第2曲目 第38小節目:星のない世界

* * *


 10年以上前の、一夏町の花火大会のこと。


 あれが、うちが花火を好きになったきっかけで、そして、今日まで続いているこの『癖』の始まりだった。


 父親と一緒に夏祭りにきていたうちは、大好きなピカチュウのお面を買ってもらって、それをかぶりもせずに紐の部分を持ってぶらぶらさせながら(だって、かぶっちゃったら、うちからはピカチュウが見えなくなっちゃうし)、大喜びではしゃぎまわっていた。


 そのうちに楽しくなってしまったうちはなんだかうずうずして、父親の手を離し、走り出していた。


「あ、沙子!」


 父親がすぐに追いかけてくれるだろうと思って走っていったんだろうけど(いや、それも意味不明だけど)、小柄なうちは人混みをすり抜けて走っていく技術に無駄にけていて、音楽オタクで運動神経のない父親はそれを追いかけることができなかったらしい。


 結果。


 1分後、うちは、ひとりぼっちになっていた。


 ひとりぼっちになったと気づいた瞬間、心細くなったうちは、泣きそうになる。


『沙子は泣き虫だなあ』


 父親に普段言われている言葉が頭によぎった。


 多分、父親はからかうくらいの気持ちで言っていたんだろうけど、当時のうちにとっては泣くことがなんだかすごく恥ずかしいことみたいに思えて。


 それで、手に持っているお面のことを思い出した。


 これをつけたら、表情が隠れるじゃん。まわりから見たら、ピカチュウが笑っているようにしか見えないもん。


 うちはピカチュウのお面をかぶって、声をあげないように、そっと泣いた。


 今になって思うと、これが父親がうちを探しづらくなる原因になったんだろう。声をあげるなり、お面をかぶらないなり、やりようはいくらでもあったのに、うちはどんどん見つかりづらくなる方法を選んでいた。


「えー、ピカチュウが浴衣着てる、可愛い〜」「一人で来たのかな?」「いやー、近くに親がいるでしょ」


 周りがうちの方を見て微笑ほほえましそうに通り過ぎていく。


 見られているのが恥ずかしくて、一番近くの暗がり、焼きそば屋台の陰になったところまで歩いて、うずくまった。


 ただでさえ小柄なうちがうずくまって、目立たないところに移動して、ますます見つかりづらくなる。


 だけど。


 彼だけは、うちのことを見つけたのだ。


「え、泣いてんの?」


 頭の上からいきなり声をかけられ、顔をあげると、右手に焼きそばを持って、左手には妹っぽい女の子と手を繋いだ、浴衣を着た同い年くらいの男の子が立っていた。


「な、泣いてない」


 お面をしているのに、どうして彼はうちが泣いていると分かったんだろう。


「いや、泣いてるじゃん。ゆずと同い年くらいか? ゆず、知ってる子か?」


 ゆずと呼ばれた女の子が首を振る。


「そっか……迷子か?」


「迷子じゃない」


「じゃあなんだよ……」


 あきれたようにため息をつかれてしまう。


 うちは、それがなんだか怖くて、悔しくて、悲しくて、また涙が出て来た。


「ああああ……」


 目の前の男の子がおろおろとし始める。彼には、お面越しでもうちの涙がわかるらしい。


 彼は何かを探すみたいに、ぐるぐるを周りを見回し、声をあげる。


「あ!」


 なにかを見つけたらしい。


「なに」


「お前、ピカチュウ好きなんだろ?」


「うん……」


 なんでそれが分かったんだろう、この人にはなんでも分かっちゃうんだな、と思った。(いや、そりゃ、ピカチュウのお面かぶってるからだよね、分かってる。その時のうちがそう思ったって話)


