第2曲目 第39小節目:KissHug

「拓人、あの時、すごくかっこよかったよ」


「そうすか……」


 泣き虫のピカチュウが沙子だったと知らされ、10数年遅れて照れくさいやら恥ずかしいやらで、顔が熱くなる。


 おれはあの時本当に年下だと思って接していたんです……。


「ていうか、そんなこと、今までなんで黙ってたんだよ? 小学校で会った時に言ってくれればいいのに」


「だって、拓人から気づいて欲しかったんだもん」


「『だもん』て……」


 やっぱり、今日の沙子は微妙に子供返りしてるなあ……。


「じゃあ、今年はなんであんなにヒントをくれたんだ?」


「去年、拓人と喧嘩してから初めて花火大会に来た時に、」


 沙子はおれの目をまっすぐに見て、


「待ってるだけじゃ、無くしちゃうことがあるって知ったから」


 そう言い切った。


「そ、そうか……」


 沙子の眼差しに気圧けおされて、目をそらしてしまいそうになるおれは、小さな頃の自分に学ぶべきことがあるんだろう。


 そんな話をしながら、一夏中学校の前までついた。


「生ビール2杯ですね! まいど!」


 校門脇に、長い行列の出来たビールの屋台が立っている。


『まいど!』と言った低い声に聞き覚えがある気がしてそちらを見てみると、声の主はビールをぎながら客のおじさんと会話をしていた。


孝典たかのりくん、今年は射的しに来ないの? ほら、去年はお祭りにも来なかったじゃない」


「いやーどうでしょうね、あとで時間あれば伺います!」


「待ってるからね! それにしてもあの時の孝典くんは粋だったねえ……」


「もうおじさん、毎年その話しないでくださいよ! はい、ビール2杯お待たせしました!」


 頼り甲斐のあるいい人なんだな、というのが見るわけで分かる。あんな風になりたい、と、よくも知らない人に対して思うのはなんでなんだろう……?


 何かが思い出せそうで思い出せなくて首をかしげていると、


「拓人、こっちこっち」


 沙子に袖口そでぐちを引っ張られた。


 沙子はおれを引っ張りながら中学校の校門をくぐり、


「は、こっち?」


 そのまま、校舎の裏口から、中学校の校舎へと入っていったのだ。


「いや、セキュリティ、ガバガバだな……」


 こんなに簡単にはいれちゃっていいのか……?


「今日、夕方までは普通に部活があって、先公せんこうもいるから、まだ閉めてないんだよ。先公せんこうも大きな教室で見てるみたい」


先公せんこうって……。ていうか、よく知ってんな、そんなこと」


「リハーサル済み」


 口角0.数ミリのドヤ顔をこちらに向けてくる。


 それにしても、外が騒がしいのでなんとなく緩和かんわされている気はするけど、夜の暗い廊下っていうのはやっぱりそれだけで結構怖いですね……。


 吾妻連れてきたら涙目だろうな……。


『小沼あ、なんであたしがこの縁もゆかりもない中学に連れて来られなきゃいけないのー……? 手、握ってくれないと、無理、なんだけど……』


 うんうん、しばらく吾妻の声聞いてない気がするからね。イメージで補完しておかないとね。


 そうこうしてたどり着いたのは、音楽室の横にある楽器庫だった。


「おお、懐かしいな」


 15畳くらいの部屋に、所狭しと楽器が並んでいる。


 両方の壁際には管楽器や譜面が棚にビシッと並べられており、部屋の真ん中にはティンパニや木琴、そして、部屋の奥にある窓際にはドラムと、膝上ひざうえくらいまでの高さのベースアンプが置いてあった。


「ここ、花火がすごく綺麗に見えるんだよ」


 窓際に寄って、沙子が言う。


「へー、そうなんだ。……え、なんでそんなこと知ってんの?」


「去年、一人で来たから」


「一人で? わざわざここまで? 不法侵入して?」


 おれの3つの質問に、沙子は律儀に3回うなずく。


「去年は拓人、いなかったじゃん。だから、代わりに、いつも一緒にいた、ここで見たらいいかなって思って」


「そ、そうなんだ……」


 こ、こういうときどんな顔すればいいかわからないの……。笑えばいい?


「ここでいつも、練習してたよね」


「そうなあ……」


 沙子が振り返って、部屋の方を見るので、おれも窓を背に、室内を改めて見回した。


 楽器庫は名前の通り楽器を置く倉庫なので、他のパートはここから楽器をとって、空き教室や音楽室で練習していたのだが、ドラムについては移動が面倒なので、楽器庫自体で練習をしていたのだ。そのドラムと一緒に練習することの多いベースも、楽器庫での練習が多かった。


「……拓人の曲を初めて聴かせてもらったのも、ここだった」


「……そう、なあ」


 沙子にあの日言われた言葉がリフレインして、胸がまだ、ほんの少しだけど痛む。


「……拓人、本当にごめんね」


「いや、もう、全然大丈夫だから」


 おれは笑った。笑えるようになってよかったな、と本当に思う。


「でも、もう、友達にあんなひどいこと言うなよ?」


 冗談めかしておれが言うと。


「拓人は、友達じゃないもん」


 沙子は、そう返してきた。


「え? ん? ああ、幼馴染おさななじみ……?」


 別に『友達』と『幼馴染』を両立したっていいと思うのに、たまに沙子はかたくなだ。おれ、ただでさえ友達少ないんだから減らさないでよね……。


「それも、そうだけど、初めて会ったあの花火大会の日からずっと、」


 沙子はおれに向き直って、


「拓人は、うちの、憧れなんだ。」


 と、そう言い放った。


「それって……」


 それは、おれがあの日市川に伝えた言葉にすごく似ていた。


 偶然、か……? それとも……?


