこっしゅのところじゃない、どこかに行っちゃうかも知れない、でしょー? でも、もういっこの願いも、『たくとくんのそばにずっといたい』って願いも、さこっしゅにとってはすっごく大事だったんだよぉ」


 英里奈さんは、瞳をわずかに濡らしながら、話を続けた。 


「たくとくんのおもりにはなりたくない、邪魔になりたくない。だけど、そばにいたい。その、やり方がさぁ、」


 本当にまっすぐでへたっぴだなぁ……と、泣きそうな声でつぶやいて、


「たくとくんの大切な記憶の中に自分を置くってこと、だったんじゃないかなぁ?」


 おれは息を呑む。


『これでもう一生、拓人は、うちのこと忘れられない、でしょ?』


 沙子の涙のつたう笑顔がフラッシュバックした。


「たくとくんのファーストキスがさこっしゅで、さこっしゅのファーストキスはたくとくんで、って、そのつながりだけにさこっしゅは自分の願いを全部預けて……それで納得して、自分を納得させて、たくとくんの背中を、押したんだよぉ……」


 おれは言葉を失う。


 じゃあ、沙子のあのキスに込めた覚悟は……。


「おれを、送り出すための……」


 瞳を潤ませた英里奈さんが、おれをじっと見つめる。


「ねぇ、たくとくん。たくとくんに、こんなこと言う必要がないことは分かってるんだけどさぁ」


 英里奈さんは、


「たくとくんの決めたことがさこっしゅを、傷つけることはあるかも知れないし、苦しませたりはするかもしれないけどねぇ」


 恋敵こいがたきでもあるはずの沙子をして、しっかりと伝えた。


「えりなの大親友を悲しませたら、許さないから」


 その眼差まなざしに、おれはしっかりと、うなずきを返す。


「……うん、分かってる」


「うん……なら大丈夫ぅ! 考えてて、困ったこととか、悩んだことがあったら、えりなに言ってねぇ!」


 英里奈さんはふっと優しい笑顔になっておれに言ってくれる。


「ありがとう、英里奈さん」


「ううん、英里奈の方がありがとうだよぉ……」


 何が英里奈さんの方がありがとうなんだよ、とおれがふっと笑った時に。




「あれ、小沼くん……と、英里奈ちゃん?」


 マック初心者の元天才美少女シンガーソングライターが、トレイを持って、階段を上がってきた。


「さすが、天才的にが悪いねぇ……」


「ええ!?」

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