「じゃあ、おれがあそこでピカチュウの人形にんぎょう取ってやるから、元気出せよ」


 そう言って、彼は射的の店を指差す。


「とれるの……?」


「うん、まあ、たぶん……がんばれば……」


 急に頼りなくなる彼がなんだか面白くて、ふふっと少し笑ってしまった。


「お、笑った?」


「笑ってない」


 うちはお面の下、急いで真顔を作る。


「そうかあ……」


 だって、笑ったら、きっと彼はピカチュウをうちのために取ってくれない。


 だって、笑ったら、きっと彼は安心してうちを置いてどこかにいってしまう。


「じゃあ、やってみるか……」


 そう言って彼は妹の手を引いてお店までトコトコと歩いていき、お店のおじさんに声をかける。うちは置いてかれなくて小走りでついていった。


「お金、持ってるの」


 そう訊くと、


「おかあさんから、ゆずと一緒に焼きそば買って来てって1000円ももらったから。焼きそばはもう買った。すんごい並んだ」


「そうなんだ……」


 同い年くらいなのに、彼は妹を連れて買い物ができるんだ。


 かっこいいな……と、そう思った。


 ポケットからお金を取り出そうとして、彼は自分の手元を見た。両手がふさがっている。


「えっと、焼きそばとゆずをよろしく」


 そう言って、焼きそばをうちに手渡して、妹と手をつながせる。これで、うちの両手がふさがってしまった。


 彼は子供用の台に上がって、銃を構える。


 持ち玉は5発。


 だけど、ちいさな子供にそう簡単に扱えるようなものでもないらしく(しかも、今になって思うと、『彼』は運動音痴うんどうおんちだ)、4発目までは完全に不発。


「うーん、うまくいかないな……」


 すると、5発目の前に、彼のとなりで射的を楽しんでいたらしい学ランを着た中学生が彼に声をかけてきた。


「お前、あのピカチュウが欲しいのか?」


 声変わりしたてだろうか。年の割には低い声で、そう言う。


「おれっていうか、こいつがほしがってるんだ」


「ふーん、なるほど。ああ、ピカチュウ好きなんだな」


 中学生はニカッと笑って、


「じゃあ、俺が打つのと合わせて、打て」


 と言う。


「は?」


 彼は首をかしげる。


「まあ、いいからいいから」


 そう言って中学生は銃を構えた。


 それを見て、彼も首をかしげながらも銃を構える。 


「いくぞ、3、2、1……打て!」


 2つの銃が、カチカチッと同時に音をたてる。


 その瞬間。


「やった!!」


 ピカチュウのソフビ人形が落ちた。


「おお、すごいな少年! あれはお前が当てた人形だ!」


 中学生が拍手している。


 その横から人形を拾った射的屋のおじさんが、優しい顔で中学生に声をかける。


孝典たかのりくん、いいの? 君のおこづかいなんじゃ……」


「いいからいいから」


いきだねえ、あとで阿賀あが酒店の屋台にビールたくさん買いに行くから」


「まいど!」


 お店のおじさんと中学生がそんな会話をしたあと、


「はい、君が取った人形だよ」


「良かったな」


「ありがとう!」


 彼はお店のおじさんからソフビ人形を受け取った。


「ほら」


 受け取った人形を今度は彼がうちに差し出してくれる。


 まごついていると、彼はうちの右手から焼きそばを取りあげて、その手に人形を握らせてくれた。


「あ、ありがとう……」


 ソフビのピカチュウを見ながらぼーっとしていると、


「これで元気出たか?」


 と彼がそう聞いてきた。


『うん、ありがとう』とそう言いかけて、口を閉じる。


 だって、うちが元気になったらきっと、彼はどこかへいっちゃうから。


「えっと、えっと、あのね……」


「ん?」


 なんて言えばいいんだろう。


 なんて言えば、まだ一緒にいてくれるだろう。


 考えていると、ぐぅぅぅー……、とうちのお腹が鳴った。


「……おなかすいてんの?」


「……うん」


 ……嘘はついてない。


 すると彼は、『んー』と少し考えたあとに、


「まあ、おれが食べる分減らせばいいか……」


 と言って、焼きそばをこちらに差し出す。


「一口だけならあげる」


「あ、ありがとう……」


 とは言うものの。


 うちの右手にはソフビ(このタイミングでもう宝物になってたんだと思う)を握り、左手では彼の妹と手をつないでいて、両手がふさがっている。


「どうしよう……」


 彼を見ると、彼は焼きそばをおはしでつまんで、


「ほら」


 と差し出してくる。


「ていうか、お面で食べられないか」


 彼がそう言うので、うちはソフビの方の手でお面をずらす。


「いや、全部取ればいいのに……」


 そう言いながら、彼が焼きそばをうちの口に運んでくれた。


 なんだか、多分そんなにおいしい焼きそばじゃなかったんだけど、今までに食べたことのないくらい、すごく夏の味がするなあと思った。


 すると、


『間も無く、第一部が始まります! 10、9、8、…』


 どこかからアナウンスが流れてきた。


「おお、花火か」


 彼が空を見上げる。


『3、2、1……』


 ドーン、という大きな音と一緒に、空に大きな花火が上がった。


「わあ……」


「すっげえー……」


 彼はそう言うとこちらを振り返って、


「さすがに元気出ただろ?」


 と笑う。


 うちがとっさに首を振ろうとすると、


「花火きれいだし、花火が終わるか、家族が見つかるまでそばにいるよ」


 と彼が付け足す。


「……うん!!」


 うちは満面の笑みでそう返すのだった。


 うちは、花火が大好きだ。


 うちが泣いていても、笑っていても。


 彼がちゃんと、そばにいてくれるから。


 花火が終わるころ、


「沙子!」


 やっとうちを見つけた父親がうちを抱きしめ、ひとしきり叱られたあと。


 彼にお礼を言おうと振り返ると、もうすでに彼らの背中は少し離れたところにあった。


「あれ……」


 名前も聞けてないのに。


 追いかけようとしたうちを、父親がぎゅっと抱きとめる。(さすがに1日2回も同じことになったら大変だもんね。)


 うちは、その背中が見えなくなるまで、本当に見えなくなるまで見ていた。


 お面を外したうちの顔を見て、父親が、


「沙子は泣き虫だ……あれ、泣いてない? パパと会えて笑うとか泣くとかないの……?」


 と戸惑いを見せる。


 うちはそっと頷く。


「こうしてたら、多分、見つけてくれるから」


 今はもうすっかり癖になってしまっただけだけど、その日以来、うちは、『無表情』というお面をいつもかぶっている。


 また見つけてもらって、また会えるように。


 そして、次に会えたら、もう離れないで、ずっとそばにいてもらえるように、と。


* * *

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