「うちはね。その憧れに救われて、その憧れを目指して、その憧れに励まされて、その憧れに傷ついて……そうやって、これまでずっと、生きてきた。うちが今ここにいるのは、拓人のおかげだし、拓人のせいだと思う」


 そこまで言って、沙子は、ふふっと、笑うみたいに吐息をもらした。


「だからね、『憧れ』がどれだけ大切かって、知っちゃってるんだ」


「大切……?」


 おれは、情けなくも、沙子の言う言葉を復唱していた。


「拓人は、ロックオンの出番の前、円陣組む時にさ、『憧れているものに手を伸ばすために』って言ってたじゃん」


「そう、だな……」


 以前、市川の言っていたことをおれが一言一句いちごんいっく忘れずに言った時にキモいと言って来たことがあったけど、沙子もよく一言一句いちごんいっく覚えてるなあ、と思う。


「『憧れ』に届かなかったら、不安なんだよ。苦しいし、負けそうになる。多分、拓人が曲を作れなくなったのも、そういうことなんだよね」


 おれの音楽から音階がなくなった理由。それは、多分、amaneの音楽に届かなかったから。届かない、と感じたから。


「ねえ、うち、分かってるんだ」


 沙子は何かを我慢するみたいに、下唇を噛んで、


「うちにとっての憧れ拓人が、拓人にとっては、市川さんなんだよね?」


 はっきりとおれに問いかけた。


「おれ、は……」


「だけど、一個だけ、忘れないで」


 なんとか答えようとしたおれの声を、沙子がさえぎって、続ける。


「拓人は、うちの憧れなんだから、勝手に、誰かの劣化版なんかに成り下がんないでよ。拓人がamaneの劣化版だなんてそんなこと、有りえない。拓人は拓人のままでめちゃくちゃかっこいい。じゃないとさ、」


 そう言って、沙子は優しく笑う。


「拓人に憧れてるうちが、バカみたいじゃん?」


「沙子……」


 腑抜ふぬけた返事をしながらそのまま、窓を背に、ベースアンプの上に座り込んだ。


 すると、沙子は、そっと、おれの背中にもたれかかるように、背中合わせで窓の外を見ながら座った。


「拓人、うちはね、本当に、何にも持ってない。ゆりすけみたいにベースがうまく弾けないし、英里奈みたいに中身も外身も可愛くないし、市川さんみたいに、拓人が何百回も聞くような歌詞も曲も書けない、だけど」


 沙子がすぅっと息を吸う音がする。


「拓人のそばにずっといたい。誰よりも先に、誰よりも強く、そう思ってる」


 おれは、息を呑む。


「もう、拓人と離れて、あんな思いするのは嫌なんだ」


 沙子の声がうるんでいくのを、おれは背中越しに聞いていた。


 その表情を見てはいけない気がして、おれは相変わらず暗い室内を見たままだ。


「……おれだって、」


 あんな思いをするのはもう嫌だ。と、そう伝えようとしたその時に、


『間も無く、第一部が始まります! 10、9、8、…』


 窓の外から、花火開始のカウントダウンがはじまった。


「拓人、花火があがるよ。こっち向いたら」


「お、おう」


『3、2、1……』


 おれが、窓の外を見ようと、振り返り、


 ズゥン、と、バスドラムとベースの間みたいな大きな音を立てて花火が空に開いた、その瞬間。


「ん……」


 


 おれの唇には、何か、柔らかいものが押し付けられていた。


 見開いた目の前に、目を閉じた沙子のまつげが、頬が、あった。


 その柔らかい感触が沙子の唇だと気づくのに数秒かかり、理解するのにまだ追いつかないでいるまま。


 顔を真っ赤にした沙子がすっと、離れる。


「これでもう一生、拓人は、うちのこと忘れられない、でしょ?」


 花火に照らされた、沙子の笑顔。その頬に伝う涙までも、花火はきらびやかに照らしていた。


 唇についた少し塩辛いしずくと、空に開く大きな大きな色彩。


 身体全体を大きく打つその音が、鼓動なのか、花火の弾ける音なのかもわからない中。


 おれの胸のあたりを、沙子の拳が、少し強めに、トン、と押す。


「『憧れに手を伸ばす』んだったら、これくらい本気でいかないと、だよ。拓人?」








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【作者コメント】

第二曲目以降は、毎話曲名をサブタイトルにしていますが、今回の「KissHug / aiko」はもし、聞ける環境があれば、是非とも聴いていただけると嬉しいです。

(とはいえYouTubeではショートバージョンしかないのですが…)


沙子の感情として聴いていただけると、また違った見え方にもなるのではないかと思います。

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